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スウェーデンのコロナ対策。そして、生命倫理観

「コロナで世界を学ぶ」第31回

今回は「スウェーデンのコロナ対策」です。


スウェーデンの基本情報

デンマークと同じように、スウェーデンも北欧(北ヨーロッパ)の国。人口は約1000万人。日本の12分の1程度です。

コロナ感染者の累計は110万人。日本の人口に直すと、大体1200万人。

※ただし、スウェーデンの場合は、「陽性者数」ではなく「検査で陽性反応が出た回数」で統計を取っているので、同じ人が何回もカウントされているコトがあります。実際の感染者数はもっと少ないはずです。

死亡者は1万4500人ちょっと。日本の人口で18万人といったところ。

ワクチン接種率は現在のところ1回目60%。2回目が40%弱です。


スウェーデンはノーガード戦法ではなかった!

よく勘違いされがちなのですが、「スウェーデンはコロナに対して何の対策もせず、自然に集団免疫を獲得しようとした」という報道がなされています(ヘイヨーさんも、その報道を信じて勘違いしてました)

ところが、実際にはそうではなかったんですね。

確かに、「仕事は完全に休んで、自宅待機するように」といったロックダウンは行いませんでした。そもそも、憲法で「国民の移動を禁止するコトはできない」と明記されてるんです。

なので、ロックダウンではなく、ゆるやかな行動制限を行いました。

たとえば、「人との距離を離してソーシャルディスタンスを守るように」とか「会食は4人以下で行いましょう」とか「旅行はひかえましょう」とか「営業時間短縮の要請」「アルコールの提供は午後8時まで」といった感じで。


スウェーデンのコロナ対策は日本と似ている

ここまで読んで、「アレ?それって、どこかの国と同じような政策じゃないの?」と思われた勘のいい人がいるかも知れませんね。

そう!スウェーデンの政策って、実は日本がやってたコトと同じだったんです!

ところが、同じ人口に直してみると、これまでの日本の死亡者数が1万5000人なのに対して、スウェーデンは18万人(ちなみに、イギリスは25万人近くになります)

つまり、同じような政策をとった日本とスウェーデンなのに、被害者の数が全然違うんです。

それでも、ゆるやかな行動制限であったスウェーデンは、厳しいロックダウンを行ったイギリスよりも死亡者が少なかったんですね。


初期の行動の違いが、その後の大きな差となっていく

「なぜ、そんなコトになったか?」というと、全ては「タイミング」なんです。スウェーデンの国民は、コロナが流行し始めた2020年2~3月辺りに、余裕をこいて外国に遊びに行ってしまいました。

スウェーデンでは、毎年この時期に「スポーツウイーク」と呼ばれる、外国にスキーや旅行に行く習慣があるんです。それを止めなかったんですね。なので、いきなり感染が拡大してしまいました。

対して、日本は2020年の3月には厳しい警戒をして、みんながマスクをし始めていた頃です。初めての緊急事態宣言が出されたのも、3月13日でした。

この油断と行動の違いが、時間と共に決定的な差となって広がってしまいます。


スウェーデンでは「自然に命が終わる」のを推奨している

もう1つの大きな差は「医療の違い」です。「生命倫理観の違い」と言ってもいいかも知れません。

スウェーデンでは、体が動かなくなってきた高齢者は、介護施設に入居する人が多いんですけど。この介護施設と医療機関の連携が上手くいっていなかったんですね~

本来なら入院して酸素吸入を受けなければいけない人が、まともな設備もない介護施設て酸素ボンベくらいしか使えませんでした。

それで、介護施設内でクラスターがどんどん起きて、コロナに感染してバタバタ死んじゃったっていう…


ところが、スウェーデンの国民からすると「ま、それはしょうがないよね」みたいな反応の人が多いんです。なぜかというと、そこのとこが「生命倫理観の違い」なんです。

スウェーデンでは、介護施設に入ったら1年半くらいしか生きられません(ちなみに、日本では平均4年程度と言われています)

だから、「どうせ死んじゃう人が、ちょっと寿命が短くなっただけでしょ?」みたいな感覚。


日本では、寝たきりになった患者さんでも「1日でも長く生きながらえさせよう」としますよね?

ところが、スウェーデンでは違うんです。もう年齢も高くなってきて、体が動かなくなったような人は、「自然に死を迎えた方が幸せだ」と考えるわけです。寝たきりで長く生きても意味がないという思想。

逆を言えば、「寝たきりになったら終わりだから、なるべく元気な体を保って生きよう!」と考えるわけです。


それでも、日本と大きく平均寿命が違うわけでもありませんからね(せいぜい2~3年程度の違い)

なので、日本もスウェーデンを見習って、この手の思想を受け入れるべきなのかも知れません。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。