「ひたすらスケールを大きくしていく男」と「限定化の庇護のもと守ろうとする女性」
人生にゴールがあるとすれば、そこはどこでしょうか?
たとえば、愛する人と結ばれ、結婚し、子供が生まれ、末永く幸せな日々を暮らしましたとさ。めでたし♪めでたし♪
…なのでしょうか?
実際には、そうでないコトも多いのです。現実には、その後も人生は続いていきます。よくある物語のエンディングのように「残りの人生もずっとずっと幸せに暮らしましたとさ♪」とはなりません。
この時の青年は、それがわかりませんでした。
「信じてくれる人」が側にいて、何かに向かって懸命に打ち込んでいれば、いずれ必ず成功する。そう思い込んでいました。
でも、現実にその環境を手に入れて、「世界を変えるため」に戦う日々に、息が詰まりそうになってしまっていたのです。
でも、それでも…
「あの日々がゴールだったのではないだろうか?」と思うコトが、今でもあります。
なぜだかよくわからないけれども、「世界で一番大切な人」が毎日のように家にやってきて、ご飯を作ってくれる。一緒に「世界を変えるため」の活動したり、ボランティアに行ったりする。
それって、最高の幸せだったのでは?
青年は欲張り過ぎたのかもしれません。何もかもを手に入れようとし過ぎていたのかも?
「理想の女性」「心の底から信じてくれる人」「魔界の王」「世界最高の作家」「物語」そして「自由」
それら全部を同時に手に入れることなんて、土台無理なお話だったのかも…
けれども、青年はそれをやろうとしてしまいました。自分が望んだ夢を片っ端から全部かなえようとしてしまったのです!
21歳の「能力も経験も不足している人間」に、そんなコトは不可能でした。せめて、あと10年か20年後に成長した姿になっていれば、あるいは「全ての夢」を同時にかなえるコトもできたのかもしれません。
でも、この時点では無理があったんです!
そして、青年は迷い始めます。迷い、混乱し、迷走します。
「人は鏡」よって、その迷いや混乱は、自然とあの人にも伝わることになりました。
「一体、何をやっているんだろうか?本当にこんなコトがやりたかったのだろうか?」という青年の思いはダイレクトに彼女にも伝わってしまい、「私、何やってるんだろう?ほんとは、こんなコトがやりたかったわけじゃないのに。ただ、みんなのために尽くして、褒めて欲しかっただけなのに…」という心理に変えてしまいました。
ここにふたりの決定的な違いがありました。
青年が元々持っていた能力は「どんどんスケールを大きくしていく力」
より多くの人を巻き込み、より大きな企画を立て成功に導く。そういう能力です。
対して、あの人の方は全く逆!「世界を限定し、その限定された空間で愛する人たちを守る力」
たとえば、「家族」だとか「母子寮のボランティアの子供たち」だとか「親しい友人たち」だとか。それだけあれば充分なんです!それ以上に手を広げる必要もなければ、人数を増やさなくても構いません。
世界は「自分の張ったバリアの庇護下にある人たち」だけで構成され、それ以外の人々は存在しないも同じでした。
どちらが正解なのかはわかりません。ただ、どちらの生き方にもメリットがありデメリットがあります。
そして、そんなふたりが出会い、協力できたなら、お互いの力を中和しながらうまくやっていくコトもできたはずなんです。
青年がどんどんスケールを大きくしていくにつれ、現実からかけ離れ、企画は破綻しやすくなる。そんな時に彼女の方が「ちょっと手を広げ過ぎなんじゃないですか?急ぎ過ぎじゃない?もっとゆっくり進めていきましょう♪」と言ってくれれば、それで済んだ話かもしれないのです。
逆に、彼女の方が狭い世界に閉じこもり、社会に存在する他の多くの人たちの考えや気持ちがわからなくなってしまっている時に、青年の方が「世界は、ここだけじゃないよ。もっと広く大きな場所なんだよ。もうちょっとだけ、別の人たちのコトも見てみない?」と助言すれば、一気に広がりを持てたかもしれないのです。
そう!歯車がかみ合ってさえいれば!
このふたりの関係は、最高の相性だったとも言えるし、ほんとに世界だって変えられたかもしれないのです。
でも、実際にはそうはなりませんでした。小石1つが挟まって、歯車は自由に回らなくなってしまいます。
世界はふたりだけじゃなかったんです。あの人には家族がいたし、ボランティアの他のメンバーもいた。保護司さんや法務省の監察官、そして浜田君。
みんなが邪魔をし始めます。1人1人が投げてきたのは、小石や小枝程度のゴミクズだったかもしれません。でも、そんなちっぽけなガラクタでも、運命の歯車に挟まると動きを止めてしまうものなのです。
特に浜田君の攻撃は執拗でした。近くに存在していたからこそ、彼のことをもまた信じていたからこそ、その攻撃はズバズバと当たるようになっていきました。