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「閉じた物語」と「開いた物語」

『僕の改革 世界の改革』は、青年にとって別の意味合いを持っていました。

実は、第1幕のプロローグは、40日間に渡る「世界を変える戦い」の直後から始まっていたのです。

だから、『彼女』は家を飛び出し、『僕』はそれを追いかけた。『隊長』は『僕』でなければならなかったし、『秘密基地』は『僕の家』だった。一見意味不明のストーリーが、青年の人生に密接に関わっていたのです。


読者の皆さんは、この時のコトを覚えていますか?

「小説の舞台に使いたいので、案内して欲しい」と頼んで、青年は『あの人』に通っている大学を案内してもらいました。

『僕の改革 世界の改革』の物語中に「やる気発生装置」を設置するため、深夜の大学構内に侵入するというエピソードが登場します。また、記憶の世界で何度か同じ大学が登場します。

あそこは大学が舞台でなければならなかった。なぜなら、「小説の舞台に使う」というあの人との約束を覚えていたから。

数年越しで、青年はあの日のあの人との約束を果たしたのです!


同時に、あの日、青年はあの人に1つの質問をしていました。

「死にたいと思ったコトはある?」

彼女は、首をひねってしばらく考えてから、答えました。

「死にたいと思ったコトはないけど、消えてしまいたいと思ったコトならあります」と。

「それって同じ意味じゃないの?」と、青年は思いました。けれども、何年もかけて「死」と「消滅」の違いについて考え続けました。

そして、出した結論は…

「死ぬ」のと「消える」のは違う。別物なんだ!

ここから『白き夢』が誕生し、『彼女』は世界から次々と人々を消していくようになります。

そう!まさに深層心理を具現化した物語!青年の人生をバラバラに分解し、分子レベルまで粉々にした上で再構築した物語だったのです!


『僕の改革 世界の改革』は、『僕』の旅の物語。

それと同時に、伝説の悪魔の心の傷を癒やす物語でもあり、青年自身の心をもまた癒やしていた。まごうことなき『ヘイヨーさんの人生』の一部。それも、核心に迫るレベルで!

読者が読んでいるのとは別の次元でストーリーは進んでいたのです。つまり、2重構造、3重構造になっていた。いえ、現実の世界から大勢の人々を呼び寄せたことにより、物語はさらに幾重にも意味を重ねていきます。

『リン』や『シノザキ博士』や『大木さん』や『学生服君』や『死にゆく詩人』など何人もの人々が、あの世界で暮らしています。別の世界から連れてこられて。それは『別の物語』につながってゆくコトを示唆しています。

たとえば、物語の終盤に「恐怖の絵を描き続ける天才女性画家」というキャラクターが登場します。現実世界での彼女は「夢見市」という場所で、全く別の絵を描き続けているのです。「鬼我外雫(おにわそとしずく)」という名前で、人々の心をなごませるようなやさしい絵を。

※このエピソードは『夢見市物語』という作品に収録されています。


言ってる意味、わかります?

『僕の改革 世界の改革』は、「閉じた物語」ではなく「開いた物語」になっているんです。単体で読んでもおもしろいように作ってはありますが、本来の力を発揮するためには別の物語を読む必要があるわけです。

『ヘイヨーさんの人生』や『伝説の悪魔』や、その他数多くの作品を。


「閉じた物語」か?「開いた物語」か?で言えば、もう1つ仕掛けが施してあります。

タイトル通り、最初は『僕の改革』を目指して始まります。主人公の『僕』を中心に、心の葛藤を描いたお話。でも、それだけだと、世界が狭くなってしまう。そもそも『世界の改革』につながらない。

だから、途中から意図的に社会問題を取り入れるようにしていきました。たとえば「共依存」だったり「デスマーチ」だったり、「ひきこもり」や「鬱」の問題だったり。

だから、半分は『僕』の心の葛藤を描いた「閉じた物語」であり、残り半分は積極的に社会と関わっていく「開いた物語」になっているのです。


…という風に、1つの小説を完成させるまでに、頭の中では様々な考えや思い、膨大な情報が渦巻いていました。

でも、それを語っていたらキリがないので、今回はこの辺にしておきましょう。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。