おめでとう!国民民主党!さらば!国民民主党!
こんにちは、並立道です。
昨日、衆議院議員総選挙が行われました。
結果はなんと、自公過半数割れ。まさに、2012年以来の停滞した日本の政治状況に大変化が生まれていると言えるでしょう。
政治は変わらないなんて嘘だ、政治は必ず変わる。
新たな時代の始まり、その歴史的瞬間に立ち会えたことを光栄に思います。
国民民主党の大躍進
日本政治の大構造の話はさておき、私にとって最たる関心事が国民民主党の大躍進です。
私は今回、国民民主党に躍進してほしくはありませんでしたし、国民民主党は大躍進しないと思っていました。
そのエビデンスは以下のポストの通りです。
何かの間違えで国民民主は大躍進しましたし、それは杞憂でありました。私の見立ては大きく外れたと言っても良いでしょう。
素直に、私の大敗北です。
議席予想も大きく外し、穴があったら入りたいくらい恥ずかしさですが、私の負けは負け。
それは素直に認めねばなりませんし、一つの新たな可能性が国民民主党によって示されたことについても、私は否定するつもりもありません。
負けは負け、それは絶対的に揺るがない事実です。
私は明確に敗北した
私はこれまで、国民民主党に対する盛んな批判を繰り返してきました。
しかし今回、国民民主党が大躍進した以上、短期的な見立てとしての私の主張は間違いであったことが証明されました。
むしろ私と対立し、国民民主党の路線を正しいと信じ、国民民主党で真っ直ぐにこれまで頑張ってきた人たちの考えこそが正しいと証明されました。
これは私として一切否定のできないものであり、私として中道や是々非々の精神を尊ぶ以上、素直に私の敗北を認めねばなりません。
私は負け、国民民主党に根を張って順張り続けてきた人たちが勝利を収めたのです。
繰り返しますが、私は負け。それはどう考えても覆らない事実であります。
国民民主党に残された問題点
ゆえあって、noteにおいてはしっかりと記事を書いておりませんでしたが、私は現在、立憲支持者です。
要約すれば、昨年の国民民主代表選挙後の前原派の離党を以て、私は国民民主から立憲へと支持先を変えたのです。
そこには様々な事情や背景があるわけですが、大事なことだけを述べたいと思います。
国民民主党には政権政党としての論理構成が欠如している
正直、私は国民民主党支持者としては非主流派とも言える存在であり、あまり良い立場ではありませんでした。
しかしその中でも、私なりの支持者観というものが存在し、その私の目から見れば国民民主党は問題だらけでありました。
特に問題意識を持っていたのが、上の記事でも書いた、国民民主党の政権政党としての党員民主主義論の欠如です。
詳細は記事をご覧いただければと思いますが、要すれば、今の国民民主党は小規模から中規模の政党組織としての組織論を持っていても、大規模な立憲に代わり得る政権政党としての組織論は持っていないという考え方です。
これは今なお、考えは変わりませんし、むしろ、この私の言説の説得力はこれからどんどん芽吹いて行くとさえ考えています。
大規模政党化に失敗した日本維新の会
話は少し変わりますが、今回、日本維新の会は比例の得票を大きく減らし、その存在感を失いました。
維新としては、立憲に代わり得る野党第一党となることを目標としてきたわけですが、今回の敗北を以て、それは夢へと消え去ったのです。
今回の維新の敗北は、私としては不思議でも何でもありませんでした。
今回、維新は大阪では全勝したように、大阪の声を代弁する中規模政党としての基盤は確たるものであり、それは精緻ですらありましたが、維新を離れた足立康史氏が常々主張してきた立憲に代わる政権政党としての党員民主主義論を持たなかったために、立憲とは異なる新たな野党第一党として国民からは認められなかったということです。
このままだと国民民主党は維新と同じ失敗を繰り返す
先述の通り、国民民主党は小規模から中規模の政党組織としての組織論は持っていると思います。
しかしながら、足立康史氏が国民民主党を選ばなかったことが根拠となるように、現在の国民民主党にしても、維新と同じく新たな政権政党としての論理構成を示せているわけではありません。
故に、このまま国民民主党が従来の組織論に準じ、そこに変化が生じないのであれば、国民民主党は維新と同じ轍を踏んでしまうと私としては考えています。
私と国民民主党の物語の終焉
新時代の若者たちの可能性
現在の国民民主党は多くの若い方に支持されています。
もはや三十代になってしまった私とすれば、若干ジェネレーションギャップを感じるほどです。
私が現在立憲を支持しているのにしろ、そういった背景があるのだと思います。
若者には未知の可能性があります。
若者たちにならば、維新と同じ轍を踏まずに、本当に立憲に代わるだけの政権政党が構築できるかもしれません。
今は無理でも、いずれは新たな政権政党としての論理構成を構築してくれるかもしれません。
今は個別具体的な政策の立案に対して向けている熱意が、いずれは新しい政権政党の構築への熱意に変わってくれるかもしれません。
今回の選挙、あくまでも私個人としては負けましたように、若者たちの未知なる可能性が、再び私の悲観的な見立てを越えて、私をまた打ち負かしてくれることもあるかもしれません。
若者たちの可能性は無限大、私はその可能性を信じています。
かつて国民民主党を愛した者としての心残り
さて、私はあくまでも立憲支持者であり、立憲に骨を埋める覚悟でありますが、今回の衆院選では「#比例は略さず国民民主党」と書きました。
比例投票先が支持政党とは限らないと考える私の持論を踏まえれば、これは支持政党の変更を意味しません。私はあくまでも、立憲支持者です。
しかし私には一つ、心残りがありました。
ここまで述べてきたように、現状の国民民主党は新たな政権政党としての論理構成を示せていません。
また、その他の構造問題も多く抱えています。
政党というものを一つのシステムに例えるのであれば、国民民主党にはバグが沢山残された状態という訳です。
今回の国民民主党の大躍進は、いわば正式リリース。
今後、国民民主党は更に注目されることで、これまで可視化されなかったバグが顕在化してくると私は考えています。
新時代の若者たちへのエール「#比例は略さず国民民主党」
私が国民民主党から立憲支持に立場を変えたということは、どういう理由や事情があれ、バグの多くを放置したまま別会社に転職するようなものです。
それは私にとって非常に無責任であり、なんらかのケジメが必要です。
その最後のケジメが、「#比例は略さず国民民主党」という訳です。
私はもはや、国民民主党支持者として国民民主党のバグ対応には取り組めません。
それに対応しなくてはならないのは、現在の国民民主を支持する新時代の若者たちです。
私の今回の国民民主党への比例投票とはいわば、私がどうにもできなかった国民民主党の問題にこれから取り組みであろう人々へのお詫びであり、その一つのケジメであるわけです。
国民民主党は私にとっての微かな光であり続ける
国民民主党とは色々ありました。
いわば国民民主党とは、二十代の私にとっての遅れて来た青春でありました。
その淡い青春の日々に想いを馳せながら、私は立憲支持者として、若者たちの未知なる可能性に期待し、いずれ立憲が国民民主党に成り代わられる日を心待ちにしております。
国民民主党の皆様、ありがとうございました。
玉木雄一郎さん、ありがとうございました。
私はあなたたちとの出会いに心から感謝しています。
国民民主党とは私にとっての微かな光でした。
そしてこれからも、微かな光であり続けるでしょう。
さようなら、国民民主党。
最後に、私がかつて若き国民民主党支持者として作成した国民民主党のサムネイルを添えて、私と国民民主党の物語の一つの区切りと致します。
私は、国民民主党に出会えて心から幸せでした。