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究極の作家になるための4つの能力
ここに来て、4つの能力が出そろいました。
「好きこそ物の上手なれ(マスター・オブ・ザ・ゲーム)」は目的達成型の能力。さらに、興味の対象になった人や能力を学習し吸収してしまいます。
「ディケンズの分解メス」は、人や組織を的確に分析・解析する能力。それによって、より短期間で学習を終えることが可能。そこから可能性の高い未来の映像を見せてもくれます。
「働かざる者、食うてよし(イワン・ザ・フール)」は、生活支援型能力。無駄な労働をすることなく、学習・経験・創作を行うことができます。
そして、「はてしない物語(ハンズ・オブ・ミダス)」は、触れたモノ全てを物語化し、無限に物語を生み出す能力。創作において、これほど強力な能力もないでしょう。
全ては「究極の作家」となるため、無意識下で青年が生み出した力なのでした。
もちろん、それぞれメリットもあればデメリットもあります。大きな力ほど、その代償も計り知れないほど大きくなっていく。その法則に従えば、青年の人生は非常に大きなリスクを負い、とてつもなく不安定なものだと言えたでしょう。
それでも、4つの能力を上手く組み合わせることにより、お互いの能力の欠点を補い合い、最大限に効果を発揮するコトも可能でした。全ては想像力しだいだったのです!
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「究極の作家」を目指す一方で、青年には人としての心も残されていました。それゆえ、悩んだり迷ったりすることも多かったし、逆に物語をよりおもしろくしてくれたとも言えます。
「ああ、その話だったら、もういいよ…」と、あの人の言葉をさえぎり、大事な話を途中で止めてしまったことで、青年は後悔します。
「作家としては間違いなく正しい選択をしたはず。でも、人としては…」
もしも、あの時、彼女の言葉をさえぎらずにふたりがうまく恋人としてつき合うようになっていたら、どのような未来が待っていたのでしょうか?
この時の「ディケンズの分解メス」が見せてくれた未来は、このようなものでした。
物語は「めでたしめでたし♪」で幕を閉じ、ふたりは幸せに暮らしました。
「伝説の悪魔」として身につけた数々の能力は、身近にいる人たちのささやかな幸せのために使われます。困っている人たちを助けたり、美しい花を咲かせ、花畑を作ったり。
でも、そんな幸せな日々も長くは続きませんでした。
青年は安定した生活に退屈を感じるようになったからです。安定はマンネリ化と同じ。成長も止まってしまう。それは死ぬよりもつらい苦しみでした。そうして、ボランティアを手伝うこともなくなり、自分勝手に行動するようになります。
あとに残されたあの人は「どうして、こんなコトになったのだろうか…」と寂しい日々を過ごすのでした。
もちろん、これは1つの未来に過ぎません。ネガティブな未来を見てしまったから、現実もそれに近づいていくだけなのかも。逆にポジティブな未来を想像すれば、現実の世界もそちらに近づいていく可能性は高まります。
でも、想像できなかったんです。この時の青年には…
あるいは、この先の未来がまだあったのかもしれません。たとえ一時期疎遠になり、青年が勝手な行動をし、ふたりがバラバラに暮らしたとしても。さらにその先にはバラ色の未来が存在していたのかも。
でも、この時の「ディケンズの分解メス」は、そのような未来は見せてくれませんでした。これが、この段階での青年の能力の限界地点だったからです。もっと年を経て、経験を積んだ先にある未来の「ディケンズの分解メス」なら、また別の結論を出していたのかもしれませんけどね。
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