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エッセイ ねこのねごと(ねこの悪だくみ2023年11月)

 月頭、ということで今月の予定や目標などを書いています。
 達成できたりできなかったりします。悪しからず。

 時折お話しますように私は会社勤めをしておりまして、それなりに会社に飼い慣らされているものですから、資本主義資本主義した本を読んだり資格を取ったり業務をしたりしております。

 二宮尊徳という方がおりまして、昔の小学校に薪背負って本を読んでいる石像があったりした方なんですけれども、この方が、こう、私の働いている界隈では結構人気があって、座右の銘とかにしちゃったりする方もいるような感じです。
 この、尊徳さんの有名な言葉に

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」

 というものがあります。界隈じゃなくても有名なのかはよくわかりません。業界的には結構有名です。新入社員用のテキストにも載っていると思う。尊徳さんの頑固爺さんぶりが滲み出ています。(ファンの方に怒られそう。小田原には金次郎カフェとかあるんですよ。)薪を背負った像をご存知の方は、あれがどういう子供の姿かご存知でしょうか。勉強と仕事の両立なんて、甘っちょろいものではないのです、あの像は。5歳の頃に災害で家と畑が流され、さらにその後両親を亡くした尊徳さんはお祖父さんの家に引き取られました。まだ子供の尊徳さんが夜に灯りをつけて本読んでいるものだから、お祖父さんがそれを「無駄遣い」と責めます。責められた尊徳さんはですね、アブラナを堤防に植えて、自力で菜種油を収穫して油絞って本を読んだんです。その上、田植えの時に捨てられた苗も拾って用水の堀に植えて米も収穫して、父親の代に失った田畑を自力で買い戻すんです。鉄の意志です。買い戻し終えて弱冠20歳。
 堤防に植えたのは、そこが誰の畑でもないからですよね。お祖父さんの助けは絶対借りないと決意したんじゃないんでしょうか(借りられなかったのかもしれないけれど)。江戸時代の話を現代の価値観で測ることはできないものの、私がお祖父さんだったら、もう、ほんの軽口で「無駄遣い」と言ったとしても引っ込みがつかなくなると思います。二度と埋められない溝の深さに戦慄すると思う。伝記でこのエピソードを見た時震えました。

 「経済なき道徳は寝言」と、尊徳さんに言われるなら仕方がないかあ、と、すっかり彼の意志の強さに怯えた私は思います。

 さて、話を戻しましょうか。

 今年一年やってきたあんなことやこんなこと(名古屋の調べ物をしたり、文学フリマに出たり)を、私は自分が会社勤めをした給料から賄っています。つまり、これらの活動は「仕事」ではなく「寝言」ですね。尊徳さんに見つかったらばっちーん! と怒られる代物です。昼間に会社にいる私も、書き物をしている私の相談に乗ったら「それは寝言ですね……」ときっと言うでしょう。そういう商売ですからね。

 あまり裕福でもないもので、いろんなものを削って削って、ようやく捻り出したお金な訳でして、最近、書く時間を確保するためのスケジュールを立てるついでに、来年の予算も作ってみました。

 長く何かを続けていくためには、安定的な資金が必要です。会社の私ならそう言います。偶発的だったり、逼迫したりは避けた方が良いです。確保のために奔走して、やりたかったことのための脳のリソースや時間が奪われるからです。

 来年できることはこれくらい、を確保して、思うのに、もういいものを作ったりするには、資金を大きくしなくてはいけなくて、そのための一番の確実な近道は、私の場合は会社で出世することです。そんなに偉くなくてもいいんですけど、ちょっと昇給するくらいかな。

 そんなこんなで、私のスケジュール帳には「会社にゴリ押しされた資格をとる」なんてのも含まれておりまして、一夜漬けのためにnoteお休みしたりとか、そういうこともあるかもしれません。激務明けで寝込んじゃったりとかもきっとある。

 でも、少なくともここ数日で立てた予算と計画めいいっぱいくらいは、たくさん書いたり、ものを作ったりしていたいですね。好きなんだから、仕方がないね。

 では、今月もよろしくお願いいたします。

 仕切り直し。(何度でも)

エッセイ No.082