見出し画像

「わかりません」が言えるようになったら大人

前回の続きでAIのお話です。

現在のAIは、文字で問いかけることによって、いろいろな質問に答えてくれます。それこそ、世界に存在するありとあらゆる疑問に対して。

哲学的な質問を投げかければ、古代の哲学者の言葉を引用して回答してくれますし。法律や経済に関しても詳しい。
子育てだろうが、保育園で行われている遊びだろうが、最新のカードゲームだろうが、とりあえず何かしらの答えが返ってきます。

こんな人間が、どこにいますか?
どれか1つの分野ならば詳しく知っている人はいるでしょうけど、全ての疑問や質問に答えられる人なんているわけがないんです!


では、精度に関してはどうでしょうか?
ほんとにAIの答えは合ってる?その情報は正しいの?間違っている答えや、いい加減な情報が混じってない?

残念ながら、現在のAIは完璧ではありません。
無数の誤りや、ウソ情報が入り交じっています。

ただし、それは仕方がないことだとも言えます。
なぜなら、AIは人間を学んでいるから。AIの発する情報は、元を正せば全部人間の発言から来ているから。
人間が間違っているならばAIも間違うのは当然じゃないですか?

それでも、以前に比べればAIの回答は格段に精度が上がっています。
その中でも、一番大きかった進歩はなんでしょうか?

実は、今のAIは「わかりません」が言えるようになったんです。


ヘイヨーさんが、AIを触り始めた当初は、よく知らない情報に関して、AIが適当な回答をしていました。
たとえば、架空の芸術家や経営者を勝手にでっち上げて紹介したり。それも、とんでもなく説得力があるんです!

生まれた土地、生年月日、経歴、おもしろおかしいエピソードを交えながら、その人物が死を迎える瞬間まで、わかりやすい文章で紹介してくれたりしていました。

だから、ついつい信じちゃってたんです。
「へ~、そんな芸術家がイタリアにいたんだ!」なんてね。

ところが、一応念のためにインターネットを使って調べてみると…
検索に全く引っかからないんです。つまり、どこにもそんな人物は存在していなかった!AIが勝手に作り上げた名前や経歴だったんです。

これはこれでおもしろかった!
特に創作に使うには便利だったんです。ただ、情報の正確性には大きく欠けてしまう。


この時、ヘイヨーさんは思いました。
「AIってのは、まるでインド人だな~」と。

インドの人って、知らないことやわからないことでも、適当に答えちゃうんです。なぜなら、「わからない」と答えるのが失礼にあたると思っているから。そういう文化なんです。

「わからない」とか「知らない」と答えるのは相手を失望させてしまう。ならば、何でもいいから適当に答えてしまった方が相手も安心するだろう。そういう気づかいですね。

「駅はどっちなの?」とたずねると、ある人は東を指さす。
ちょっと歩いて別の人にたずねると、今度は「真っ直ぐに北に歩いて5分くらいだよ」と答えが返ってくる。
また別の人にたずねると、「いやいや、北でも東でもない。西に向かって15分だ!」
こんなのが日常茶飯事なんです。

それはそれで、愉快な文化だとは思うんですけど、やはり正確な情報が欲しい時には不便ですよね。


あるいは、幼児って、そういう時ないですか?
2歳とか3歳の子供に「今日保育園で何して遊んだの?」とたずねると、とんでもない答えが返ってくることがある。
あとから保育園の先生にきいたら、それらは全部子供の空想のお話で、事実は全然違ってたとか。

お父さんやお母さんに叱られた時もそうですよね?
ありもしない出来事を勝手にでっち上げていいわけをする。叱られるのが怖いから。
大人になっても、こういう人っていますよね。

つまり、年齢だけでなく精神的に大人になるには、わからないことを「わからない」と言い、知らないことは「知らない」と言えないといけないわけです。

それを現在のAIはやってのけます。
以前よりも大人になったわけです。それも、わずか1年やそこらでやってのけました。確実に人間よりも成長のスピードが速いんです。


長くなってきたので、今回はこの辺で。
続きは、また次回♪

しばらくAIのお話が続きますが、この辺りはまだ前哨戦。
基本の基本に過ぎません、今に全然関係ないジャンルへとつながっていきます。たとえば、アニメやゲームの経営のお話とか。
おそらく、その辺が有料記事になると思います。

いいなと思ったら応援しよう!

ヘイヨー
noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。