「らくだの会」(柳家三三独演会)の「らくだ」の話
(8月3日(土)の『らくだの会』の続き)入り口に入る時に今日は三三が「らくだ」をやる会だということを知った。一緒に行った友人が気付かせてくれたのだ。名前が「らくだの会」だから分かりそうなものだが、直前に気付いた自分に我ながら呆れた。無意識に考えることを避けていたのか。
実は落語の「らくだ」という噺が嫌いだ。「らくだ」の冒頭の「らくだ」というあだ名のならずものを訪ねて来た兄貴分の脅迫的な態度に辟易している。亡くなった弟分のらくだを弔うために屑屋をアゴで遣い、長屋の連中や大家を脅迫し、更にはとてもグロテスクなことまで自分の手は汚さずに弱い者を強制してやっていて、聴いていてなんともやりきれない気持ちになってしまうし、多少腹も立ってくる。なので、この噺は敢えて聴かないようにしていた。
ところがこの日は「らくだの会」だ。気付かなかったが、嫌いな噺を聴かなければならないということに直前に気付き(もっと早く気付けよ)、少々がっかりし、当惑する。大好きな三三だけど、これから嫌いな噺を聴かなければならないのか。果たして楽しめるのだろうか。
正直この日は久しぶりに多少緊張しながら注意深く落語を聴いた。相変わらず「立て板に水」でテンポよく語る三三。気持ちが悪い話にも関わらず、随所にくすぐりを入れているせいかそれほど暗い気持ちにもならずに聴けた。この噺も途中で端折らず最後まで話したが、長い噺にも関わらず語り口が軽妙で飽きさせないせいか長く感じなかった。18:30開演、前座の噺が終わって三三登場、19時前からひとつ目の「真田小僧」、中入りがあって「らくだ」は19:20ぐらいからだったと記憶しているが、終わって時計を見たら20:20とほぼ1時間話していたことになる。
らくだの兄貴分の男に散々脅されてこき使われる屑屋の男が酒に酔って居直るところがあるのだが、三三の演じるこの屑屋の居直ってからの威勢の良さが印象的で、これまで気付かなかったが、この屑屋は実は若い頃はどうしようもないやくざ者で、相当やんちゃをしたりいろいろあって、結果他にやることがなくなりしがない屑屋家業を営むことになったのではないかなと、思わず屑屋の過去を想像してしまった。全部架空の噺なのだが。勝手に思ったのだが、それを感じされるものがあった。三三の「らくだ」には。
三三の「らくだ」に揺さぶられたのか、この後数日かけてYoutubeで「らくだ」を聴き比べた。最初は三三の師匠である小三治の「らくだ」。次に6代目三遊亭圓生、兄弟子の喜多八、5代目古今亭志ん生。聴きやすかったたのは喜多八と志ん生のだった。聴いていて不愉快にならないという点では。
三三の「らくだ」の微に入り細に入るくすぐりは三三ならではで、噺の中でそれは一貫していた。聴き比べた4人の先人とはかなり違う「らくだ」だった。噺の筋やディテールもしっかりしていてより辻褄の合う仕上がりになっていたと思う。ただ、長屋の大家が過去にらくだに青龍刀(!)で脅された下りについては、屑屋でさえ金になるものは皆無と見限ったらくだがそんな高価そうなものを持っていたのかという疑問を感じた。重箱の隅をつつくような指摘かもしれないが…ちなみに他の演者はここは青龍刀ではなく鉄の棒だったので、三三のオリジナルだと思う。
いずれにしても三三の「らくだ」が自分の眼を開かせてくれた気がする。普段は陽気な噺と人情噺ばかり聴いている自分だが、陰気な噺や普段避けている噺ももう少し聴いてみようと思った。特に三三が演じるものを聴いてみたい。
三三は今後も進化し続けると思う。また何年か経ってから三三の「らくだ」を聴いてみたい。三三と同じ時代に生まれて三三の噺がライブで聴けるという有り難みを再び噛み締めた。