「できない」を確認することの意義
自由には2種類ある。
保障される自由と
獲得する自由だ。
この国に「フランス語を話してはいけない」というルールはなく、僕にはフランス語を話す自由も保障されているが、実際の僕はフランス語を話せない。勉強も練習も話せる人とのコミュニケーションもやったことがないからだ。
裏を返せば「できない」には2つの可能性があるということ。そもそもルールなどの外的要因によってできないのか、やってもいいげど自分たちの都合によってできないのか…だ。
この違いを意識してない人間と一度口論になったことがある。
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2020年の夏の話。
今日みたいな雨の日で日課が変更になり、少年院の事務室で少しのんびり仕事をしてた僕。
10月に行う予定の運動会。企画を詰めるため、コロナ禍での実施について考慮すべきものを上司に確認した。
はNGとのことだった。
それを踏まえ僕は、例年のプログラムを思い出しながら「じゃ○○はできないですね」「○○もダメですね」と確認した。
すると、その会話に参加していた上司がこう言った。
普段、多少の意見の違いには穏やかに対応する僕がさすがに反論した。
要するに「できない」という単語に反応して本質を見ずに否定的な発言をした上司がズレてるわけだが、この感覚は大事だと思っている。
保障される自由の中で、最大限にできることをやろうと思ったら、NGのラインを確認することが必要。そのNBラインにのっとれば、例年に比べて何ができなくなるのか、を確認することも必要だ。なぜならば、コロナ対応競技を何種目考案しなければならないのか…が明確になるからだ。
たしかそんなことを、人類最強の兵士が言ってた。
今年の春、はじめてこのセリフを読んだ時、真っ先に思い出したのが、先程の上司とのやり取りだ。当然ながら僕の反論はきちんと受け止められ、お詫びとともに不足の確認は続行された。
その後の運動会がすばらしいものになったもの一言付け加えておく。
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できないことを確認し、その理由を把握する。保障されていないものなら短期的にはもう考える意味がない。でも、自分たちの方に原因があるなら、きちんと段取りを踏み、必要な条件をみたせばできるってこと。
どんなことでも、企画を立てる際にはこういう感覚が大事だと僕は思っている。
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よろしければこちらもぜひ、お聴きください。
そんな話です。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。