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愕然として門前に立つ一人かな

〜マイラブ ザ 碧梧桐句碑〜

記:いけだ

河東碧梧桐の句碑を尋ねるというのが「碧梧桐探訪舎」のはじまりであり、大体の句碑をこの目で見て参りました。

どの句碑も良い……!といえども、やはりなんとなく自分の中でランキングはできてしまいます。

やはり「碧梧桐の揮毫」の書が元になった句碑は、特に好きです。
元々中国六朝時代の拓本を手本にしてうまれた碧梧桐の六朝体、石に彫られていた字が手本なのですから、石に刻まれるのは原点回帰というか、碧梧桐の書は石に映えるに決まっている!という自論です。

そして、揮毫した書がその地にあったということは、碧梧桐がその地に訪れたか、その地の人と交流があったかして、何かしら碧梧桐との繋がりがあるはずです。その繋がりを見つけ出して、この字で句碑を立てよう!…という、建立者のアツい気持ちが伝わってきます。

さらにサイズが大きいとなおよしです。デカいほど碧梧桐の書は映えますしね。デカい岩にも負けない字の強さを体感できます。

そんなわけで、「碧梧桐の揮毫である」&「建っている場所のことを詠んでいる」&「大きい」が揃うと、とても好きです。

これだけでも結構絞られてきますが、更に付け加えると、「句碑の建つ場所」。
この景観は句碑のためにあり、句碑のためにこの景観がある……と思わせてくれるような、そんな句碑があります。

それが、こちら。

\ドン/

最初の画像、門から見た景色が本当に美しくて、初めて見た時は感動しました。
その場所にあるべき句碑……!

この句碑は、愛媛県松山市は三津の、定秀寺境内にあります。

三津といえば、明治期、松山を出る若者がこの三津から船に乗って旅立った港。『坂の上の雲』でも登場した印象的なスポットです。
また俳句関連ですと、正岡子規が最初で最後の師・大原其戎に俳諧を学びに行った場所。
そして若かりし子規、虚子、碧梧桐などが遊びにいって句会を行うなど、何かと名前の出てくる場所です。

そして碧梧桐にスポットライトを当てると、新傾向俳句を推し進める三千里の旅、明治43年の夏に碧梧桐は愛媛県を訪れており、8月11日に三津を尋ね、この定秀寺で句会をやったようです。

この句碑の俳句はその時に詠まれたもので、そして字体から推測するに当時書かれた書。
「銀杏寺」とはこの定秀寺のこと。境内にとても大きな銀杏の木があります。

「銀杏寺」と呼ばれる所以

定秀寺のことを詠み、そのときに揮毫したであろう書を元にした句碑を、抜群のロケーションに配置するという……、とっても大事にされていると感じて、オススメの碧梧桐句碑を問われたらこの句碑を答えるほど、大好きな句碑でした。



でした……(過去形)。


先日、用があり三津に訪れたので、マイラブ句碑を見に行こ!とルンルンで向かったところ………

ア゛ッ 何
ウワー!!!

あの「門から見える句碑」の景観が無くなっていました……(悲)
どうやら庫裡ができるようです。

句碑がどこに行ったかというと、ちゃんと境内にありました。本堂の前です。

寄せ集め句碑になっちゃった……
しかし句碑の美しさは変わらず
本堂へあがる階段から撮影。
銀杏と句碑を一緒に見られるようになったのはよかったかもしれない……

あの景観を2度と見られないのは悲しいですが…………
黄色い銀杏と句碑を一緒に見るのが楽しみになりました!(ポジティブ)


しかしやはり悔しい私、せめて句碑が移動しているところが見たい!!
この句碑結構大きいので、どう移動したんでしょうか………。

定秀寺さんの公式サイトにアクセスすると、Instagramを発見。
投稿を遡り……ありました!
昨年2023年10月13日の投稿です。

一番最後の画像、ウワー掘られている!
この投稿によると、工事の様子はブログからも見られるとのこと。

まっさらになってる………(犬かわいい)

句碑ってどうやって運ぶんでしょうね……。
写真見た感じ、だいぶ深くまで句碑の石が地面に刺さっていることがわかります。地上に出ている句碑の部分は氷山の一角という感じがします(?)
丸い形でもないのでゴロゴロ転がせないですし……ショベルカーとかが出動したんでしょうか。気になります。今度伺ったさいに尋ねてみようかしら。


というわけで、マイラブ句碑、場所移動してたの巻でした(完)。

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