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学校選びの高いハードル

カナダ移住を思い立ち、まず相談したのはカナダ公認のコンサルタントだった。FSW(Federal Skilled Worker)としてカナダでの雇用先なしにビザの申請ができるかもしれないと知り、問い合わせた。

結果は、「年齢」と「カナダへの適応能力」が0であった為、惜しくも申請できるポイントには届かなかった。年齢はどう頑張ってもポイントの稼ぎようがない。コンサルからは、1年カナダへ留学し、卒業後に1年間の就労ビザを取得してカナダでの経験を積むことで足りないポイントを稼ぐよう勧められた。

留学…

もう二度と学校へ戻ることはないと思っていた。

勉強してみたいことは沢山ある。

修士にだって興味はある。

でも私はシングルマザーだ。

できれば自分ではなく、将来のある娘の教育にお金を掛けてやりたい。

しかし、娘に良い教育環境を与えてやる為にカナダへ移住するには、どうやら私が留学しないと無理なようだった。

まったく何の知識もない中、手探りで始めた留学準備で最初に知ったのは、公立のカレッジに通わなければ、卒業後に、俗にいう「ポスグラ」と呼ばれる就労ビザが申請できないということだった。

私立の場合、この「ポスグラ」の申請資格がない為、就学中に卒業後の雇用先を見つける必要があるという。

アメリカとは180度違う留学システムに戸惑いながら、私の留学準備が始まった。

12月某日(土)

都内でカナダ留学を専門に扱う留学センターへ、無料相談に行ってきた。どこに相談すればいいのかもわからず、とりあえずネット検索して雰囲気で選んでしまった。

薄暗い古いビルの一室の小さなオフィス。関西訛りのある男性がひとりで運営しているようだった。

メールでは、候補地のバンクーバーもビクトリアも私の(少なめに盛った)予算では無理と完全否定されたせいで第一印象はいまいちだったが、会ってみると物腰も柔らかく、丁寧に対応して頂いた。

アメリカ生活のことしか知らない私にとって、すべての判断基準はアメリカだ。カナダは車で入国したことがあるけれど、日帰りだったり、1泊だったりなので、その時の経験は全く参考にならない。移住すると言ってはみたものの、どんな生活が待っているのか想像もつかなかった。コンサルにしろ、カウンセラー氏にしろ、何を質問すればいいのかも定かではなかった。

都市部を遥か離れたBC州の田舎を勧めてきたカウンセラー氏だったけれど、私の置かれた状況を説明し、最終目標が就労であることがわかると、やはりバンクーバー周辺がいいだろうと納得した様子だった。

これで(とりあえず)場所は決まった。

しかし…

問題は学校だ。

ネットで見ている内に、なんとなく公立と私立の学校の区別ができるようになってきた。公立のカレッジはアメリカでいうところの、いわゆるコミカレ的な学校のことをいうのだろうと推測できた。

そして、案の定、私がいいなと思いリストアップしてきた学校はすべて私立だった…。

ポスグラは卒業して直ぐに就職先が決まらなかった時の保険のようなものだ。それを考えると、やはり公立のカレッジという選択肢が無難な気がした。それに私立は学費が高い。

カウンセラー氏から、公立のカレッジだったら何が勉強してみたいかと訊かれたが答えられない。逆に公立のカレッジで、1年という期限で何が学べるのか?それが知りたかった。

建築が好きで、展覧会にはよく足を運ぶ。コミカレでは夜学でCADを齧った。CADであれば、もし日本へ帰国を余儀なくされても就職の役に立つだろう。

犯罪心理学的なものも大好きだ。昔は、よくその手の本を読み漁り、ドラマや映画にも夢中になった。アメリカに留学当初は英語に自信がなく諦めてしまったけれど、今なら授業にもついていけるだろう。

VFXは、特撮映画好きの私にとって永遠の憧れだ。今はほぼコンピュータ化されてしまったけれど、ひと昔前のアニマトロニクスや特殊メイクは未だに大好きだ。

あげればきりがない。

私はアメリカの大学で美術と英文学を専攻し、仕事は主にDTPからWebまで広く浅くやってきた。就労を考えるのであれば、キャリア面でも引き続きデザインを極めていくのが妥当だろう。コンサルからもWebができるのであれば、プログラミングを勉強したらどうかと言われた。Webは制作会社でも働いた経験がある。HTMLやCSSのコーディング程度であればなんとかなるし、嫌いではない。でも、やりたいか?と言われたら、残念ながら、それを生業にしたいとは思わない。バックエンドまで手を広げる気もない。正直、50目前にして、デザイナーとして限界も感じ始めている。デザインは楽しいけれど、次々出てくる若い才能にはやはり勝てない - それがWeb制作会社に勤めて感じた正直な感想だった。

また、せっかくならこれまでとは全く違ったことにチャレンジしてみたいという気持ちもあった。1日中パソコンの前に座り、モニターを眺める生活は目を酷使し、片頭痛の原因にもなっていた。座りっぱなしで肩や腰が痛いのは年齢のせいばかりではないだろう。手に職をつけ、実際に何か物を作ったり、多少なりとも体を動かす仕事には興味があった。ただ、それが具体的に「なに」かは自分にもわからなかった。

一番興味があったのは、ビクトリア大学のMuseum Studiesのプログラムだった。日本人は世界一展覧会好きと言われているらしいけれど、私もご多分に漏れず、美術館や博物館、アートギャラリー巡りを趣味とするひとりだ。プログラムの内容はどれも私の興味を激しくそそるものばかりで、偶然それを見つけた時には心が躍った。しかし、コンサルもカウンセラー氏もビザのことを考えるのであれば、お勧めはしないとのことだった。カウンセラー氏によると、このプログラムは修士課程のようで、それにも惹かれたけれど、学芸員の勉強は何より潰しがきかない。本当にそれで就職できればいいけれど、できなかったらただの教養で終わってしまう。経済的にギリギリの状態で留学する私には、あまりにもリスクが大き過ぎる。どうしても専攻が決まらなかった時のために、こちらは保留とすることにした。

私の学校が決まらなければ、娘の進学先も決まらないのである。焦りが募る。とりあえずバンクーバー周辺地域の公立高校のパンフレットだけ一通り渡されたけれど、最低でも5段階評価で3程度の成績がなければ教育委員会はいい顔をしないため受け入れてもらえない可能性があると言われてしまった。成績不振や不登校でも受け入れてくれる学校を探すとなると、これまた面倒な話である。

幸い、娘は少しずつ学校へ行くようになっている。これまでも不登校とはいえ、丸1日休むことは稀で、遅刻や早退はしても学校へは行っていた。課外活動にも友達から誘われることもあり、積極的に参加している。が、問題は成績だ。不登校で一度下がってしまった成績を挽回するのは容易ではない。維持できているのは、得意の英語くらいだ。以前は可もなく不可もないちょうど真ん中の成績を保ち続けていたものの、不登校のツケははっきりと実力テストの結果に表れるようになっていた。塾へ行かせるとなると、これまた痛い出費だ。

私の学校も決まらなければ、娘を受け入れてくれる学校が見つかるかどうかもわからないというのは、先々頭の痛い話だ。

道のりはまだ長い。