これでも書く量は減っている。|へいなかの執筆量と仕事量の話
1.メンバーシップの中身
月1200円のメンバーシップをやっています。
いろんな形で動いてるので、プロジェクトや活動領域ごとに記事を分けて、可能な限りリアルタイムに進捗を書き留めています。
僕自身にとっての備忘録兼To Doリスト。
時々スライドや動画を共有してるので、それだけで1200円の価値はあると思ってますが…まぁのんびりやってます。
2.へいなかの書く量
メンバーシップを覗くと複数のマガジンがあります。タイトルの先頭が日付になっている記事は随時追記されるもの。書けない日もあるので日付はまちまちですが、それでも複数の記事を同時に更新してるので、わりと書いてる方なんだと思います。
で…
「いちいちnoteに書くこと自体が、余計な労力なんじゃないの?」と思われる方もいると思いますが…
僕はわりと書くのが好きでして、書くことで整理できるし、書くことで考えられる。講演や研修の場合は、その中身を組み立てていくのにnoteがとっても役に立つ。
少年院の教官時代と違って日常的にパソコンを触れるので、実際そこまで負担にはなっていません。
その上で…
3.むしろ減ってる執筆量
少年院の教官は書く仕事だ。当直のたびに15冊前後の日記に手書きでコメントを書く。暴れてる子の制圧に加われば報告書を書くし、何もなくても子どもたちの行動観察を可能な限りたくさん書く。
僕は作文にもすべてコメントを返していたし、内省ノートと呼ばれる子どもたちが自主的に取り組んでる思考記録にもコメントを書いた。
当時の職場の中ではおそらく1,2を争うコメント量だったと思う。
そんな中で行事の起案文書も作るし、新入生が来れば教育計画も立てる。交代制勤務だから翌日の勤務者への引き継ぎも書くし、なんなら後輩へのアドバイスも書く。
要するに法務教官をやってた9年間は、外に出せなかっただけで、むしろ今より書いてたんだ。
書く量も話す量も多くて、その相手も目的も多岐にわたる。当然、即興性の高いやり取りになるし、話す・書くを通して自分の思索が深まることも多い。
Twitterで #塀の中の教室 として発信を始めたのは、そういう話す・書くの繰り返しの日々でネタに困らないと思ったからだ。実際、午前中の指導で生まれた言葉を昼休みに食堂からツイートしたことも何度もある。
あの頃に比べたら今の生活は、話す量も書く量も減っている。大幅に。
話す・書くがそのまま思索の手段になっていた僕にとって、話す・書くの量が減る=思索の量が減るってことでもある。
現状片手で収まる程度のきわめて一部の人しか読んでないメンバーシップだが、これだけの量を書き続けているのはその方が僕にとって健康的だからだ。
書きたい時に書ける場所を持っている…ということが、僕にとって精神的なゆとりになっているからだ。
4.最後に
ということで、あいかわらずTwitterもnoteも拡散力のないコンテンツばかり出しているが…まぁいいんだ。
こうやって長いつぶやきを書き留められるくらいにはゆとりが出てきた。そのうち感想や口コミを寄せてもらえるようなネタも思いつくだろう。僕はインフルエンサーじゃないからこれでいいんだ。(実力のなさをスタンスの違いとして正当化してるだけだけど。)
自分のための備忘録兼To Doリスト。そして思索のための書斎みたいな場所。もうすぐ開設から4ヶ月。のんびり楽しんでいきます。
メンバーのみなさんいつもありがとうございます。