埼玉県知事は「共産主義者」なのか?
こんにちは、今回は今現在世の中を騒がしているキャンセルカルチャーの問題を深掘りしてまいりたいと思います。
記事を書くきっかけとなったのは、上の記事。
細かな説明は記事をご覧いただくとして、要すれば、「いつものアレ」です。
いや、流石に、「いつものアレ」では抽象的過ぎますね。
もう少し具体的な話をすると、表現の自由と表現規制派の戦いです。
表現の自由を嫌う表現規制派が、表現の自由を奪いに来ているのです!
という感じで、埼玉県の共産党が、とあるイベントを中止に追い込んだのです。昨今、なかなか息苦しい世の中です。フェミニストやら、共産主義者やらはどうしてこんなに「自由」を嫌い、統制を好むのでしょう。
まったく、けしからんことです。
埼玉県知事は共産主義者である!
とは言っても、共産党の鶴の一声でイベントを中止できるほど、埼玉において、共産党が議席を持っているわけでもありません。
最終的に、イベントの開催許可を取り下げたのは、埼玉県の意向が大きいのです。
知事である大野もとひろ氏がツイートしているように、今回の意思決定においては、共産党の単独の影響力というよりは、埼玉県としての意向も大きく影響しているのです。
共産党の要求に従うなんて知事なんてけしからん!ということで、大野もとひろ氏について少々調べてみました。
そうするとなんと、上の記事の通り、知事選の時に共産党と「共闘」しているではありませんか。
最近ではおなじみ、表現の自由の議論の一人者であるAV女優の月島さくら氏が仰るように、埼玉県知事は「アカ」ということなのでしょう、共産主義者の知事が表現規制を推進している、誠にけしからんことです!
ここまでは悪ふざけです
というのは冗談です。悪ふざけが過ぎました。
これまでの記述は、大野知事が共産主義者であるということを、事実であると摘示するものではありません。引用として記述しました。
ここまでの記述が、ネット上での一般的な見解だと思います。
ネットを普通に使っている人の肌感覚と言えば、こんな所かと思います。
このように、埼玉県の大野知事が共産主義者であるかのような情報が、ツイッター上で飛び交っていますが、私はその情報を鵜吞みにすべきではないと考えます。
大野氏は、バックの共産党が幅を利かせているような、いわゆる「革新系」の県知事ではありません。
今年八月に実施される埼玉県知事選挙においても、自民党と立憲民主党が協力姿勢を打ち出しているように、むしろ「保守系」の毛色が強い県知事です。
表現の自由勢力の重要人物である月島さくら氏が、落選運動のようなものを呼び掛けていますが、自民と立憲が協力している以上は、現状において有力な対抗馬が現れることは考えづらく、大野知事を落選させることは容易ではないと考えられます。
表現の自由勢力は、ノイジーマイノリティである
共産党との距離感を指摘されている大野知事ですが、その実態は、自民と立憲の両方が協力するような、いわゆる保守系の知事であり、いわば、多数派の民意の付託を受ける立場で、今回のイベントに際して、公共施設の使用を「不許可」という決定を下したわけです。
これはつまるところ、今回の決定は、特段少数派の表現規制派に配慮したものではなく、大衆の民意を受けたうえでの決定であるとも言えます。
それは自然と、埼玉県の決定を批判する側こそが「ノイジーマイノリティ」であるという可能性を示唆させます。
同様のイベントは過去にも開催されている点について
なお、同様のイベントは、過去にも開催されています、
今年始まったイベントというわけでもありませんので、「これまでにはイベントを実施できていたじゃないか」という風に考えることも可能である点は記述しておきたいと思います。
しかしながら、社会としてのコンセンサスが成り立っていたからという理由に基づいて、これまでイベントが開催できていたわけではないと、私は考えます。
恐らくは、これまでの公共施設使用についての基準の運用がガバガバであるがために、イベントを実施できていたのみであって、共産党による問題提起を経て、その指摘に一定の理があったからこそ、急遽、不許可の意思を表明したものなのではないかと思われます。
「表現の自由」の観点から、このようなイベントを公共施設において行うことためには、改めて、社会としての合意形成が必要なのではないかと、私は考えています。
既に社会としてのコンセンサスが成り立っているという前提で、こういったイベントの公共施設における開催を認めさせようという考え方では、どんどん大衆心理から乖離し、運動が先鋭化していく危険性があるのではないかと考えます。
たまたま、これまではなあなあにイベントを開催できていたという風に考えるほうが、現状に則しているのではないかと思います。
「規制派」に対しての、粗のある批判
また、共産党議員や大野知事に対する品位があるとは言えない批判も飛び交っています。
このような形での批判は社会としての合意形成を遠ざけるものであり、表現の自由を守る運動としては逆効果であると言わざるを得ないと思います。
今回のようなイベントを公共施設で行うための合意形成は、時を要する可能性が高く、長期的なスパンで戦っていく必要があるのではないかと思います。
今の戦い方で、守りたいものを守れるのか?
ひとまずの戦い方として、これまでに埼玉県による基準の運用がガバガバであった部分、共産党からの指摘が入るまでに、自浄的に運用を厳格化できなかったことにより、イベント直前に不許可の意思を示し、主催者や参加者、関連業者に不利益を生じさせた部分を攻め口とすることが有効なのではないかと思います。
そして、共産党にばかり照準を合わせた、ある種の党派的な批判や、人格攻撃に近い粗い批判というものは、合意形成を作っていく上では、むしろ逆効果となりうるため、大衆からの目を考えて、戦い方は弁えていく必要があるのではないかと私は思います。
以上、「埼玉県知事は「共産主義者」なのか?」でした。