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“もののあはれ”と絵馬に願ひを!

※こちらはSound Horizonの7.5th or 8.5th Story BD『絵馬に願ひを!』(Full Edition)のネタバレが前提となります

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追記:10/19 23:30
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🟣::: 紫青の参道 :::🔵

の想ひや 物のれ 」

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◇はじめに

紫青の参道を聞いている時に「もののあはれ」という歌詞から、ふと本居宣長のことを思い出しました。

大河ドラマ『光る君へ』で何かと平安時代が話題な2024年ですが、源氏物語の「もののあはれ」論を提唱した本居宣長は古事記研究でも知られています。

絵馬フル発売前に本を借りて読んだ記憶があることから自分の呟きを検索。
気になるワードが出てきたのでちょっと文章にまとめてみたいと思います。

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◇本居宣長について

経歴

本居宣長(もとおり のりなが)
生没年:1730年6月21日〜1801年11月5日
出生地:伊勢国飯高郡松坂本町(三重県松阪市)


18世紀最大の日本古典研究家。
木綿商の家に生まれるが、医者となる。
医業の傍ら『物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。
主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。
山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。

https://www.norinagakinenkan.com/pages/40/


この段階で絵馬的に気になるワードが見受けられるのが分かります。

古事記伝📚

宣長は古事記を研究し、読めるように翻訳したり時代の背景や習慣などの注釈を含めた書『古事記伝』全44巻を約35年かけて完成させました。

当時は日本書紀が重要な歴史的正史であるという考えが一般的でした。
それを古事記伝の冒頭で批判し、国内向けの古事記と国外向けに書かれた日本書紀というそれぞれの立場の違いを確立したのが宣長です。
絵馬に願ひを!の登場人物の名前は古事記ベースです。現代の私たちが日本神話といえば古事記となったのは埋もれていた書物を掘り起こし再評価した本居宣長の功績であり、サンホラでいえばMoiraにおける遺跡を掘り起こしたズボリンスキーの立ち位置と近いと考えています。


もののあはれ論


紫青の参道を聞く前から「もののあはれ」という言葉をご存知な人は多いと思います。

言葉の用例は平安時代に遡り、「あはれ」という言葉の解釈は広く「あはれ」に「哀れ」と漢字をあてると物悲しく儚いイメージに捉えられますが、本来は「しみじみとした趣がある」「すばらしい」といった賛嘆や愛情を含む深く心をひかれる感じを意味します。

江戸時代中期に国学という学問の分野が発展しました。


国学とは、狭義には『古事記』、『万葉集』、『律令』、『延喜式』、『和名抄』その他の古代文献に基づき、日本の古代文化、文学を明らかにしようとするもので、契沖、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らを中心に確立された学問をいう。
(中略)
同時に彼等は、それ以前に『古今和歌集』『源氏物語』などの研究者であり、歌人であった。

https://www2.kokugakuin.ac.jp/kada/joho/joho_suzuki_001.html


『源氏物語』は書かれた当初からたくさんの人に読まれてきましたが、時代の価値観により評価が変わります。

「物語にいへるよきあしきは、よのつねの儒仏などの書にいふ善悪とは、同じからざることあり。されば物語にいへるよきあしきをひたぶるに(一方的に)儒仏の善悪とのみ心得ては、たがふふしおほかるべし。」
        本居宣長 著『源氏物語玉の小櫛』

https://mabuchi-kinenkan.jp/waka/013.html


『源氏物語』を儒教や仏教の「善悪」と物語の「よきあしき」は本質的に違うもので、純粋な文芸として評価したのが本居宣長です。

15周年記念祭2/7公演『宵闇の唄』後に神社関係者が「復讐は何も生まないと言ひますが、果たしてそうでありましょうか。復讐も願ひの一つではないでしょうか。復讐もまた人の願ひなれば、善悪の彼岸 狼欒神社へようこそ」とニーチェの言葉を引用していて話題になりましたが、『源氏物語』でも“善悪”について議論があったというのは興味深いです。


「もののあはれ」とは、四季に移ろいゆく風情や男女や親子・友などの間の情愛や離別、哀惜などによって生じる、しみじみとした情緒や気分をあらわす言葉です。

https://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2017/1112/post-1/


古来から親しまれる自然観と世の無情さを端的に表しており、この説明を読むと絵馬は「もののあはれ」を意識した内容であることがわかります。


以前『あはれなる人』というタイトルでイラストを投稿しました。

このタイトルは源氏物語第五帖/若紫の一節「あはれなる人を見つるかな」からつけています。

X(旧Twitter)の特性上「あはれ」という単語を見て古文が好きでなければ「哀れな人」と捉えるだろうということも含め、二人の間にある複雑に混じり合った感情をイメージしています。

再臨祭で黄色いカーディガンを着た女性(酒林妻)が遊戯盤でお腹を殴られニュース音声と同時に動かなくなる等の演出と月人「亡きお母様〜」の文字色や佐久夜「亡き母は私をどんな子に〜」のスポットライトが黄色であることから同一人物説などもありましたが、

源氏物語の
桐壺の更衣(光源氏の実母/源氏3歳の夏に亡くなる) →酒林妻(月人母)
藤壺の宮(桐壺の更衣大好きな桐壺帝が似てるという噂を聞いて入内させた/光源氏の初恋の人)→鹿屋野

このことから、月人の母親と鹿屋野の二人は似ている人物設定であると考えられます。
(絵馬再臨祭公演期間中はキャラの名前が不明なことからざんまいさんと呼ばれていました)

そして、若紫(のちの紫の上)
藤壺の宮の姪で容姿が生き写し。祖母のもとで育てられており、病気療養で北山に来ていた光源氏に見初められます。祖母の死後光源氏が引き取り理想の女性として育てた後、(ほぼ無理やり)妻となります。この見初めるくだり等々まさしく須久奈(酒林)月人にとっての佐久夜姫子(左参詣す/紫)に繋がる流れがみえてきます。
優しい男性と思っていた人物から無理やり行為におよばれながら彼を受け入れるさまはまさしく佐久夜姫子のモデルといって過言ではないでしょうか。

「もののあはれ」について、宣長は下記のように「もののあはれを知る」ことが重要であるとしています。

物の哀れをしる事は、
物の心をしるよりいで、
物の心をしるは、
世の有さまをしり、
人の情に通ずるよりいづる也

https://www.kogeistandard.com/jp/insight/serial/editor-in-chief-column-kogei/mononoaware/

世の中を深く洞察し、人の情に触れることによってこそ、物の心を知り、もののあはれを知ることができる。

心ひかれる感じ知るということは“深い洞察力”によって“人の心を知る
感情を抱いて終わり……ではなくなぜそのような感情を持つに至ったのか知るためには“考える”行程が必要です。

信徒が絵馬に託した願ひに対して関係者ズのセリフ

神社関係者

嗚呼、其処に《…へと至る物語の可能性(ロマン)》は在るのだらうか?

能楽関係者

「嗚呼、其処に《…へと至る物語の多様性(ロマン)》は 在るのだらうか?」

Revoさんが常に言われる作品の解釈は自由であることや、作品に対して受動的ではなく能動的であることを求められていることにも通じるのではないでしょうか。


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◇本居宣長と水分神社


子授け祈願🙏

若山行日記 寛政十一年
「みくまりの 神のちはひの なかりせば うまれこめやも これのあがみは」
(現代語訳:吉野水分神社の神のおかげがなかったら、私は生まれてこれなかったかもしれない)

宣長の父は男児が生まれるようにと吉野の水分神社にお祈りしており、宣長のことを水分神の申し子と信じていました。


水分神社

「水分」と書いて「みくまり」と読みます。

吉野水分神社は奈良県吉野郡吉野町子守地区(吉野山上千本)にあり、子守宮とも。
2004年に『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として世界遺産に登録されたことでも知られています。

文献では
続日本紀
文武天皇2年(698年)4月29日の条
「馬を芳野水分峰神に奉る。雨を祈ればなり」
→芳野水分峰神に馬を奉り、祈雨した

万葉集
「神さぶる 岩根こごしき み吉野の 水分山を 見ればかなしも」

→神々しい岩がそびえ立つ、み吉野の水分山を見ると切ないことよ

https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=1130


奈良時代には神社が存在していたことが伺えます。


「みくまり」が訛って「みこもり」となり、子授けの神としての信仰を集めました。

平安時代中期頃からは子守明神とも呼ばれ、
御堂関白記』:藤原道長
「子守明神」として登場
1007年(寛弘4年)の御嶽詣では御幣を奉る
(この文章を書いているときに大河ドラマ「光る君へ」でちょうど御嶽詣する様子が放映されたのでテンション上がりました)

枕草子』:清少納言
「神は松の尾。八幡、この国の〜(中略)みこもりの神、またをかし。賀茂、さらなり。稲荷。」

また、豊臣秀吉も子授け祈願に訪れ、秀頼を授かったそうです。


水分神

水分神(みくまりのかみ)は水源地や水路の分水点に祀られる神です。天之水分神速秋津日子・速秋津比売の子である八神(沫那芸神・沫那美神・頬那芸神・頬那美神・天之水分神・国之水分神・天之久比奢母智神・国之久比奢母智神)の第五にあたります。


吉野 水分神社の鳥居⛩️

狼欒神社の鳥居は朱塗り明神鳥居(台輪あり、神額と藁座が立派)です。

細かい部分はさておき、鳥居は主に神明鳥居と明神鳥居に分類されますが絵馬に願ひを!に関わる元ネタの神社の鳥居は

陽葦火山神社→ 日吉浅間神社: 神明鳥居

検索画像を元にスケッチ 画:然夜歌

鳥居の種類が違います

陽葦白銀神社→ 銀鏡神社: 明神鳥居

検索画像を元にスケッチ 画:然夜歌

鳥居の種類は同じですが台輪や藁座、朱塗りではありません。

また、エンドロールに名前のある
雉子神社: 明神鳥居

検索画像を元にスケッチ 画:然夜歌

明神鳥居で立派な神額と四角いですが藁座あるが、台輪なし。

比較した結果どれも朱塗りではなく台輪もないことから該当しないタイプの鳥居のデザインにしたのだと思っていました。

もののあはれ論から自分の過去の呟きを検索し、

宣長が水分神の申し子の件は本で確認済みだったのですがどんな神社なのかまでは調べておらず、吉野水分神社を検索すると…………

検索画像を元にスケッチ 画:然夜歌

朱塗りの明神鳥居で台輪あり…!?!?!!!

額束のみで神額や藁座はありませんが、初めて写真を見た時に雰囲気が似ていて驚きました。
(鳥居の建つ場所がジャケ絵と似ています)

狼欒神社の鳥居は複数参考にデザインされていると思いますが、雉子神社と吉野水分神社の鳥居要素を足したら近そうだなという感想です。

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◇絵馬と水

Lost/水/少年少女

「水」の映像と「記憶」というワードから第3の地平線との強い関わりが浮かぶことから『Lost』が絵馬の世界、特に少年少女の記憶曲について考える上で重要になってきます。

忘却と喪失の狭間で揺れる 第三の幻想『Lost』

「忘レモノハ在リマセンカ…?」


少年/少女の記憶曲

母親という存在の「喪失」から少年少女の水底の記憶

少年 酒林(須久奈)月人
 生きているのはボクだけなんだろ?
 生と死の遊戯盤
少女① 佐久夜姫子
 私の生まれた《地⛩️線》
 恋では花を散らせない
少女② 石長姫子
 私の見つけた《地⛩️線》
 恋は岩をも動かして

『Lost』にて
少年は「いなくなっちゃえばいい」→死
少女は「流れてゆきなさい」→生
という対立構図がみえますが、絵馬ではより複雑な心境と主張が伺えます。

再臨祭で記憶曲がはじまるときに手水舎を覗き込む関係者の姿で美しい箏の音と共に流れる水は手水舎の水盤だと判明しました。

手水舎といえば、モバ城の写真にて雲の水口(水が流れ出るところ)に十字星が確認できます。
夜空の雲間に浮かぶ十字星はオープニングで夜空を見上げるシーンを連想します。

十字星から流れ落ちる水とその水盤の水面を覗き込んでいる関係者……
ナレーションにて、少年少女の人生に問いかけるエピソードであるとされる記憶曲。

手水舎をスルーした佐久夜姫子とパーフェクトだった石長姫子の行動の差が後の選択に影響していそうなのでこの辺はまた時間があるときに考察したいです。


元々、絵馬という風習自体が祈雨のために馬を捧げていたことから、水と関わりが深いと言えます。

さらに、本居宣長からの水分神は水源地または水路の分水点に祀られる神であるので、記憶曲が少年少女の人生に問いかけるエピソードであるという意味で関わりがあってもおかしくありません。

絵馬で最初に出てくるのが那美さんズの子宝祈願に関して、もちろん一番は日吉浅間神社やコノハナサクヤヒメの属性といった意味がメインですが根底部分に水分神や吉野水分神社の子授けのことも含めているのではないかと思案します。

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◇本居宣長と鈴🛎️


本居宣長は鈴と山桜を大変愛していました。
宣長は勉強で頭がつかれてきたり、研究が進まなくなった時に鈴の音を聞いて気分を変えていたそうです。

旧宅・鈴屋

書斎には宣長自身が考案した六個の小鈴を六箇所に赤い紐で結びつけて柱に掛け、垂らした紐の端を引くと三十六の鈴を振り鳴るようにしていまして。書斎は鈴屋(すずのや)と称し、宣長の号でもあります。

「鈴屋集」巻五はこのことを、
 「鈴屋とは、三十六の小鈴を赤き緒にぬきたれて、はしらなどにかけおきて、物むつかしきをりをり引ならして、それが音をきけば、ここちもすがすがしくおもほゆ」
と記しています。

http://www.inetmie.or.jp/~nishi-3/suzu.htm

書斎にあったという、三十六鈴柱掛鈴の画像⬇️


鈴といえば猿田犬彦の可愛い妹的存在である愛猫“すず”がいます。
(『恋は果てまでとまらない』第三の道にて許理と犬彦の子どもの名前も“すず”)
また、15+1個の因子を集め、正中の赤い鈴の印(一見神楽鈴っぽく見えますが鈴緒が捻じ曲がっている?)を八回鳴らし第三の道へ至るという重要なモチーフでもあります。

宣長の書斎・鈴屋と第三の道へ至るために鈴が使われていることに繋がりを感じつつ、ここはもう少し考察の余地があるかもしれません。


本居宣長ノ宮

旧本居宣長神社は三重県松阪市にあり、平成7年に本居宣長ノ宮に改名したそうです。
神社から宮になってる?!?!)

【主神】秋津彦美豆櫻根大人(あきつひこみずさくらねのうし/本居宣長)
【相殿】神霊能真柱大人(平田篤胤)

速秋津日子と速秋津比売の子神である水分神の申し子が秋津の名前というのは非常に興味深いです。

秋津+水+桜+根は佐久夜姫子を連想しますよね。

※秋津彦美豆桜根大人は諡(おくりな)で仏教でいう戒名のようなもの
※大人(うし):男性や先人に対する尊称として使われる

+・+・+・+・+・+・

◇おわりに

『紫青の参道』を聴きながら「もののあはれ論」を思い出し、古事記のこともあるので本居宣長を調べてみるか〜と検索したら気になる情報がわんさか出てきて楽しかったのでまとめてみたのですがいかがでしょうか。

其処にRomanは在るのだろうか……

この言葉はSound Horizonを象徴するセリフだと思いますが、本居宣長の「もののあはれを知る」に通じているのではないかと気付いた時にはさすがにびっくりしすぎて子育て寝不足中の眠気も覚めました。

絵馬という絵巻のきっかけが1枚の絵馬であり、子授けを願う那美さんズであることや水モチーフの重要度を考えると宣長の水分神のおかげ(神の恩恵)要素も可能性ありそうですよね。




最後まで読んでくださりありがとうございました!


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