「デイドリーム・ビリーバー(白昼夢を見る者)」
ここまで、読んできた読者のみなさん。これを「恋愛小説」か何かと勘違いしていませんか?
確かに「ひとりの青年が理想の女性と出会い、恋に破れる」
そこだけ取ってみれば、単なる失恋の物語に過ぎません。ところが、物語はここで終わりませんでした。
みなさん、青年が少年時代に受験戦争に巻き込まれた過酷な日々のコトをお忘れじゃないですか?あの地獄の時代を。絶望の中、たったひとりで孤独に戦い続けたあの日々のコトを。そこで身につけた数々の能力を。
遠い遠い未来に、ある人がこう言います。
「面倒なコトは、楽しいコトの始まりよ」
まさにその通りでした。非常に面倒な事態になってしまいましたが、それは同時に新しい物語の誕生でもあったのです。むしろ、真の物語はここからスタートしたとすら言えました。
*
11歳の秋に受験戦争に巻き込まれた少年は、それからの8年間をまともに恋愛もできず、人間関係も構築できない、ただ勉強とゲームしかできない存在として成長しました。
それにゆえに身につけられた能力もあります。たとえば、成長型特殊能力「マスター・オブ・ザ・ゲーム」や分析型特殊能力「ディケンズの分解メス」のような。
でも、人としてはあまりにも未熟過ぎました。青年が恋愛や人間関係の能力を身につけたのは、19歳の秋に家を飛び出してきてから。21歳の3月の時点で、わずか2年半しか経過していません。
物理的な年齢は21歳でも、精神年齢はせいぜい14歳といったところ。中身は子供だったんです!
それに加えて、青年はやさしかったし、中途半端過ぎたのです。心の中では「この人のためにならば命も捧げられるし、世界だって敵に回せる!」と決意を固めていたのに、彼が取った行動はそうではありませんでした。
恋敵にさえ味方し、援助してしまい、「誰も彼もと仲良くしよう!」とし過ぎました。だから、自ら敵を内部に引き入れ、自分の人生を崩壊させてしまったのです。
きっと、それもあの人の影響だったのでしょう。誰にでもやさしく、八方美人の気のあったあの人の影響。それをモロに受けてしまったのです。
あるいは、それすら「青年が元々持っていた資質」であったのかもしれません。小学生の頃まで持ち合わせ、10代の時に失ってしまった「本来あるべき性格と人生」
それを「世界で一番大切な人」が目覚めさせてくれただけだったのかも…
結果、青年は心の底から信じられる「理想の存在」と出会いながら、「世界で一番大切な人」に裏切られるという最悪の結果を招いてしまいました。そうして、絶望の淵へと身を投げ、深い深い闇の底へと落下していきます。
何がなんだかわからなくなり、寝る時間も起きる時間もバラバラになりました。
「幸せって何?」「一体、何が悪かったのだろうか?」「正しい選択はどれだったの?」
この数十日…あるいは、あの人と出会ってからの半年近くの日々を振り返りながら、青年は自問自答を繰り返します。闇の時間に必死に思考を巡らせ、太陽が昇る頃、ようやく眠りにつきます。それも浅い浅い眠りに。
お昼過ぎに目が覚め、布団の中で考え続けます。
「どのルートを通れば正解にたどり着けたのだろうか?」と。
「過去の出来事」と「自らの行い」を反省し、「理想の生活」と「そこにたどり着くための最善のルート」を割り出そうとしました。頭の中のコンピューターは全力で作動し続けます。
朝から晩まで何時間でも、その行為を繰り返しました。何日も何日も考え続けました。まるで哲学者か思想家のごとく。
そう!この時の青年は、高校時代に学んだ哲学者キルケゴールと同じコトをやっていたのです!
でも、結論は出ません。どのルートをたどっても、最終的にはこの地点に戻ってきます。結局、最後にはあの人は青年のもとを去っていき、今の現実に到達してしまうのです。
夜はまだマシでした。青年の心を包み込んだ闇と同じく、夜の闇が世界を覆ってくれているから。だから、安心できました。
でも、昼はいけません。心の世界は闇で満たされているのに、世界は輝ける光でいっぱいなのです。そのギャップに耐えきれませんでした。
そうして、過去と現実と未来と理想とが交錯し、白昼夢を生み出します。
しだいに、青年は何が現実で何が空想なのかわからなくなってきました。普通の人だったら、この時点で自ら命を絶っていてもおかしくはなかったでしょう。
「自らの心の底」という名の深淵を覗き込み、あまつさえ深層心理の底の底まで降りていってしまった(実際には落下していった)そんな人間が生き残れるはずはないのです。たとえ、生き残れたとして、まともな精神でいられるはずはありません。
けれども、青年には特殊な事情がありました。あの10代の地獄の日々です。かつて自らの命を脅かしたあの過酷な日々が、命の危機に瀕した瞬間、今度は「防衛システム」として働き始めたのです。