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何もかもをわかり過ぎることの弊害

あの人との関係は、とても不思議なものでした。初めて会った時からずっとそう。顔を合わせれば、相手が何を感じているか瞬時にわかるし、遠く離れていたってなんとなく相手の状況を察することができます。

まさに「以心伝心」

でもね。相手の気持ちがわかり過ぎるというのは、意外とやっかいなものなんです。「いいな」とか「好きだな」という気持ちが伝わってくるだけでなく、「嫌だな」とか「めんどくさいな」とか「疲れたな…」といった感情まで伝わってきちゃうんです。

人間関係って、そういうものじゃないのに。目の前の感情に揺られるというコトは「相手の顔色をうかがう」という行為に他なりません。

そうではなく、どっしりと腰をすえて構え、相手の感情に影響を受け過ぎないようにしないと。つまり、「好き過ぎたり」「わかり過ぎたり」しない方がいいんです。ある程度「どうでもよかったり」「無視したり」し合える関係の方が長続きするもの。

みなさんにも、そういう経験ありませんか?


青年には、あの人の心が離れていくのがわかりました。原因は自分にあることも知っていました。

あの人が望んでいたのは「側にいて」「やさしくしてくれて」「自分を不安にさせず」「お金の心配もさせない人」そういうのが理想だったんです。

でも、青年はそれとは全く別の人生を歩んでしまっていました。「創作の神に戦いを挑み」「自由を求め」「自分勝手で」「ろくすっぽお金も稼いでこない人」

青年は、彼女の理想とは程遠い人間。でも、その理想は「限界を作ってしまう」ということもよく知っていました。自分の居心地のいい場所を与えてくれる人は、同時に成長を止めてしまう人でもあるのです。

青年は、彼女の理想の存在ではなかったけれど、「理想以上の存在」でした。少なくとも、そうなれる可能性を秘めた人。でも、そのためにはいろいろとクリアしないといけない条件があります。心が離れてしまわないように、常に連絡を取り合うとかね。

簡単に言えば、「似た者同士て一緒にいた方が心地いいけど、成長は止まる」「全然違う人といると大変だけど、無限に成長を遂げられる」ということです。

         *

中学校の夏休みが近づき、あの人の誕生日になりました。

青年は、それを知っていましたが、「お誕生日おめでとう♪」と一言も言えないまま。ひさしぶりに電話で話すことができましたが、それも非常にそっけない態度でした。

きっと、他に好きな人ができたか、すでにおつき合いしている人がいるのでしょう。遠く離れていても、それが伝わってきました。

「もう、これ以上邪魔しない方がいいかも知れない…」と青年は思いました。「たとえ、それが長い目で見た時に間違っている行動だとしても、あの人が目の前で望んでいるなら、それを邪魔してはいけない」と。

それに、この時の青年はあまりにも無力過ぎました。まともな収入があって、彼女を奪っていって養えるだけの力があればいいけれど、そういうわけでもないのです。

青年にできるのは、ただ1つ。常軌を逸したレベルの想像力を駆使し、無限に空想世界を広げていくことだけ。そうして、世界中のありとあらゆる事象を結晶化し、宝石のような物語を生み出すことだけでした。

あるいは、極限まで肥大化した空想世界は、この現実の世界に影響を与える日も来るかも知れません。でも、この時の能力はまだ未完成でした。どんなに強い空想能力を持っていたとしても、それを的確に表現する力を持っていなかったのです。


「ディケンズの分解メス」を持つ青年は、それらをよく知っていました。完璧過ぎるほどの自己分析で、ありとあらゆる条件と状況をよく理解していたのです。

「あの人が望んでいる理想」も。「その理想は、成長を止めてしまう」ことも。「自分が理想以上の存在になり得る」ことも。「現実には自分は無力である」ことも。「空想能力は、いつか世界を変えるほどの影響力を持つだろう」ことも。「現時点では、能力不足で表現しきれない」ことも。「あの人の邪魔をするべきではないかも知れない」ということも。

全部全部わかってたんです!わかった上で行動を起こしました。

眠れない夜を過ごした青年は、朝一番の新幹線に飛び乗って、あの人に会いに向かいました。

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ヘイヨー
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