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碧梧桐の芦屋時代の住所を調査

(記:やまもと)

大正8年に碧梧桐は兵庫県芦屋に転居しています。
しかし、その住所は図録に載っているハガキの宛先や各種年表でも芦屋浜、芦屋海岸等の表記ではっきりとわからず……。
番地等なくても芦屋の字名と碧梧桐の名で届く当時の郵便事情には驚きますが、ゆかりの地を訪ね歩きたいものとしては具体的な場所が知りたいところです。

と思っていたさなか、入手した雑誌に気になる記述がありました。

(前略)碧はその後大正八年、大阪で創刊された「大正日々新聞」の社会部長として西下し、芦屋市の松浜町一二八番地に約一年間仮寓するのだが、その貸別荘をあっ旋したのも微笑子であり、(後略)

昭和57年11月『書の美 復刊 第24号』書の美研究会

昭和57年の『書の美』内、宮崎修二朗氏による「碧微交情のひとこま」内からの引用です。微笑子さん(碧梧桐の弟子)から聞いた情報のようです。ほかに言及がなく、今のところ手掛かりはこれだけなので、今回はこの住所を調査していくことにします!

松浜町128番地を探して

手はじめに最新の住宅地図を確認すると、現在は松浜町○○‐××表記になっています。これは昭和37年の法律によって変わったもののようです。(↓リンク先『新修芦屋市史 本篇』)
本来なら引用元の『書の美』発刊時には既に「松浜町128番地」は存在しないはずですが、おそらく書かれたときに親しんだ住所で記憶されていたのでしょう。

とにかく古そうな地図にあたってみよう……と検索したところ、兵庫県立図書館所蔵の昭和12年刊『兵庫県武庫郡精道村土地宝典』がよさそうなので、閲覧しに行きます。(↓リンク先兵庫県立図書館書誌)

昭和12(1937)年『兵庫県武庫郡精道村土地宝典』より 大日本帝国市町村地図刊行会

松浜町はどこに……?と思ったら昭和15年の市政施行時に酉新田から松浜町に変わったようです。大正から変更がなければ、碧梧桐滞在時に省略されていた小字は酉新田だったろうと思われます。(↓リンク先『新修芦屋市史 本篇』)

海岸を埋め立てた以外は、現在と昭和12年の区画は大きく変わらないように感じます。碧梧桐のいた大正8年からは20年ほど経過していますので、もしかしたら当時からは変わっているかもしれませんが……

それ以降の地図をいろいろ確認していきますが、なかなか番地まで書かれたものは見当たらず……挫けず地図情報にあたります。
芦屋市図書館蔵の『芦屋市市街地図綴』……もう地元のこれになかったら市役所で聞くしかない!(実際そちらのが早かったりするのですが……!)
めくっていくと昭和40年の「芦屋市地番図」に松浜町128番地の文字が!

『芦屋市市街地図綴』(芦屋市図書館蔵)内、昭和40年の「芦屋市地番図」をもとに書き起こし

資料劣化の関係で複写や撮影ができなかったため、残念ながらわたしが地図をみながら書き写したものです。
昭和43年には旧番地としても128は消滅しており、やや疑問の残る現在地にはなりますが、

このあたりが松浜町128番地なのではないかと!
当時は海岸に面したエリアですし、貸別荘があってもおかしくはなさそうです。いつ頃からかはわかりませんが、ホテルもあったようです。

Googleストリートビューからもわかりますが、現在は住宅地になっていますので、訪れる際はお気をつけて。

まだまだ調査段階ですので、補強する情報や、いや違うのではないか等の情報お寄せください……!




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