物語には読者が必要
あの人と会ったコトで、生きる希望が湧いてきました。それまで闇の底で暮らしていたのに、一筋の光が差し込んできたかのように。あるいは、地の底に住んでいた者が地上に出る決心をしたかのように。
頭の上を見上げると、遙か高い崖が続いています。地上まで到達するには一体何百メートル登らないといけないのでしょうか?
「これを登らないといけないのか…」と、青年は一瞬、目がくらみそうになりました。
けれども、フラッと立ちくらみを起こしそうになった体を立て直すと、青年は果てしなく続く崖に手をかけました。そうして、1歩、また1歩と登り始めたのです。
この頃から再び小説が書けるようになりました。相変わらず、あまり長い文章は書けませんでしたが、それでも短い中にズッシリと重みがあるような作品の数々です。
あの人に読んでもらおうと、いくつかの短編が生まれました。
「そうか。欲しかったのは『読者』だったのかも知れない…」と、青年はようやく気づきました。
どんなにいい小説を書いたところで、読んでくれる人がいなければ意味がありません。物語には作者だけではなく、読者が必要なのです。
昔の交友関係も復活させました。1年以上連絡しなかった東京での友人たちに電話をかけ、顔を合わせたりもしました。荒廃した大地に種をまき、次々と小さな命がが芽吹いていくかのごとく。
「熱血番長」や「アブちゃん」「美嘉ちゃんと友くん夫婦」中野区ボランティア会長の「村田さん」などなど。
特にアブちゃんとは仲良くしました。頻繁に電話でやり取りをし、一緒にヨーロッパに旅行に行くほどに。
ただし、このコトは結果的に最悪の状況へと進んでいくことにもなります。大勢の人たちと関係性を築いたことで、あの人に割くエネルギーが激減してしまったのです。
おかげで幅の広さは手に入れました。その影響でより広がりのある小説が書けるようになったこともまた事実。けれども、代わりに「世界で一番大切な人」を失ってしまうことになります。今度こそ本当に…
世の中は難しい。
「大切なモノ」1つを守ろうとすると、世界は狭まってしまう。
逆に、「みんなと仲良くしよう」とすると、心の深さを失い、誰とも仲良くなれなくなってしまう。
果たして、作家としてはどちらがよかったのでしょうか?あるいは、人としては?
青年は、この期に及んでも「何もかも全てを手に入れよう」としてしまったのです。だから、大切な人は去っていき、全員と中途半端な関係を築くに留まってしまった。
ずっと昔から繰り返し続けてきた過ちを、この時もまた繰り返してしまったのです。