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認識分化論入門(08)

第八章 正常という幻想(境界線)

第一節 恐怖からくる。安心したいため

 人は誰でも、自分が正常な人間だと、思いたいものです。

 少なくとも、自分が普通じゃないとか、異常だとは、思わないものです。

 だから、「正常」という領域を想定し、自分がその中にいる、と考えるのです。

 少なくとも、ほとんどの人にとっては、自分の現在の状態以外を、想定することは、難しいものです。

 ですから、漠然と、自分は唯一想定できる状態なのだから、自分の状態が正常なのだと考えます。

 当然、正常以外の状態は、想定できません。

 もし、自分と異なる状態の人間がいたり、自分には理解できない人間がいると、その人間を異常な状態だととらえます。

 少なくとも、自分と同じ領域ではないと、思おうとします。

 そして、この、異常な状態に対する無条件の恐怖が生まれます。

 理解できないものには、無意識の嫌悪、そのような状態にはなりたくないという恐怖が、めばえてきます。

 その恐怖、無意識の嫌悪が、差別につながっていくのです。

第二節 ただ一つのものさしで、人間を分けようとしている

 本来、人にはさまざまな面があります。

 運動が得意な人、音楽の才能を持っている人、すぐに取りかかるのが長所の人、ずっと続けられるのが美点な人。

 金子みすゞさんも、

   みんなちがって、みんないい

と書いておられます。

 ところが、認識が分化していない人は、複数の価値を認識することができません。

 学校の点数なら点数、入試の偏差値なら偏差値。

 たった一つの尺度しか認識することができず、たった一つの物差しで、あらゆるひとを評価しようとします。

 自分より学歴の低い人は無条件に見下し、反対に有名な学校を出た人の言うことは、何も考えずに信じます。

 みんなちがって、みんないい。

 重さをはかる時にははかり、早さをはかるのならストップウオッチ、容積をはかるのならマスやメスシリンダー。

 そもそも、正常・異常など、ありません。

 長い・短い、早い・遅い、音程を取るのが上手・リズム感がいい。

 個性は違いますが、それぞれ、みんな違う価値があるのです。

 1万人の人がいたら、1万の計測機械がいるのかもしれません。

 みんなちがって、みんないい。

 どこまで理解できるでしょうか。

第三節 人間の多様性を認識できない

 たとえば、テレビの情報ワイドショーなどで、普通と違う人や、自分たちには理解できない人の心の中を、「心の闇」と言ったりします。

 これは、伝える人にとって「闇」なだけで、その人本人にとっては、闇でもなんでもありません。

 本人にとっては、全て見えているし、全部内容を理解しているからです。

 だから、本人が、「心の闇」なんて、言うわけがありません。

 あくまでも、情報ワイドショーの制作者にとって、理解できないもの、すなわち、「闇」なのです。

 世の中いろいろな人がいます。

 ある人は、走るのが早くて、歌がうまい。

 ある人は、計算が早くて、手先が器用。

 ある人は、気持ちが優しくて、いつも自分のことを後回しにする。

 それぞれの人に、いろいろな良さがあるものです。

 人間は、本当に多様な存在です。

 認識が分化していないと、そのことに気がつきません。

 自分の子供のことを、理解しようともせずに、ただ、学校の成績を上げるように、ガミガミ怒鳴ったりするのです。

 認識を分化させることの重要性は、いくら強調しても、しすぎることはありません。

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