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三月六日のコンプレックス
慰めではなく攻撃にしかならん文だが(自虐込みの文)
100%皆じゃないかも知らんがほぼ皆きついんだろし
高い確率の人が「自分のこと社会から外れたニンゲンモドキ」「変人」であると自称してるし
割と高い確率の人は「恵まれた環境」に生まれてない上それを「とても悪い環境」だと思ってるし
少なくない確率の人は「他人の人生の主人公は自分ではない」という意識を持っていないし
社会に合わないのは普通なんだよな、人生がきついのも当たり前なんだよな、皆で協力して得られてる会得だけ得て「なんで働かなきゃいかんのじゃ」「なんで合わせないかんのじゃ」は変だよな
3月6日
「俺はここまで優れた文明なんて望んじゃいなかった」は別に無から都合の良い扶助組合が生えてくるわけでもなし、自己の有様と大して変わらん、ただの理不尽でしかないわけです。理不尽ですらない。それが前提、スタートラインであってその上に積まれるのが合理不合理なのだ
3月6日
なんで「自身に配慮しない他者」が「悪」になるんだろうな
気持ちはわかる!気持ちはわかる!でも、でもでもそれのどこに真実があるのか、半端に起きてるくせに半端に夢を見てるからこその言い様、それでしかない、けれどそういう「ありもしない絵空事」が人類を支援した面もある
3月6日
我々の存在がそもそも我々に優しくないのは当たり前の話。優しいもくそもそんな知覚ねぇしな万象に。
なーんにも変な話ではないのに変だと思う方が変で、
そんな変だと思うことすら変な話ではないお話に組み込まれてて、
3月6日
感情論というのはむしろ自我の喪失を示すんじゃないのか、「私は神だ!」=「私は存在しない!」のような。
3月6日
私は、あのようなそっくりそのまま作られた、芸もなくネットに首を突っ込んでぎりぎり届かないところに描かれた餅の絵とその上のぎりぎり届くところに置かれた米粉を食い漁っている、見分けもつかん飢えた畜生の群れを人と正しく認識した方が不幸になるんじゃねぇか、なんて思うわけだ
3月6日
量産型の「特別な私」に反吐が出て、私は少なくとも労力を払ってそれになろうとする、湧き上がるありふれた感情を吐きかけるだけで姫様を気取る地底の女郎蜘蛛に捕えられる虫にならんように、このつまらん数多の蜘蛛どもの巣を跳ねて跳ねて上に、光り輝く天井のも少しはマシな天界の蜘蛛の巣目指して、
3月6日
ぴょっぴょこ飛ぼうとする、蝶を真似て空を飛ぼうとする地底の蜘蛛をする、けれど自身に羽がないことも、そもそも自身が蝶どころか昆虫でもないこと、自身の飛ぶ高さじゃあ天上には届かないこと、気づいてしまっていて、せめて蝶を喰らう、己と同じ種族の女郎蜘蛛共に怒号を飛ばし、
3月6日
醜い我ら蜘蛛どもは、美しくもない大した際もない凡百な汚い虫ケラ同士、醜くさに見合うごとくに共喰いしあって潰しあっていれば良いのだ、そう怒号を飛ばすべきなのだ。失敗したが。羽のもげた蝶は飛べぬ、せいぜいがその四肢を女郎蜘蛛に喰われる程度だろうよ。
3月6日
俺はな、俺には羽はねぇけども、ほかの女郎蜘蛛にゃ羽があるかもしれないなんて考えたのが間違いなんだよ。
所詮は美しくもない虫けらさ、羽なんてねぇよアホンダラ。
せめてその狭い狭い自身の領域の巣を捨ててほかの女郎蜘蛛に殴りかかるくらいの姿を見せてくれねぇとなんとも思えねぇよ、
3月6日
見分けもつかん。
俺ミテェなありふれた人間どもはありふれた人間どもで食い合っときゃいんだ。蝶なんぞ御大層なものを食す権利は地の底の虫ケラどもにはねぇよ。
伝統や社会のの奴隷となることすら拒む畜生どもにゃ蜘蛛の巣でバベルの塔なんか作れねぇし。一体何匹の生を賭せば作れるかも分からん
☆
某日の独り言です。