最遅本命発表~エリザベス女王杯編~
付き合っていた、「チヒロ」という女性と別れたのはつい先日のこと。
彼女と過ごした時間には、愛と呼ぶにはあまりにも乾燥した時間だけが流れていた。
直感的と言えば聞こえは良いが、本当のことを言えば心にできた寂しさの隙間を埋める為の、お互いに都合の良い相手だったのだろう。
本当は深い愛ではないとわかっていながら彼女と過ごす時間には、どこか罪悪感に似た居心地の悪さがあった。
深夜に食うカップラーメンみたいな、冷静な頭の中では「やめておいた方がいいのに」とわかっていることについ手を出してしまうのは、俺の悪い所だと思う。
「お互いの為に、別れよう」
使い古された、クソみたいな常套句でチヒロとは別れた。
清々しいくらいに、後悔は無かった。今まで生きてきた中で、こんなにも「価値観が違う」と感じた女は初めてだったからだ。「エヴァンゲリオン大好きw」とかほざいておきながら旧アニメシリーズは未視聴、新劇版しか見たことがない。チヒロはそういう女だった。虫唾が走る。
俺はミーハーが嫌いだ。ミーハーあってこその商業だということは理解しているが、あくまでも個人的な価値観で言えば俺はミーハーが嫌いだ。
きっとチヒロは暗黒期TBS時代のベイスターズを知らずに華やかなDeNAベイスターズだけを見て横浜を知った気になる女だろう。セカンド中村紀とか見たことないだろ、信じられないが現実だ。
きっとチヒロはSHUNがいた時代のEXILEを聴かずに平気で古参EXILEファンぶるだろう。何故なら、ミーハーだからだ。
まあいい、話を戻そう。
俺がチヒロみたいなミーハー女と関係を持ってしまったことには理由がある。まあ、言い訳にしかならないとわかってはいるが。
「マキ」という女がいた。
こんな恥ずかしいセリフは例え文章でも口にはしたくないが、自分の人生史上こんなにも本気で誰かを愛することは最初で最後だったのかもしれない。
マキとは、初めから不思議なくらいに価値観が一致した。
最初に出会ったのは大学生の頃だったが、学内No.1ミスチルファンを自称していた俺に近付いてきたマキは言った。
「私もミスチル好きなんだよね~」
瞬間、俺の中のアンチミーハーセンサーが警報を鳴らした。俺はすぐさまカウンターを決めた。
「へ~、どの曲が好きなの?」
回答次第では女は即死だ。
想定していた選択肢はいくつかあった。
「ん~HANABIかな?」
→くたばれミーハー。
「ん~君がいた夏かな?」
→1stシングルを言っておけば古参ぶれると思うなミーハー。
「ん~デルモかな?」
→カップリング曲を挙げとけば通ぶれると思うなミーハー。
いかなる回答が返ってこようとも、すぐさまミーハー成敗パンチで女を返り討ちにする準備はできていた。だが、マキは平然とこう答えた。
「曲単位っていうより、一枚のアルバムとしてQが一番好きかな」
瞬間、恋のキューピットが俺の左胸を打ち抜いた。紛れもない、恋が生まれた瞬間だった。
「この女ただ者じゃないぞ」と一瞬で恋に落ちた俺は、戦慄した。曲単位じゃなくて一枚のアルバムとして、作品としての評価をちゃんとしてやがる。しかもそこでQを挙げるか女よ。せめてシフクノオトとかHOMEならまだミーハー成敗チャンスはあったのに、Qかよ。
このQってアルバムは、不倫スキャンダルや成功者にしか理解できねえ苦悩に押し潰されそうになっていた桜井さんが、BOLEROやDISCOVERYといった模索期間を経て、ようやくまた音楽を楽しむことができるようになった、明確なターニングポイントになったアルバムなんだと勝手に俺は思ってる。西へ東へ光の射す方求めて終わりなき旅を続けてきたバンドが辿り着いた地って訳よ。
コード進行をダーツで決めた楽曲や、とにかく遊びの利いた曲も多く収録されているこのアルバムは、初めてのミスチルファンに進めるには明らかに不向きだ。
それなのに、初めて会ったマキという女は当たり前のようにこのアルバムの名を口にした。
どうせソダシ好きだろと思ったウマ女がガッツリばんえい競馬マニアだった時ぐらいの衝撃だった。
マキと意気投合するまでには、時間はかからなかった。
気付けば俺たちは恋人と呼ばれる関係性になっていて、この時間が永遠に続けばいいな、なんてダサすぎて桜井さんが決して歌詞にはしねえようなことばっかり考えながら、幸せな日々を過ごしてた。
でも、唐突に蜜月の時は終わりの時を迎えた。
マキは落ちこぼれの俺と違って優秀だった。あらゆるコンクールを総なめするぐらいに、チェロの才能があったマキは、前々から本場イタリアでプロ演奏者として生きていく夢を持っていた。マキと過ごした学生生活も終わりに近づく頃に、マキは俺に言った。
「やっぱり、夢は諦められないよ。私、イタリアに行く」
俺は、彼女と共に海を渡る決心ができなかった。家族の問題や言語の問題など、言い訳はいくらでもできるが、正直に言えば俺は彼女の為に一生を捧げる覚悟ができない、腰抜け男だったってわけ。
お互いがお互いを想ったまま、俺たちは別れた。
あれ以降、大人になって社会人生活を続ける中でもマキの存在は俺の心の中にずっと言葉にできない引っ掛かりを残していた。
思い出しても辛くなるだけだから、無理やりに俺は記憶を封印しようとしていた。
長い月日が流れ、俺の部屋にある大好きなミスチルのアルバムが並べられたCDラックを見ると、Qのジャケットにだけホコリが積もっていた。
本当は、もうマキのことを思い出すこともなかったはずだった。
なのに、チヒロと別れた俺は何故だか普段は気に留めることもない、商店街の片隅に机を置いて水晶片手に商売してる、怪しい占い師の前に座っていた。
江原啓之の人相から温もりを全て抜き取って、怪しさだけを8割増しにしたオッサン占い師の占いを、物は試しに受けてみたわけだが、結果を聞いた俺は思わず鳥肌が立った。
「Cとの別れが、Мとの再会を呼ぶ。そこから真の喜びが生まれるでしょう」
チヒロとの別れが、マキとの再会を呼ぶ・・・?
都合の良い解釈と言われればそれまでだが、偶然にしては出来すぎな結果に俺の心臓はXのヨシキのツーバスも泣いて逃げ出すBPMで脈打ってた。心臓にコルセットが必要だと思ったのは、この時が初めてだった。
お互いに、それが相手の為にはならないとわかっていたからだろう。
俺もマキも、別れてからは一度も連絡を取らずにいた。変な夢は見ない方が、傷つかなくて済むとわかっていた。それなのに、あの怪しい占い師は俺のハートにいらねえ火をつけてくれちまった。
今のご時世便利になったもんで、海外にだって電話くらいはいつでもかけられる。
マキの番号に電話をかけるか否か、ただそれだけのことなのに、何時間も受話器片手に悩んじまった自分が情けない。
まあでも、「悩んだ末に出た答えなら15点だとしても正しい」って言うもんな。自分にそう言い聞かせて、俺はマキに電話をかけた。そう言えばこの曲もQに収録されてる曲じゃねえかクソッタレが。
理不尽な苛立ちを抱えながら、結局のところ俺は人生には映画やドラマみてえな結末は無いんだってことを実感することになる。
「おかけになった電話は現在・・・」
久々に聞いたよ、このアナウンス。
まあ、普通に考えたら当たり前だよ。大学を卒業してもう10年近く経ってるんだからさ。
ったく、売れねえ占い師の話なんて聞くんじゃなかったよ本当に。
コンビニで競馬新聞とビールを買って、安いつまみを肴に酒を飲みながら新聞を開いた瞬間のことだった。俺の脳裏に、あのオッサンの声がフラッシュバックしたのだ。
「Cとの別れが、Мとの再会を呼ぶ。そこから真の喜びが生まれるでしょう」
とても笑える気分じゃねえけど、笑えてきちまった。
俺はどうやら、とんでもない想い過ごしをしていたらしい。そう、あの売れない占い師は俺のしょうもない恋愛事情ではなく、俺の数少ない趣味である競馬に対する未来の啓示を与えてくれていたのだ。
来たる、2021年11月14日。
阪神競馬場にて行われる、エリザベス女王杯。
このレースに出走する競走馬の中に、「Cとの別れ」を経験し、「Мとの再会」を果たしていた一頭の愛する牝馬がいる。
「クリストフ」との別れを経験し、「ミルコ」との再会を果たしたこの馬を、本レースにおける筆者の渾身の本命馬とさせて頂こう。その名を…
【テルツェット】
揺らぐことのない、運命に導かれた自信の本命馬だ。
占いの結果を勝手に自分の都合の良い解釈で的外れと決めつけてしまった非礼を、いつかあのオッサンには詫びよう。そして見事にテルツェットが勝利を果たした暁には、チップ代わりのお布施でもしてやろう。
そんなことを考えていた所、懐かしの友人から飲みの誘いがあり、酒の席でそいつは思わぬものを俺に見せてきた。
「おまえ、マキって覚えてる?」
そんなセリフと共に、そいつはマキのフェイスブックのアカウントを見せてきたのだ。
…そこにあったのは、イタリア人の男性と結ばれ、小学生くらいの息子と共に親子三人で楽器を演奏するマキの姿。
不思議と、ネガティブな感情は一切湧いてはこなかった。
だって、そこに映るマキの笑顔はあまりにも幸せそうだったから。
見ているこっちの心があたたかくなるような、素敵な笑顔がそこには映されていたから。
最後に、余談ではあるが「テルツェット」という馬名はイタリア語で「三重奏」という意味なんだとか。
遠い異国の地で、マキが素敵な旦那と最愛の息子と共に幸せの三重奏を奏でてた。
大好きな人が幸せになってくれて、俺は嬉しいよ。
大丈夫。
俺は俺で、自分なりの幸せの道を探していくから。
頑張れ、テルツェット。
君の勝利が、俺の新しい人生の幕開けになってくれるんだ。
柄にもなく、そんなことを思ってる。
今日だけは、久しぶりに「Q」を聴いて眠りに就こう。