母の日
18だった
バイクに乗り いきがって走り回る
クソガキだった ハズ……
特攻服を着て
ただ、バイクはセパハンにバックステップ
まぁ、(あいつとララバイ)的な仕上げ
小学校低学年で母子家庭になり
たまに、遊びに来る父
ほぼ友達感覚だった……
母子家庭ながら 私立高校へ行き
バイクも8台位は持っていたし
挙句に プライベーターで
F3レースにも出ていた
母は 当時 毎月60万以上を
稼いでいた
昭和の あの時代に 男でも毎月は
難しいハズ
身を粉にして働いていたのだろう
演劇から女優になり
父と駆け落ちして
大阪で僕が産まれ
水商売をしながら
中学卒業まで……
夜の仕事で知り合った方に
ヘッドハンティングされ
メイクの仕事に変わり
海外まで飛び回り
互いに 顔を合わす事も減り
家に居れば 一緒にドライブに
付き合い
子は宝だったのだろう!
本当に可愛がられ 駄目な事は
真剣に怒り 育てられ
あの日 倒れた……
大部屋の病室には幾人かの
女性陣が……
丁度 母の日だった時
部屋中の女性陣にカーネーションを
渡した ヤンキーが……
後にも先に カーネーションを買ったのは
あの1回だけとなった
あの入院で見落とした癌
退院後 夏過ぎに また具合悪くなり
余命宣告を受けた……
持って数ヶ月と
カーネーション 母の日
母は勿論 好きだ! が
カーネーションは余り好きになれない
僕には悲しい思い出だから
もう花は渡せないが
ありがとう だけは言えるよ
産んでくれて 育ててくれて
色々な事を やらせてもらい
貴女は最高の母であり女性なのだろう
愛してくれて ありがとう
馬鹿息子より。