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何者かになると決めてしまったら、別の何かになれなくなってしまう

この時、青年が考えていたのはこういうコトでした。

「究極の作家になるためには、特殊な人生を歩まなければならない。でも、それだと人としての幸せは得られなくなってしまう」


「特殊な人生」とはなんでしょう?

たとえば、「劇団を運営して、次から次へと舞台を上演していく」「旅人して世界中を歩き回り、各国の文化や言語を学んでいく」…といった感じでしょうか?

でも、それって、「劇団の主宰や演出家」であり「旅人や言語学者」じゃないですか?

その役割を演じてしまったら、別の役になれなくなっちゃうんです。何かを極めようとすればするほど、別の何かになれなくなってしまいます。

「マスター・オブ・ザ・ゲーム」だってあるのだから、何か1つを極めるというのは、そんなに難しくありません。でも、それをやってしまうと、「他の可能性が閉ざされてしまう」のです。

「何にでもなれるけど、同時に何もかもにはなれない」

青年は、この矛盾に苦しみます。


たとえば、適当な仕事を見つけて、一生懸命働いてそれなりのお金を稼いで生きていくことだってできるんです。職種は関係ありません。だって、なんにでもなれるんだもの。

そうすれば、あの人は喜んでくれるでしょう。親や弟や妹や親戚や周りのみんなも「うわ~!凄いね!」と尊敬してくれるかも。けれども、それをやっちゃうと「究極の作家」からはどんどん遠のいていっちゃうんです!

青年が心の中に描いていた「究極の作家の姿」とは、あらゆる存在になり、何もかもができる者。現実にできなくてもいいんです。空想世界でありとあらゆる存在になれさえすれば。

そのために、いろいろな人生を経験したかったんです!

それって、言い換えれば、こういうコトになりません?

「決して何者にもならない人生」


…というわけで、青年は何者にもなりませんでした。

ある時は、飛び込みの営業マン。またある時は、ハンバーガショップの店員。ボランティアに没頭してみたり、恋愛にハマってみたり、「世界を変える!」と決心してその身を投げ出してみたり。劇団を立ち上げることもあれば、突然海外に旅立つこともあります。

残りの人生もずっとそれをやりたかったんです!これから先ずっと何者にもならず、瞬間的に何かになって全力を尽くす。いわば、「究極の体験入学」みたいなもの!

そうするコトで「ありとあらゆる人になり、全ての人の気持ちが理解できるようになる」と考えたわけです。世界中全ての人の気持ちがわかれば、どのようなキャラクターだって生み出せるでしょ?

それは作家として最高の武器(能力)になる!


ところが、実際にやってみて青年は1つの欠点に気づきます。

「この人生は、人としてあまりにも不幸だ!」

そりゃ、そうです。次から次へと出入りする場所を変え、関わる人を変えていったら、心は安定しません。精神は不安定なまま、常に揺らぎながら、不安や未来への恐怖におののきながら生きていかなければなりません。

作家としてはどんどん成長していくのに、人としてはどんどん幸せから遠のいていってしまうのです。

そして、最初の文章「究極の作家になるためには、特殊な人生を歩まなければならない。でも、それだと人としての幸せは得られなくなってしまう」につながっていくのでした…

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。