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自問自答
昔に私が、誰に見せるでもなくメモに残して置いた文章。誰かの役に立つかもしれないし立たないかもしれない。
私がこのような性格価値観になったのは多分、記憶力の無さと外部への関心の無さが原因であろう。それを決定づけたのは己の選択だと言われればそれはそうなのだが、あくまで外的要因の話である。
興味を持つためにはそのことへの記憶がいる。
記憶をするためにはそのことへの興味がいる。
どちらもなければ、外的な情報は、ただの視界の端としかならないわけで。という形で、ろくに外の情報を中に取り込まなかった私は、なんというか現実からの浮遊感のようなものを感じるようになった。じぶんがあたかもそこにいないかのような、その舞台に乗っていないかのような。
まぁ、だから、自分が存在するために、自己洗脳が得意になったわけなんですが…もはや無意識だったから、どうやってかなんてわかんないけれども。周りの人の勧めを、周りの人の自分への印象を、自分の選択やら本質やらと思い込んで、そうやって生きてきたわけだ。
まぁそれで空っぽのまま思春期になって、それに気づいたからこその今ではあるけども、まぁ、何かにすがろうとする癖は治らない。まぁ、なんか絵は続けてるけど。多分そういうことだろう。
最近はいっそ顕著だ。一喜一憂が減り始めた。問題を確定させたら答えが出る。ただのプログラムのような、「ああ、こうなった。じゃあこうするか」
くらいにしか感じないというか…
逆に溺れている時は、何も考えられてないけれども。まぁヘラヘラ笑ってるだけですわ。今にすがって。
だからなんだという話ではあるが、自己同一性?の欠如?かは知らんけどそんな感じのやつに一生苦しむのだろうな…と。何が悪いとか言ったところで、ただあるだけという事実認識以上のものは浮かばないし。まぁなんかあるかって言われりゃなんも持ってないしこのままだろうなと。
自分はどうしたいのかだって?それがあったらそもそもこんな苦痛感じてないぜ。
否定だけのエゴは最近生まれたけどな。生産性がないって言われたよ。でも他になんもねぇんだから仕方ねぇだろ。いや別に仕方なくないにしても、ほかのにする理由がねぇ。俺が好き勝手選ぶぜ、選べるところはな。
因果はなく、ただ事実があるのみ。とりあえず適当に勉強して寝るか。明日テストなんだよ。対策してないけど。
アイデンティティの喪失とその知覚に涙が出そうになるよ。嘘だけど。だってそんな涙、中学の頃にとっくに枯れたから。ちょっと心臓が寒いだけだよ。ほんとだよ。
幾人もの知らない他人が私という型に入っては出て行ってる。そんな感覚なんだよ。同じ人間じゃあない。
まぁ、何にも愛着が湧かないのは、今となっては虚しいだけだよね。もう慣れたよ。