長編小説執筆の途中で力尽きる
…と、ここまででした。
『僕の改革 世界の改革』は、当初、1幕が30~40話+プロローグとエピローグで構成され、全7幕で完成の予定。
なのに、半年続けたところで、力尽きてしまったのです。
実際には第6幕の最後まで執筆されていたのですが、インターネット上に公開されたのは、この辺りまで。残りはお蔵入りとなります。
なぜ、そんなコトになったかというと…
1つには完全な能力不足。元々、青年は長編小説を書くのには向いていません。アイデア自体は無限にわいてくるのですが、1つの作業を長く続けるのは苦手。特に、単純作業は苦手中の苦手だったのです。
小説って、頭の中で空想をふくらませているまでは楽しいのですが、その空想を実際に文章にして読者に伝えるというのは、現実の能力であり単純作業でもあります。
それも、ショートショートや短編ならば、まだマシです。なぜなら、1作が数時間~数日で完成できるから。
ところが、長編となるとそうはいきません。最初の1文字を書き始めてから、最後の1文字を書き終えるまで、数か月を要してしまいます。まるで、マラソン選手みたいにひたすら走り続けなければいけないんです。
なので、この時の青年には、そもそも長編小説を執筆するという作業自体に無理があったのです。
では、なぜ、ここまで書き続けるコトができたか?
それは、ひとえに「1年間に渡る労働の日々」が成した行為。カサ屋さんで働いていたつらく過酷な時間が、とてつもなく大きなストレスとなり、本来持っていない「長編を執筆する」という行為に及ばせたのです。
そのエネルギーも、半年に渡る執筆活動により、枯渇してしまいました。以後、数年間、まともに小説を書くことはできなくなってしまいました。残りの日々は、ノートに膨大な量の『アイデアのカケラ』をメモするだけで、無為な時間を過ごすコトになります。
もう1つの理由。
それは、青年の性格にありました。彼は、あまりにも気まぐれ過ぎたのです。
それは決して悪いコトばかりではありませんでした。気まぐれな性格だからこそ、次から次へと人々が思いつかないような斬新なアイデアを思いついたり、ある日突然、世界の果てまでスッ飛んでいって、未知の場所で冒険したりもできるのです。
そういう意味でも、青年に与えられた天性の資質はスプリンター(短距離走者)であり、長距離を走るマラソンランナーのような作業は苦手でした。
*
『僕の改革 世界の改革』は、青年の深層心理を具現化したような物語。
青年自身も最初は「この物語は、どういう意味を持っているのだろうか?」と、頭の中に疑問符が浮かんでおり、内容もメッセージもわかっていませんでした。
ところが、書き進めるに従って、青年は自分自身で理解し始めます。
「ああ~!なるほど!こういうコトがやりたいんだ!」と。
1幕を書き終え、2幕を書き終え、3幕を書いている途中で全体の構想が見えてきます。
「わかった!これって、そういう物語か!じゃあ、最後はこうなるしかないじゃん!ラストシーンが見えてきた!」
…と、構想自体は最後まで進んだのですが、実際にはそこまで執筆されることはありませんでした。アイデアだけがメモされ、パソコンの隅っこに保存されることになります。
そうやって、何台もパソコンを買い替えるたび、ハードディスクの片隅にバックアップ情報の1部として眠り続けるだけ。
なので、『僕の改革 世界の改革』の原稿が現存しているのは奇跡みたいなものなんです。『苦悩教室』みたいにその大部分が失われてもおかしくなかったのに…
ここで終わりにすると、読者の皆さんも大激怒でしょうから、今回は続きを公開します。
第6幕まではすでに完成していて、第7幕は「あらすじ」を書いたメモが残っているのみ。なので、これから執筆していかなければなりません。
いずれにしても、長き時を経て、『僕の改革 世界の改革』は、今ここに完成の時を迎えるのです!