最遅本命発表~NHKマイル編~
「back numberでどの曲が一番好き?」初対面の男に開口一番でこんな質問を投げかけてくるぐらいには、ミサキという女は人見知りという概念を持ち得ない女だった。
いや、まず俺back numberそんなに聴かねえし、と言いたい気持ちを抑えて適当な曲名を口にしたことをよく覚えている。何故かミサキは、答えを聞いて笑っていた。
ミサキとは、学生時代まるで女っ気の無い人生を過ごした俺が、社会人になってから人数合わせで参加した初めて合コンの場で出会った。
男女がそれぞれの陣営に分かれ、気になった相手に質問を投げかけるという、ありきたりなコーナーでミサキに冒頭の質問を投げかけられた俺は、同じくミサキにも質問を返した。
「じゃあ、スラムダンクで一番好きなセリフは?」
別に、ミサキがスラムダンクを読んでいるかどうかを知っていたわけじゃない。
自分の嗜好に関する質問を無邪気にも投げかけてきた相手に、自分も同じようにあえて配慮はせずに質問をしたいと思ったのかもしれない。
しばらく考え込んだ後にミサキは口を開いた。
「湘北に負けた後の田岡監督の『敗因はこの私』かなぁ」
おいおいおいおいおいおい。
なんかさっきまで典型的なミーハー女っぽい雰囲気出してたじゃんお前。それが何で急に田岡茂一なんだよ。
「バスケがしたいです」とか「左手は添えるだけ」とか「ドリブルこそチビの生きる道」とかあるだろ。普通、その辺を答えておけば大体無難に盛り上がるだろ。なんで数々の名言たちをすり抜けて初手に田岡茂一なんだよ。
どうせミーハーな回答が来るとばかり思っていた俺は、ミサキの回答に対し「まあでも実際のところ陵南の敗因は控えセンターのスガダイラだよね」という、社交性ゼロのキモサブアンサーをかましてしまった。
ところが、そんな俺の回答に対してミサキは「陵南の控えセンターの名前知っている男の子は、君が初めてだなあ」と謎の高評価を与えてくれた。目の付け所がシャープを超えてSONY。
俺はミサキの生態に興味が惹かれ、もう一つ追加で質問をしてみた。
「じゃあ、グラップラー刃牙で一番好きな戦いは?」
俺のこの質問には、ある明確な意図があった。
確かにミサキは俺が投げかけたスラムダンクミーハーチェッククエスチョンにおいて、模範解答に等しい回答を叩きだしてみせた。だが、忘れてはならない。あくまでも今の段階でミサキは“スラムダンクに関してはミーハーではない”ということがわかっただけだ。
そもそもスラムダンクとは言うなれば日本国民にとっての人生のバイブル、むしろ熟読していない方がおかしいわけで、ミーハーである方が稀有なわけだ。だが、グラップラー刃牙となれば話は別だ。
流石にこの質問に対しては、ミサキもミーハーな回答をせざるを得ないだろう。そうなれば、残念だが彼女とも縁はなかったということだ。俺は、ミーハーな女が嫌いだからだ。
しかし、そんな俺の思惑を嘲笑うかのようにミサキは答えた。
「柴千春VSアイアン・マイケルかなぁ」
えっ、えっ、えっ、ええええええええええええええ!?
まずグラップラー刃牙をちゃんと読み込んでいることにも驚きだが、よしんば読んでいたとしても、せいぜい「刃牙VSジャックハンマー」だとか「花山薫VS愚地克己」だとか「渋川剛気VS愚地独歩」とか、そのへんを答えるもんだろ普通。ところがどっこい、「柴千春VSアイアン・マイケル」だと? 男なら誰しもこの戦いを見て「男」から「漢」へと大人の階段を登るとされる、「柴千春VSアイアン・マイケル」だと?
もはや俺は疑う余地もなく、確信しちまった。“この女、わかってやがる”と。
かくして、俺達は意気投合し、いつしか男女の仲になっていた。
ミサキと過ごす日々は、いつだって刺激的だった。
お互いに左利きであること、大学在籍時は第二外国語としてドイツ語を履修していたこと、スピッツはチェリーよりもロビンソン派であること、意外な共通点が多かった俺達だが、根本的な人間性は正反対な二人だったと思う。
どちらかと言えば内向的で狭いコミュニティの中に生きてきた俺とは違い、彼女は先天的な社交性を持ち、様々なコミュニティに属しながら生きてきた人間だった。
おかげで、おそらく彼女と出会わなければ一生経験することのなかった体験や、自分とは縁のないコミュニティに属する人間との多くの出会いを果たすことができた。
中でも自分の人生に大きな変化を与えたのは、彼女と出会ってから毎週のように休日には遅くまで共に映画を見るようになったことだと思う。漫画やアニメには精通していたものの、映画に関してはいわゆる超名作しか触れずに生きてきた俺は、彼女と出会ってから多くの映画にたくさんの大切なことを教えられた。
初めて彼女と「ライフ・イズ・ビューティフル」を見た時、母親の産道を潜り抜けたあの日以来の量の涙を流し、二人で塩分補給の為に深夜の家系ラーメンに駆け込んだ。
初めて彼女と「タイタニック」を見た時、海難事故に遭った際には体脂肪率の低い人間ほど早期に低体温症を発症しやすいというトリビアを披露し、お互いにダイエットを後回しにする口実にした。
初めて彼女と「君の名は。」を見た時、いや手の平に「好きだ」って書くよりも名前書いといけば良かったやん!っていう同じツッコミを入れた。
一本映画を見るごとに、彼女と共有できる価値観が一つ増える気がした。
ミサキと過ごす日々には、今までの自分の人生には存在しなかった彩りに満ちていた。
まともに女性と交際した経験はわずかしか持たなかった俺だが、そんな俺にも彼女はいつだって優しく接してくれた。
交際後、初めて迎えた彼女の誕生日のこともよく覚えている。
俺
「ねえ、誕生日に何か欲しいものとかあるの?」
ミサキ
『えー、花束とか?』
俺
「えぇ…そんなロマンチックなプレゼント、ガラじゃなくない?」
ミサキ
『そうだよね、ゴメンゴメン、冗談。選んでくれたものなら、何でも嬉しいよ』
結局、彼女の誕生日には俺の寒い懐事情にしては奮発したネックレスをプレゼントした。
ハイブランドには程遠いプレゼントだが、それでも素直に喜んでくれた、彼女の表情を忘れることはないだろう。
そんな風にして日々新しい思い出を作りつつ、ミサキと過ごす日々は永遠に続いていく、そう信じて疑わなかった。だが、そんな日々は突然に終わりを迎えることになる。
ある日、ミサキは体調が悪いと言い病院へ行った。
そして病院から帰ってくるとすぐに、彼女は俺に別れを告げた。
詳細な病名は伏せるが、彼女はある重篤な病を発症していたことが発覚した。結論だけを記せば、彼女は将来的に子供を産むことは諦めざるを得ないことになった。
彼女からその事実を打ち明けられた時、もちろん俺はそれでも彼女と共に過ごすことを望んだ。だが彼女の口から、「あなたと過ごしている限り、子供を望めない悲しみから逃れられないと思う」という言葉を聞いた時、俺は彼女を引き留める術が見当たらなくなっていた。
去っていく彼女を引き留められないこの気持ちには、優しさよりも弱さという名前の方がよく似合っていただろう。ミサキが去ってからの日々は、何をしていても胸の奥に押し込めた虚しさが消えてはくれなかった。
そんな虚しさを誤魔化す為に一人、酒を飲むことが増えた。
ある日、いつものように安く不味い酒を飲んだ帰り道、商店街の片隅に何やら小さな机を置いて水晶を前に客を待つ、小汚い怪しい占い師の男を目にした。前科三犯の江原啓之のような風貌の男に対し「前にも見たことあるな…」という感想を抱きつつも、俺は酒の勢いに任せて占い師に相談してみることにした。
本当は一番好きな女性が病を患い、彼女の意志を尊重して別れを選んだこと。
だけど本当は今も彼女が好きでたまらないこと。全てを正直に打ち明けた。
その上で、俺は今何をすべきなのかと答えを求めて胡散臭い占い師を頼った。
すると、江原啓之似の占い師は不気味に微笑みながら「今から三つの質問に答えてください」と言ってきた。
怪しい風貌のわりに意外とスタンダードな占いなんだな、などと心の中で呟きつつ、俺は料金を支払い、いよいよ占い師からの質問が始まった。
占い師
「では、一つ目の質問を。
あなたは本当は、彼女とどんな未来を望んでいますか?」
俺
『俺はもう一度、彼女と生きていければ、他には何もいらないです』
占い師
「次に、二つ目の質問です。
あなたは、彼女を一生愛し続ける自信がありますか?」
俺
『はい、どんなことがあっても絶対に』
占い師
「最後に、三つ目の質問です。
あなたは、最初の質問を覚えていますか?」
俺
『えっ、最初の質問って、彼女とどんな未来を望むのか、でしたよね。
その質問には俺、もう答えましたよね』
占い師は俺の問い合わせにはろくに取り合わず、今回の占いはこれで終わりとだけ呟いた。
求めていたような回答が得られず、しかも最後は煙に巻かれたような占いの結果に、俺は腹が立った。こんな占いに金を払うなら、もう一杯酒でも飲めばよかったと愚痴をこぼした。
消化不良な感情を何かにぶつけたくなった俺は、コンビニに立ち寄って競馬新聞を手に取った。どうやら今週末はNHKマイルというG1レースがあるらしい。競馬なんて普段はからっきしだが、胸のモヤモヤを発散するにはそれぐらいしか思いつかず、ボンヤリと出馬表を眺めた。
そこに書かれていたある馬名を見た時、俺の頭に閃光のような衝撃が走った。
あの怪しい占い師は、確かにこう言った。
「あなたは、最初の質問を覚えていますか?」
この質問の真意を、俺は完全に履き違えていた。
そう、俺とミサキが出逢ったあの日。
俺達の会話は、彼女が投げかけてくれた最初の質問から始まった。
“back numberでどの曲が一番好き?”
あの質問に対し俺は、とりあえず最初に頭に浮かんだ曲名をこう答えた。
“うーん、「花束」が一番好きかなぁ”
あの占い師は、俺にこの出来事を思い出させようとしていたのだ。
この曲の歌詞が、俺はどうにも照れ臭くて得意ではなかった。だが、ミサキとカラオケに行く度に彼女はこのが聴きたいと言って聞かず、いつも渋々ながらこの歌を歌うのがお決まりになっていた。
今になって、俺はこの曲の歌詞を初めて噛み締めることになった。
俺に足りない全てが、この歌詞の中に書かれていた。
あの日、去っていこうとする彼女を引き留められなかったのは優しさでもなんでもなく、ただ彼女の運命を共に背負うことを恐れていただけだったのだろう。
本当は、ただ何も考えずに彼女を引き留めれば良かったのだ。
それに、いつかミサキの誕生日を前に彼女に欲しいプレゼントを聞いた時のあの言葉。
『えー、花束とか?』
あれは冗談でも何でもなく、純粋な彼女の本心だったのだろう。
それなのに、あの時も変な所だけ無駄にカッコつけて、俺は彼女の本心に向き合ってあげられていなかった。ずいぶんと遠回りしてしまったが、ようやく自分に足りなかったものが何なのかがわかったような気がした。
来たる、2024年5月5日。
東京競馬場にて行われる、NHKマイル。
このレースにこの馬が登録していなければ、俺はきっと占い師の発言の真意にも、そしてもっと大切なことにも気付くことはできなかっただろう。
大学の頃、第二外国語でドイツ語を学んでいたことが、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。
ドイツ語で「花びら」を意味する、「ブルーメンブラット」を母に持ち。
ドイツ語で「花束」を意味する名前を授かった、この馬こそが今回の俺の本命馬だ。
その名も…
【シュトラウス】
ドイツ語で「花束」を意味する「ブルーメンシュトラウス」を由来とした名を持つ、この馬を自信の本命馬とさせてもらおう。
花束なんてキザな男じゃあるまいし、そう言って笑っていたあの日のことを後悔している。どうしてもっと素直にミサキに向き合うことができなかったのだろうかと。
だからもう、変なプライドなんて全部捨ててしまおう。
もしも、シュトラウスがこのレースを勝ったら。
両手に抱えきれない程の花束を持って、今度こそ花束と一緒に本当の想いを彼女に伝えにいこう。
きっとあの頃よりは、素直に君に向き合えると思うから。
●あとがき
今回も最後まで「最遅本命発表」をお読みいただき、誠にありがとうございます。
相も変わらずチビチビと酒を飲みつつ、自由気ままに綴ってみたわけですが、いかがだったでしょうか。
2021年に投稿した「最遅本命発表~エリザベス女王杯編~」を楽しんでくださった方には、おそらく馴染みやすい一本になってくれたのではないかなと。
本作を少しでも楽しんでくださった皆様は、どうかこの先に記します「俺の人生を豊かにしてくれた漫画ランキングベスト10」をご覧になって頂けますと幸いです。
毎度あたたかなサポートが筆者のモチベーションとなっておりますので、よろしければ是非にも。
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