人として幸せになれぬなら、せめて作家として高みに立つ!
青年の頭の中の思考は、どんどん飛躍し、無限に複雑化していってしまいます。
けれども、ここには致命的な欠陥がありました。「相手の気持ち」というモノが完全に欠如してしまっていたのです。
しょせん「ディケンズの分解メス」は、情報分析能力に過ぎません。人の思いや感情を扱うのは苦手でした。
恋愛を成就させたいなら、分析や解析などしてはならないのです!そうではなく、行動を起こさないと!
あの人を気にかけて頻繁に電話して、やさしい言葉の1つでもかけてあげるとか。センスのいいプレゼントを贈るとか。どんなに遠くに住んでいたとしても、会いに行ってあげるとか。そういうコトが必要だったのです。
いえ、正確に言えば、青年はその結論も出していました。頭の中では「そうしないといけない!」とわかっていたのに、行動に移せなかったんです。
「あんなに忙しい人に何度も電話したら迷惑かな?」とか「朝から晩まで働いてるのに、何時に連絡すればいいかわからないな…」とか「お休みの日も部活の顧問で学校に行ってるんだろうな」とか「たとえ時間があっても、ゆっくり寝たり、買い物に行ったりもしたいだろうな」とか、いろいろとゴチャゴチャ考えちゃったんです。
考えて、考えて、考え過ぎて、結局行動には起こせませんでした。
そこで、どうしたか?
「このままでは、ただの落伍者に過ぎない。世界の端っこにへばりついているダメ人間のひとりに成り下がるだけ。ならば、いっそのこと…」と、青年は考えます。
「この関係がどうなろうとも、物語だけは生み出そう!たとえ、あの人との結末がどうなろうとも、現在進行形のこの出来事を結晶化させる!美しい宝石のような物語として!」
そう決心したのです。そうすれば、たとえ人としては幸せになれなくとも、作家としては高みに立てるはず。
事実、それは成功しました。青年の頭の中にある複雑な心理と思考は、この後、様々な物語を誕生させることになります。
たとえば、「アリとキリギリス」を題材にした作品がいくつかと、「学校の先生を主人公にした物語」さらには「マッドサイエンティストが1人の女性を愛するがあまり全人類を滅亡させてしまう話」などなど。
それらはみんな悲劇でした。だって、その方が作品としての質が高いのだもの。「ハードくんとメモリーちゃん」のような物語を生み出した方が、あの人も喜んでくれるでしょう。でも、それは過去に1度やっています。同じ手は使いたくありませんでした。
人としての青年は「幸せな物語を書いた方が、あの人は喜んでくれる」とわかっていましたが、作家としての青年は決してそれを許しませんでした。
「ありきたりなハッピーエンドの物語など書いてはいけない!人の心をズタズタのボロボロにするような作品にしなければ!広い意味で、それこそが『読者を震撼させる物語』になる!たとえ、最後の最後に幸せになるとしても、途中の過程はどうしようもないくらいの悲劇でなければならないのだ!」
この時の青年は、そう信じて疑いませんでした。というか、手が勝手にそのようなストーリーに書き換えてしまうのです。紆余曲折を経て、主人公がボロボロになっていくような物語に!
結果、人としては上手くいきませんでした。2人の関係は破綻し、2度と会うことはなくなります。それでも、安全策として用意した「作家として高みに立つ」の方は残せました。
そう!本人に自覚はなかったかも知れないけれど、あの人は青年の作家としての才能を開花させてくれたのです!