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Thank you,the pillows
あの日のこと
the pillowsを応援してくださっている皆さまへ
— the pillows monument (@thepillowsJPN) February 1, 2025
To all fans of the pillows, pic.twitter.com/PrObDArrAb
2月になってすぐ、信じられないニュースが飛び込んできた。
the pillows、解散。変わらないものなんて無いって分かってるけど、
それでもpillowsだけは絶対に解散なんてしないものだと勝手に思っていた。
過去にさわおさんが解散しないと発言したからかも知れない。
その話は、唐突で余りにも現実感が無かった。しばらく呆然としていたが、
数多くのバンドマンやミュージシャン、関係者、それから本当に多くのファンが
この件に触れているのを見て、現実なんだと気がついてやがて涙した。
2025年2月6日20時現在で、件の発表は7.7万RT、いいねは11万。
フォロワー数を優に超えるほどの反響、トレンドにも多くの関連用語が入った。
チバユウスケが、櫻井敦司が天国へ旅立って、もうロックでこれ以上に悲しいことなんて無いと思っていた。
メンバーは全員健在だけど、少なくともこの日pillowsというロックバンドは確かに死んだのだ。
先週、僕はツアーに行ったばかりだった。まさかアレが最後になるなんて。
1月25日と2月1日は忘れられない日になってしまった。
それからは、延々と彼らの曲を聞き、ひたすらツイートをしたり追ったりしながら人生の半分以上一緒になってるこのバンドとの思い出を回想していた。
カーニバル、そしてフリクリ
僕が初めてpillowsを知ったのはラジオだったかTVの深夜の音楽番組だったか。
記憶は定かではないが、カーニバルが出会いだったことは強く覚えている。
観覧車に独りで暮らしてる
大嫌いな世界を見下ろして
待ってたんだ キミと出会う日を
かしこまった日射しに
こげながら僕だけの窓を開いて
待ってたんだ ここでこうなる日を
手をのばしても
報われない時代
救われない未来
キミとキスして笑いころげる
どこまでも孤独な世界観の歌詞に、それを全てぶっ飛ばすような激しいサウンド。
こんなバンドいるのかと、録音したMDで何度も何度も聴いた。
それから数ヶ月経った頃、「ガイナックスがまた面白い事するらしい」という
噂を聞きつけた僕は、近所のTSUTAYAでフリクリ1巻のビデオを借りた。
冒頭で映し出されたのは、夕暮れの河川敷。少年と少女が佇んでなにか話している。
そのバックで流れる…いや、バックで、というには主張の激しい音量で流れたのはこんな歌詞だった。
青い芥子の花びらが
風もなく揺れてたら
僕のタメ息のせいだ
憶えてないけど きっとそうさ
日常の闇にくるまり
自由に縛られて
キミと夢を見た眩しさで
自分の顔 まともに覗けなくなった
汚れた僕の鏡で
写せるたった一つの
偽物じゃない光
キミは僕の光
寂しげなメロディーと歌詞に寄り添うようなアレンジ。フリクリという、
屈折した少年の青春物語のテーマソングとしてこれ以上ないと言って良かった。
もう最高だった。テンポの良い破茶滅茶なストーリー、書き下ろしかと思うくらいハマりのいい劇中歌、作画も文句なしに素晴らしかった。
アニメを観たというよりは、何か”体験した”と言った方がしっくりくる。
もう一つ、特に心を掴まれたのはクライマックスで流れたこんな曲。
ほとんど沈んでるみたいな無人島
地球儀にのってない 名前もない
昨日は近くまで 希望の船が来たけど
僕らを迎えに来たんじゃない
太陽に見惚れて少しこげた
プリズムをはさんで手を振ったけど
Can you feel?
Can you feel that hybrid rainbow?
昨日まで選ばれなかった僕らでも
明日を待ってる
叙情的な序盤から、ブチギレたサビへの爆発したエネルギー。
死ぬほどカッコよかった。「ハイブリッドレインボウ」。
(話逸れるけど、「RUNNERS HIGH」「HAPPYBIVOUAC」期てギターとベースの音ありえんくらいデカいよね?大好き。)
ここで、明らかに僕の中で何かが変わった。
それから、僕の人生はある程度決まっていったのだろう。
pillowsに出会わなかった人生は今とは大きく違っていたはずだ。
すぐに発売されたサントラをレンタルして、何度も何度も聴き込んだ。
もっとフリクリの面白さを語り合いたかったが、社会現象になったエヴァとは
違い、こちらはOVA。当時は配信もYoutubeもLINEもTwitter(X)も存在せず
たまに見るネットでいくつかあったファンサイトの掲示板を除くくらいしか
手段が無かった。今考えると、それが逆に良かったのかもしれない。
クラスの奴らが誰も知らないバンドとアニメを俺は知ってるんだぜ。
そういった、若さゆえの小っ恥ずかしい優越感も恐らくあった。
1年後、フリクリは無事に完結。その少し前に出たベストアルバムと
中古CDでゲットした「RUNNERS HIGH」はCDウォークマンが壊れるくらい
聴き込んで、盤面の裏側は見事に傷だらけになった。
やがて「Please,Mr.Lostman」以降のアルバムも全て手を伸ばし、たまに見つけるシングルに入った隠れた名曲を発掘することに喜びを見出したころ。
問題作と言われる「Smile」が発売される。いや、良いアルバムなんだけど
表題曲の壊れ方がこれまでと毛色が違いすぎて心配されたのだ。
僕はと言えば、ちょっと厳しいかな…なんて思いながら、たまにムカついてどうしようもない時に「クタバレニンゲンドモ」なんて口ずさんでいた。
Thank you,my twilight
2002年に発売されたアルバム「Thank you,my twilight」は今でも一番好きなアルバム。
SEや打ち込みなど、外部の音を積極的に取り入れとても聴きやすい。
当時、B面集と共に初めて新譜で買ったpillowsのCDという事もある。
が、それより印象的なのはライブに行った事である。
僕は人生で初めてのライブというものに参加したのだ。
12月18日、神戸チキンジョージ。チケット代とは別にドリンク代が必要なこと、
スタンディングは疲れるが隙を見て前に行けること、それから何より生で見るライブは最高であるということ。
僕はミスチルによって音楽を能動的に楽しむことを覚え、pillowsによってライブで音楽を見るという楽しみを覚えた。またロックバンドは皆が皆、ツアーではアルバム全曲をやるものだと思ってしまったのも彼らのせいである。この日のライブは、アルバム全曲の他に確かComedown、Sleepyhead、BeautifulPictureなどカップリングも多めで大いに盛り上がった。
ラストはハイブリッドレインボウ(だったはず)
音源には無いイントロに入る前の「Can you feel?」で大歓声。
終わったあと無性に誰かと何か話したくて、話しかけた奴が
「Beautiful~なんて別に珍しくないよ?」とマウント取られてムカついたのも、いい思い出という事にしておく。
その時に買ったタオルとTシャツは今でも持っている。大事な宝物だ。
それからは、新譜が出ればタワレコに走り、ツアーがあれば参加するという事になった。
それと並行して、フェスやインディーズバンドが大勢出演するオールナイトのイベントなども足繁く通うようになり、本当に多くのバンドや音楽と出会えた。
そんな風に過ごしていたのだが、一方のpillowsは大変な状況だった。
前述のツアー時、ステージで冷静になってしまう自分に気づいたさわおさんは
バンドを辞めるべきか?という事まで深刻に考えていたらしい。
その状況下で生まれた「暗い、救いのない曲」が生まれた事により、自らの
楽曲に救われたさわおさんは再びバンドを続ける事にした…
というような話を、次作「PENALTY LIFE」発売時のインタビューなどで語っていた。
先行シングルの「ターミナルヘブンズロック」はいわく「終点天国ロック」で
アルバム名の意味は「無期懲役」。つまり、ロックンロールに終着点など無い!という開き直りである。
そこからは、もう迷いはなかったように思う。隠しトラックに、インディーズ期の「ぼくはかけら」を入れたり、翌年にはその曲が入ったアルバムを再リリースしたり。
結成日、周年を祝うようになったのも、この頃からだった。
ウエケンさん在籍時を楽曲を未発表曲含めて、今のバンドで再レコーディングしたり
大阪と東京では、大々的な15周年ライブを敢行。
チケットはどちらもソールドアウト。
この時にどれだけ頑張ってもチケットが取れなかった事は一生の不覚である。
この年の2月、12月のライブに続いて参加した。「新曲が出来たから聴いてくれ!」と「その未来は今」をいち早く聴けて嬉しかったな。
余談だが、同じツアーに2回行ったのは後にも先にもこの時のpillowsとやまとなでしこだけである。
ライブはそこからも参加して、2006年の「MY FOOT」ツアーと年末のツアーが僕とpillowsの時間としては、一先ず最後になる。
そういえば、後述のツアーから新旧取り混ぜたセトリでライブする「LOSTMAN」シリーズが始まったんだったな。
その時のMCでさわおさんが「俺達がavexに行くってことで心配してる奴が多いらしい」と苦笑いしていたのは何となく覚えている。
「心配すんな!だって俺達だぜ?」みたいな事を言ってたような(違うかも)
翌年に出たシングルもアルバムも買ったけど、何故かライブには行かず前述したようにそこからしばらく彼らとは距離を置く日々が続いた。
新曲が出るたびに聴いてはいたけど。
カッコーの巣の下で
時は流れて、2016年。pillowsはavexを離れて自主レーベルへ移籍。
その時期に僕は久しぶりにライブに行くことにした。
大きな理由は正直言うと、無い。その時に出たアルバムは良いと思ったが
それが動機でもない。ただタイミングが合っただけかもしれない。
ライブ当日。その日、僕は8年以上ぶりなのですっかり忘れていたことを思い出した。
客が、若い。元々観客の動員数も売上も右肩上がりのバンドではあったが、
もう一個大きな要素があった。新陳代謝が異様に激しいのだ。
これはあまり、他の人のライブを観に行っても感じない事である。
現役のロックバンドとして、これがどれだけ奇跡的な事か。
すっかり年を取って、観客の最高齢の上から数えたらすぐエントリーしてしまうような
おっさんになってしまった僕は、初参加で買ってキチンと手入れしなかったために
ヨレヨレになったTシャツと、ほつれの目立つマフラータオルで無駄に気負っていた。
開演からしばらくして、BGMがフェードアウトし客電が落ちる。
聞き慣れた出囃子に見慣れたメンバー。自分と同じ年を重ねてるはずなのに、
あの頃と変わりないように見える。
久しぶりのライブはやっぱり最高だった。どれもイントロで分かって叫んでしまう曲ばかり。
ハンドマイクで歌い出したり、「LITTLE BUSTERS」は全員大合唱でカラオケ状態。
ああ、やっぱりライブて楽しいな。pillowsて良いバンドだな。
そんな事を考えながら家路についた。
この日も披露された「カッコーの巣の下で」という曲がある。
「スケアクロウ」などの、さわおさんの映画好きな一面が伺えるタイトル。
「Funny Bunny」なんかの有名曲に比べたら知名度は低いかもしれないが、
名曲だと思う。代表曲と言っても差し支えないと思う。
手をつないで行こうぜ
そこに愛があるなら
こわくないだろう
手をつないで行こうぜ
昨日に笑われても
明日と笑っていよう
手をつないで行こうぜ
在りもしないカッコーの巣の下で
オレ達 生まれたのさ
蜃気楼から手を振る誰かに
いつかきっと会えるはずさ
pillowsの楽曲にはいつだって孤独で一人ぼっちな主人公が登場する。
ありったけの絶望と一握りの希望。
トリビュート・アルバムが2枚出るほど、後輩バンドに慕われ
武道館も即日完売してもさわおさんの中には拭えない孤独感があって、
それを爆音で鳴らして唯一無二のカッコよさが出るんだと思う。
Thank you,my twilight(RETURN TO THIRD MOVEMENT!!)
pillowsは大きく分けて3期あって、結成当初~メジャーデビューしてウエケンさん脱退までの1期、3人となってレコード会社を移籍して洋楽などを取り入れてオシャレな音楽性になった2期、思ったような評価を得られずにこれで終わっても良いと発表した「ストレンジカメレオン」からの3期という事になっていて
この頃から、3期の最初「Please,Mr.Lostman」と「LITTLE BUSTERS」全曲を披露する
ライブツアーを行うようになっていた。
「RUNNERS HIGH」「HAPPY BIVOUAC」全曲ライブの後、コロナ禍に
発表されたのが「Smile」「Thank you~」全曲ライブ。
当然、声を出すことは出来ないしマスク常備、周囲の客とは距離を取る必要もある。制約だらけだったが、思い出のアルバムとライブで聞けていない曲も
多かったので参加を決意した。
何度も通ったライブハウスだったが、フロアにはバミリが貼られていてその周囲から出ないように、という事だった。分かってはいたが、やり難い。
こんなのでライブが楽しめるだろうかという不安はあったが、始まってみれば
完全に杞憂でしかなく、あっと言う間に終わった。
とにかく楽しく、今だから言うけど終演後何となくその場で親しくなった
人と話し込んでいたら、会場を後にするさわおさん達の車を見送る事になってちょっと嬉しかった。その後、夜遅く、終電ギリギリまでコンビニで買ったつまみと酒を片手に座り込んでいろんな話をした。
その方は女性で、僕より相当に年期の入った方でpillowsの他にも色んなバンドのライブを観たという話を聞いた。楽しかったな。
LOSTMAN GO TO CITY
35周年も無事に成功したバンドは、恒例のLOSTMANツアーの開催を発表。
前述したように、新旧織り交ぜた、レアな曲が多いツアーである。
数年前からアルバムを全く出さない事はどこか引っ掛かっていた。
かつては毎年のようにアルバムを出し、多い時には1年で2枚出すことも
あったほど多作なバンドである。また、さわおソロが活発だった事も不安に拍車をかける材料としては十分だった。
懐メロやるようなバンドじゃないでしょ?という思いは消えないまま僕は
チケットを取った。思い切り個人的な話だが、その日は僕の誕生日だった。
「もしかしてアナザーモーニングとかハッピーバースデーとかやるかな?」なんて期待もあわよくばあった。
そして、1月25日。何度目かの誕生日を迎えた僕はなんばHatchにいた。
「久しぶりじゃないか」なんて、さわおさん定番のMCを一人ごちる。
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ドリンク代が600円に値上がりした以外は、会場は殆どあの頃のまま。
この日は現地なのか遠征なのかわからないが、外国人の姿もよく見かけた。
pillowsはフリクリ以外にも、アニメ関連のタイアップがかなり多い。
それも作者が好きすぎて漫画に引用したりするタイプのガチなやつだ。
真っ暗になり、いつものSEに乗せてメンバーが登場する。
あ、サポートベースの人変わったんだ。知らんかった。
そして僕はこの日も、いつも通り右端前方に陣取った。何故かといえば、
ギターの真鍋さん(Peeちゃん)の動きを肉眼でしっかりと見るため。
観たことがある人は分かってもらえると思うが、ライブ中のPeeちゃんは
マジでエロい。腰をくねらせながらしなやかにギターを弾く。
華麗と言っても良い。この日も絶好調だった。
ライブ終わってスタッフにギター返す時に上に掲げるのもなんか好き。
さわおさんはこの日も白黒のサイクロンギターを何度も銃のように構えて、客席に向けるし
ドラムの佐藤さん(シンちゃん)は曲中は鉄壁のドラミング。
しかし喋らせれば、何を言い出すか分からない天然キャラ。
と3者3様のコンビネーションは健在であった。
1曲目が始まる。「デブリ」マジか!?やってくれたら良いなてプレイリストに入れてはいたが、本当にやってくれるとは。
死ぬのにもってこいの芝居がかった夜に
窓を叩く赤いコウモリ
久しぶりじゃないか 丁度会いたかった
上空まで案内してくれ
雲の上の上 キミの寝顔も見える
燃え尽きたいんだ 闇に溶けるんだ
ジムノペディが鳴り響くだろう
誰も知らない場所で夢をひとつ手放した
孤独な儀式を済まして終わりを待ってる
祈ることもなく
Good night, baby
この日さわおさんは「久しぶりじゃないか!」とは言わなかった。曲中に
言ったからかな、と思ったが言えなかったのかもしれないと今は思う。
そして、この歌詞を今改めて見るととても意味深である。
(解散を)誰も知らない場所(ライブハウス)で夢(バンド)をひとつ手放した、そんな孤独な儀式をすませて終わりを待ってる。
ツアーを決めてセトリを考えてる間は解散を考えていなかったそうだが、少なくともこの時には決まっていたのだろう。
「今日はこの世の果てまでもFunnyBunnyもやらない!」とMCで力強く
宣言。まあそういうツアーなのは承知の上とはいえ名言されると淋しい。
その後は、レアというより定番の「ROCK'N'ROLLSINNERS」や恐らく激レア「Ninny」などひたすらマニアックな曲が続く。
正直に書くけど、半分くらい「これ何だっけなあ」て思いながら観てた。
この日のシングル曲は限定だけど「カッコーの巣の下で」と「サードアイ」のみ。
やっぱ「Sleepyhead」は嬉しかったなあ。セトリの中では自主戻ってからの初作「Stroll and roll」が最も多く5曲。
また、感傷的な曲も結構あって、たとえば「ジョニー・ストロボ」とか。
永遠じゃなくたって価値がある夜
カーニバルみたいな光を放つ
(中略)
偶然が重なった運命の人
ターミナルはきっと別だとしても
一瞬で燃え尽きる流れ星でも
何かを照らしたんだ
ストロボのように
他にも「Gazelle city」や
(対訳)
陽気はだいぶ暖かくなった
誕生日の夜はよく眠れなかったよ
僕はこの町を去るのが悲しい
もうそろそろサヨナラしなければならないんだ
アンコール最後にやった「EMERALD CITY」も。
ドロシー キミと魔法で
もっと遊びたかった
エメラルドシティは
きっと孤独じゃない
レフリー 張り切ったって
もう手遅れなんだ
ルールブックは燃やしたんだ
堕ちたアウトサイダー
She is gone
She is gone
She is gone
But I don't care
I won't need someone
any more.
ライブ中、変だなと思うことは他にもあった。先に上げたのは後の話だ。
例えば、曲の歌詞を何度か間違える。過去に自分が観たライブでも全く
無かった訳じゃないと思うが、MCで妙に申し訳なさそうに言及したり。
終盤でさわおさんが声を詰まらせたという話を観たが僕は分からなかった。
それより一番違和感があったのは、中盤での少し長めのMC。
バンド名が決まった記念日、その現場であるPeeちゃんが住んでたマンションの下の蕎麦屋の話。から転じて、デビュー初期にいたマネージャーが失踪したというとんでもない話をシンちゃんがいきなりぶち込んできて、場内は大爆笑。
さわおさんも「何でそんな話すんだよ!」と苦笑。しかし、この話にはまだ続きがあって何でも今日その時の方が楽屋まで謝罪に来たらしい。
で、今1階で観てる、と言ってフロアを指差す。まさかのいい話に思わずみんなして拍手喝采。
他には、pillowsは昔から何故か関西での人気があって、ラジオでは「ストレンジカメレオン」がヘビロテされたり、という話もあった。
当時渋谷系に対抗して心斎橋系などと勝手に言っていた頃もあったとか。
「なんでなんだ!?」と自嘲混じりに笑っていたが、ホントなんでだろう。
ちなみに、知らない人のために説明するとpillowsは北海道で結成されたバンドでメンバーに関西出身者は皆無である。
・・・とこれが通常のライブなら、何の問題もない。しかしである。
振り返りをやるツアーとはいえ、昔話のボリュームが多いなとは感じた。
恐らくであるが、その元マネージャーも直接あるいは間接的にこれが最後の
ツアーである事を聞きつけたのだろう。だとすると、彼は最後の最後に間に合ったのだ、僕たちと同じく。
それともう一つ。「君たち、まだ俺達に飽きてなかったの?」似たニュアンスの事を再度さわおさんは言った(と思う)。
あの言葉の裏側には「俺(たち)はもうpillowsに飽きてるのに…」という感情があったのだろうか。
「世界中で君たちしか知らないような曲をやる」いつも自信満々なさわおさんの姿を、この日最後まで僕は見つけることが出来なかった。
ライブは無事に終了。確かに、FunnyBunnyもこの世の果てまでも無い、
ハイブリッドレインボウもLITTLEBUSTERSも無い、ついでに言うとアナザーモーニングも無かったし、今回もカーニバルは聞けなかった。
でもまあ、また次のツアーで聞けるかもしれないしそろそろアルバム出すかもしれないし。
ライブの前に観に行ったガンダムジークアクス(監督がフリクリの鶴巻和哉氏)良かったなあ・・・もしかしたら、TVシリーズの時に新曲提供とかあったり?などと、色んな妄想をあれやこれやと浮かべていた。
ライブ中に浮かんだいくつかの不安要素など、まるで無かったかのようだった。
あの日のこと~Blank
冒頭に戻る。「何でなんだよ?ロックンロールは無期懲役なんだろ?」
そう言いたくてたまらなかった。でも知っていた。そんなはず無いよな。
ロックンロールは、負け犬の、孤独な人間を守ってくれるシェルターだ。
そこには、現実のどんな理屈も通用しない。でも、それはロックンロールというシェルターの中でだけ機能する。世界は厳しく、残酷だ。
解散発表後、有料サイトでのブログが更新された。真っ先に更新したのはPeeちゃん、続いてさわおさん、シンちゃん。
どういう心境なのか、とにかく何でも良いから知りたくて会員登録した。
何が語られたかはここでは書かない。読みたきゃ会員になってくれ。
ただ、ここでも見事に3者3様な内容で、むしろこんなバラバラでよく今まで
続いたなと思わせられるものだった。
正直、解散の危機なんて一度や二度じゃない。そもそも、友達同士で組んだわけでもなく当時既にバンドシーンで有名だった上田ケンジが山中さわおという
年下のロック好きの少年(バンドは組んでいた)を見出し、一緒にバンドをやろうと言うことですべてが始まったバンドである。
集められたメンバーはシンちゃんにしろPeeちゃんにしろ既にキャリアもあり
その中で一番若く経験も浅いさわおさんがフロントになったのだ。
実際、ウエケンさん脱退時にも存続不可能と判断し「2人が嫌いだから」とバンドを辞めたいと言ったさわおさんに「お前が嫌いなのは俺か?それとも俺のドラムか?ドラムなら諦めるけど、そうじゃないよな」と説得したのが他ならぬシンちゃんだった。
その後も、音楽性を変えて多い時には6人ほどの大所帯でライブを行っていたそうだが
セールスも伸び悩み「これがダメならもう俺は辞める」とレコード会社の反対を押し切って「ストレンジカメレオン」を発表してから、風向きが変わり始める。
翌年の97年リリースの「Please,Mr.Lostman」のジャケットには、年老いたメンバー3人がタバコを咥えてたった一本のマッチに火を付ける様子がある。
当時のバンドの様子が痛いほど伝わる素晴らしいジャケット。
恐らく、心中覚悟だったのだろう。必死だったのだろう。
そうして、アルバムは名盤と言われ、ライブの動員は増えていった。
次作の「LITTLE BUSTERS」では、表題曲がいつしかファンを指す名称となった。
もう見ることは出来ないが、好きになった頃アルバムの特設サイトには
桜井和寿、草野マサムネ(東京で出来た友人の曲という、その名もcherryという曲がある)、トータス松本といった錚々たる顔ぶれのコメントが載っており
「pillowsてすげーバンドなんだな」と強く思ったものだ。
この頃にはかつては「アンコールはやらない。音楽は自分のためにしてる」と言って憚らなかったさわおさんの心情も大きく変化した。
前述した「Thank you,~」時の不調の他にも、僕は離れていたので詳しくわからないが2012年頃、さわおさんのワンマンバンド化してる現状を危惧し
数ヶ月のリハビリ期間を設けている。その後、バンドは再開したが上手くいってなかったのか。どちらにせよ無理がたたったのだろうと思う。
ツアーファイナルでは、声を詰まらせたり最後を予感させる部分もあったと聞く。
普通のバンドだったら、「最後ですよ」て大々的にアナウンスするし
実際大阪も千秋楽も当日券が出ていた。最後なら行ったのに…という人の声も結構観た。
しかし、山中さわおという人がそんな、お涙頂戴な事をするのはプライドが許さないだろう。涙で歌えなくなるさわおさんと、それを受けて合唱する「FunnyBunny」とか観たいか?悪いけど、俺はそんなカッコ悪いバンドを好きになった覚えはない。
きっと、いつも通りのライブをやって普段から見に来てくれるファンの事を第一に考えたんだろう。ロックンロールはビジネスじゃないんだ。
35周年もやり切って、全員50代以上といったってそんなバンド他にいくらでもいるし、
ロストマンのジャケットのように年取ってもロックバンドしてる3人を観たかったのが本音だ。
しかし、活動休止ではなく解散という強い言葉を選んだのだ、それが答え。
ツアー中にリリースされ、結果的にはpillows最後の曲となった「Blank」
歌詞はチバユウスケの事を歌っている?という意見も見たが
今こうして聞いて歌詞に目を通すと、やはりこれは最後のメッセージだと思える。
どうにもならない悲しみの雨
前触れもなく打たれていた
もし今ここにキミがいたなら
どんなセリフを放っただろう
世界中にある愛の歌とは
違う祈りが宿っている
歌を知ってるか オレは知ってるぜ
涙こぼして聴いている
闇を切り裂いた唸り声を
つまらなくなった世界を睨んで
何をしようか 探しに行こうぜ
涙目で全部ボヤけてるけどさ
空白の中で探しに行こうぜ
失った穴は簡単には埋まらないだろう。きっと何年もかかるだろう。
だけど、僕は一人じゃない。嬉しい時、辛い時、今までもそうだったようにこれからもpillowsを聞き続けるだろう。
もう四半世紀付き合ってんだ。今更辞められないぜ。
だってビートルズなんて何十年も前に解散してるのに、未だに何百万の人が聞いてるじゃないか。
ロックンロールは終わらない。終わらせない。
こんなに時代に流されずにやり続けたロックバンドなんていない。
最後の最後まで自分たちらしさを貫いた。凄いよ。
百万人が知ってる存在じゃないかもしれないけど、俺たちだけは知ってるんだ。
世界中探してもキミしかいない。キミと出会えて良かったな。
ありがとう。
最後に、無限にある好きな曲の中からこちらを引用して終わりにしたい。
支離滅裂な文章を最後まで読んでくれたあなたにも、ありがとう。
誰もが忘れても
僕は忘れたりしないぜ
世界が笑っても
自分を疑わない
時代が望んでも
流されて歌ったりしないぜ
全てが変わっても
僕は変わらない
my song is your song