「天使」と「お空」
お盆ですね。今年も息子にと、北海道にいる私の両親からゼリーや水羊羹の詰合せが届きました。お盆に送ってくれるお供え物は毎年同じ。両親にとっては「お盆といえばコレ」という定番なのかもしれません。なんにせよ、ありがたいことです。
実家にも息子の位牌があります。あちらのお宗旨では、息子は「浄土」にいるようですが、お盆になれば北海道にも東京にも帰って来て、お盆が終わったら浄土へ帰るということです。しかし私は禅宗で、浄土にいるとはうかがいませんが、何処であっても、幸せであろうかとか、今何を考えているだろうかと、ときどき思いめぐらしています。
ところで私は、息子とおなじ病気をもつ子の家族の集まりに参加しており、子どもが亡くなると、よく「お空に帰る/還る」と表現し合ったり、亡くなった子のことを(小さい子は特に)よく「天使」といったりします。仏教徒である私もです。
英語ですと、「I have an Angel」とか「I have an angel in heaven」という表現の仕方を見ます。お子さんをなくされた方が、自分のお子さんのことを「天使」と呼ぶ。
昨年の秋、脳腫瘍関連の疾患でお子さんを亡くされたイギリスのお母さんたちの団体が、慈善団体に脳腫瘍関連の研究資金を寄付するためにスカイダイビングを行ったことが報道されました。団体名は「Forever Moms of Brain Tumor Angels」。また、その設立者でスカイダイビングの企画者Louise Foxさんは「We’re all moms to an angel, and the skydive helped us feel closer to them(わたしたちは皆、天使の母親です。天使になった子どもたちを、スカイダイビングをとおして近くに感じられました)」とコメントされています。
◇Fox News
https://www.foxnews.com/lifestyle/five-moms-who-lost-children-brain-tumors-jump-plane-help-others
私も息子のことを何度も「天使」といってきましたが、空を飛んでみようと思ったことは一度もありません。
寄付は7万ドル以上集まったそうです。私たちもスカイダイビング、やってみようかしら。いや、怖い――。
さて、日本の世間で「天使」とか「お空」というときのイメージや効果は、例えば、英語を話すキリスト教の人が「I have an Angel」と打ち出して喚起されるそれとはやはり違いがあるものと思いますが、私の印象では、日本では「天使」「お空に帰る/還る」と表現しても、必ずしもその人の信仰や死生観、世界観を示しません。実際、仏教徒である私も「天使」や「お空」といいますが、息子の場合でもよその子の場合でも、気遣いや、コミュニケーション上一線を引くための言い換えにすぎません。
コミュニケーションは大事です。私もそうでしたが、当事者家族の多くは活動に共感し、また、同じ境遇の仲間と出会って、聞きたいことや聞いてほしいことがあって集まりに加わるのですから。しかし、我が子の人生、家族のこと、生や死についての思いを誰かと語り合うときにも、「宗教の話」は避けたい。良くも悪くも、そう思うのがおそらく一般的です。尋ねられ、それに答えるべきときなどのほか、自分の宗教の話は基本的にしないのが社会生活の常識でありましょう。
もちろん家族会の仲間は大勢いますから、特定の(教義や教団を持ち体系を有するレリジョンとしての)宗教にコミットしている人や何らかの信仰のある人は何割かおられるでしょう。ですが皆さん、自らの宗教を明らかにしてその宗旨を述べるようなことはしません。
けれども例えば、わたしの宗派(曹洞宗)が法事などでよむ『修証義』は、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」というのが出だしです。つまり、生死の問題を明らかにしていくことが仏教徒の最も重要な課題である、と。
生とは何か、死とは何か、人生をどうよりよく生きていけるのかといったことは、仏教にかぎらず、多くの宗教・哲学が担い続けて何千年もの長きにわたるのであり、それらが生み出した文化のさまざまな要素が暮らしのうちに浸透しています。生や死、人生を語ろうというとき、宗教的な概念をまったく用いないようなことは不可能である気がします。
「天使」や「お空に帰る/還る」は、使うことにすっかり慣れてしまった言葉ですが、あらためて考えてみると、コミュニケーションを円滑に行うために役立つ「公分母」のようなものかもしれません。
「宗教的なコミュニケーションをなるべくしない」ために使われる「お空に帰る/還る」や「天使」という宗教的な言葉――。日本の社会では「成仏」や「浄土」よりも「色の薄い」「生々しくない」、「無難」な言葉の選択肢だといってもいいのでしょう。「天使」や「お空」といったほうが、プラクティカルなテーマのコミュニケーションも、やはり進めやすいわけです。
しかし「それはそれ」なのだと思います。
人は死んだらどうなるか、死んだらどこへ行くのかといったことは、各自がそれぞれの仕方で考えているのだろうと思います。霊魂や死後の世界はあるのか、あの子は今どこにいるのか、いつかまた会えるのだろうか、と。