同じ仕事をするにも「志」の違いでこんな天と地ほどの開きがあるんだよって話
前回吐き気がするような内容(人物について)だったので今度はまともな回で。
私も長いこと演劇をこの世の人生というゲームの一部と捉えて取り組んでわかったことがある。
役者、俳優・女優で一番大切なものは「思いやり」である。
あるに越したことはないが、ルックス(アバター)、演技力、声量。これらは仮に多少足らなくても何とかなるが、思いやりがない、持っていない役者、これだけはダメだ。使えない。
私もいい歳になるまでこの真理に気付けなかったが、ある年齢に達し気付くことができた。
間違いない、と確信できたのは、ある劇場付きの舞台監督さん(私より一回り位上の人)から話を聞く機会があり、その方もまさに「役者で一番大事なのは思いやり。これがない人はダメです」と全く同じことを仰っていた。
そう、前回ブログで吊るし上げたダメな俳優たちに共通してるのは、思いやりの無さだ。
総じてお客様の事なんて露ほども考えず、自分自分。ホント自己中。
こういう世界ってギブアンドテイクで成り立っていると考えている。真っ先に自分の利益を優先させる人をテイカーと呼び、ホントダメな役者は持ち去るのみだ。
どれだけ裏で人が動いてこの場が成り立っているか、全く感じてもいない。
作品は制作が企画し、公演で役者が演じ、ここまでで50%が完成。お客様にご来場、観ていただき、満足頂いて、はじめて100%完成する、と私は思っている。
そういうことをダメな役者は全く考えていない。自分が目立つこと、楽して楽しむことだけを考えている。
演出の言うことを頑なに拒み、自分の耳に痛いことを言われると「許せない」と主宰者に逆ギレ、自分の目立つ照明プランに変更せよと言い、果ては客の事など考えもせず、作品にもなっていない企画を自分たちで勝手に立ち上げ、人の迷惑も顧みずそれを観に来いという。自分が楽しいから。
権利を主張し、持ち去っていくだけ。なぜなら奴等は全方位に「思いやり」が無いから。
いいものを魅せるよう、お客様のことを考え、そのために共演者が演りやすくなるよう演技プランを考え、企画者に報いるよう、全力で演じる。これが思いやりのある役者。
これは俳優だけでなく、人として、この人生という名の無理ゲーをクリアする鍵、考え方なのでは?
だから人間の鍛錬の場であると考え、色々大変だが役者を続けている。
ただ、この思いやりのある人間になるには大変な苦労を伴う。
思いやりとは、相手のことを気遣う余裕から生まれてくる。ホスピタリティなんて言葉でも表現される。
つまり、それだけ自分が精神的に満たされていないと相手に対する気遣いは生まれないものなのだ。この世知辛い世の中で満たされている人って!と思う。
とすると、思いやりの無い人間ってのは、相手のことなんて考えてる余裕のない人。考えてみれば可哀相な人たちだ。たまたま私と関わったこの思いやりのない人たち。
恐らく、この人生というゲームについてなんて一度も深く考えたこともないだろうし、何も考えず今日も自己中に生き、そのまま死んで、また何回もやり直しさせられるのだろう…
哀れだ。