認識分化論入門(03)
第三章 認識の未分化
第一節 先天的に認識能力がないケース
たとえば、自閉症の方の中には、生物と無生物との区別を、認識できない方がおられます。
これは、先天的なものです。
一般的に、正常な方と、発達障害をお持ちの方の二通りの方がいて、正常な人はみな、同じ認識能力を持っていると考えられがちです。
しかし、たとえば方向音痴の方がおられるように、認識能力は人それぞれで、みんな違います。
その中で、一定の線を引いて、ここまでが正常で、ここからが正常でないと、区別しているだけなのです。
本来、正常とか、異常とかといったことは、ありません。
それぞれの人に、それぞれの個性があるだけなのです。
ただ、認識能力が高くない人の中には、特別に頭のよい人がいて、認識能力の不足を頭のよさでカバーしてしまうために、まわりが認識能力の不足に気がつかない、ということが起こります。
第二節 後天的に認識を分化させないケース
人の話を、聞こうとしない人がいます。
むしろ、全力で、人の話を聞くまいと、頑張る人もいます。
そういう人は、そもそも人の意見や立場を、受け取りませんから、認識が分化するはずはありません。
ほとんどの場合、それでは社会において生きていくことが困難ですから、たとえ少しずつでも、人の話を聞かざるを得なくなります。
しかし、大変頭のいい方に多いのですが、本来、まわりからの情報で形成されるべき認識を、自分なりの理屈で構成してしまうことがあります。
そうした方は、独りよがりに、自分に都合のよい形に、自己の認識を構成してしまいますから、極めてわがままとなるのですが、まわりの受け取り方や批判を感じ取ることができませんから、自己の認識が正しいものとして生きていくことになります。
こうした場合は、社会のルールやマナーを守ったり、協調性を発揮することが、極めて困難になります。
第三節 相手に言葉や思いを投げつける
本来、認識が分化していれば、自己の認識内において相手のことを思い描き、相手にわかりやすい言葉で、相手を傷つけないように伝えることができます。
しかし、認識が分化していない人の場合、相手を思いやることができませんから、自己の認識内にあるものを、そのまま相手にぶつけることになります。
自分の考えのみを、相手のことを斟酌せずにぶつけるのですから、はた目には、自分勝手なわがままな言い方というように聞こえます。
当然、そうしたまわりの思惑も、本人が感知することはありません。
また、自分がきつい言い方をしていることに気がついたとしても、それを能力の不足とは捉えず、自らの性格によるものと、考える傾向があります。
第四節 自分の中にないものは受け取れない
認識が分化していない人でも、一見、人の話を聞いているように見えることがあります。
まず、その人の考えと、比較的近い考えは、その人の考えと、合致する部分に関しては、受け取ることができます。
違いが多少のことであれば、その人の考えに近い部分を受け取るか、その人の考えに近い形に変形するか、その人の考えと異なる部分を切り捨てるかして、一応は受け取ったという形を作ります。
しかし、自分の中にないものは、受け取ることができません。
この世に存在していても、あるいは、相手が伝えようとしても、その存在を知覚することができず、当然、受け取ることはできないのです。
認識が分化していない人にとっては、自分が認識できないものは、この世に存在していないのと同じなのです。
第五節 欠けている能力に気がつかない
そもそも、認識が分化していない人は、自分の中にないものを認識することができません。
本来であれば、当然受け取れるはずのものを、受け取れないのですから、自己の能力が不足していることに、気がつくはずです。
しかし、認識が分化していない人にとっては、自己の中にないものの存在を感知できないわけですから、それを自分が受け取ることができない、ということを、自覚することができないのです。
第六節 怒りやすい
認識が分化していない人の、まわりにいる人には、その人の受け取る能力に問題があることは、すぐに分かります。
しかし、それを本人に伝えようとしても、本人は受け取ることができませんから、ただ単に誹謗中傷を受けたと思い、怒り出すケースが多いのです。
また、受け取ることができる情報の範囲がきわめて狭いので、自分に向けられる話の、大部分は受け取ることができません。
そうした場合、そのような話は聞く必要がないのだと、理屈を構築するケースと、受け取ることができないということに我慢がならず、突然怒り出すケースとがあるようです。
そもそも、やり取りをする能力がないのですから、論理的に議論をしたり、何が理解できないのかを説明したり、理解できないことを質問したりすることはできないわけです。
怒るということが、手段のうちに入るのかどうかは、難しいところですが、少なくとも、怒るという以外の手段を持っていない、という状況に立ち至るわけです。
そして、相手の気持を考える能力がないわけですから、理不尽なぐらい、怒り狂う、というケースが、まま、行われる、ということになるのです。
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