やのっちさんとのスペースでお話したこと。
お越しいただきありがとうございます。
令和3年11月28日、Twitterスペースで対談を行いました。
前日に開催を決めて、特に内容の打ち合わせもなく話した1時間。気づけば30名以上の方が立ち寄ってくださり、うれしいことにとても好評だった。
んで、大切な友人たちが聴きそびれたというので、僕のお話の部分だけ記憶にもとづいて書き出してみます。
録音できないスペースという場で話した手前、一緒にお話してたやのっちさんのお話を僕が勝手に書くのは無粋というもの。
僕の部分だけ書き出しても文脈がわかりにくい部分は出てきてしまうとは思いますが、そこはご容赦ください。
項目別に書き出していきます。何かの参考になれば幸いです。
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1)通勤時間について
僕は法務教官を退職して現在放デイで働いている。
片道40分くらいの車通勤。法務教官時代は徒歩3分だったが、東京で会社員をしていた時は片道1時間以上の通勤だったから苦ではない。
通勤時間が短いことによる家族と過ごす時間の増加は大きなメリット。その一方で自分一人の時間と捉えれば通勤時間も貴重ではある。
昨年11月から朝のランニングが習慣になった。結婚と娘の誕生により一人の時間がなくなったことから、ダイエットに加え「耳から情報を入れるインプットの時間」と位置づけたことで習慣になったものだ。
どちらがより望ましいかはそれぞれだが、1つの行為に複数の目的や価値を見出すことで時間的にも精神的にもゆとりが生まれ、満足感も上がる。
2)地域に生きるということ
わざわざ自宅から離れた土地に働きに出るということは、通勤時間のコストも含め負担の大きい行為でもある。
通勤時間の育児はパートナーや保育園など、誰かが代替してくれているわけで、それが自分と子どもに与える影響にも一考の余地はある。
地元で働くことができれば、地元のコミュニティに根を張ることもでき、新たな豊かさが生まれるだろう。
ただ…
地元に根を張るためには必ずしも地元で働く必要はない。
安部の父は30年近く、地元でボランティア団体を主催していた。自ら立ち上げ、月に一度廃品回収をしてその売上を寄付していた。市の認定団体となり何度も市から表彰を受けた。
自らチラシを作って配り、地域の人の支援と廃品の提供を受けることで地域の人々とのコミュニケーションのきっかけにもなった。
ノルマがないボランティアだからこそ、回収の際に丁寧にあいさつをし、それが提供者にとっても親しみを生んでいた。
終了に際しては多くの人から感謝と寂しさを伝えられた。
そのほかに自治会などの活動に参加していたことの影響ももちろんあるだろうが、仕事でなくてもこうして地域の中で生きていくことはできるのだろうと思っている。
3)地域で生きるということ②
安部は法務教官を退職し、それに伴って転居した。50年ほどの歴史のある団地(住宅地)。昔ながらの自治会活動などが面倒な面もあるが、ご近所さんが娘を孫のようにかわいがってくれるなどメリットも多く、満足している。
また
茨城に移り住んで10年になるが、その間、チェーン店にはほとんど行かず、個人店に行きつけを作った。
「いつもの」が通じる店がいくつもあり、美容師にいたっては互いの独身〜結婚〜子育てのストーリーまで共有している。
モノではなくヒトに金を払うことで、地域に対する愛着が湧く。
居酒屋に飲みに行っても、「酒を楽しむ」に加え「友人(店主)に会いにいく」という目的(価値)があるから本来2個に分けて行いコストも別々に払うべきところを1発で両方満たすことができる。
時間的にも金銭的にもゆとりが生まれ、豊かさが増しているように感じている。
4)目的や価値を複数持つということ
行きつけの店に限った話ではないが、ひとつの行動に複数の目的を持つようにすると精神的に充足感が増す。
ランニングはダイエット&インプット。行きつけの店への訪問は飲食&店主との会話&妻の家事負担の軽減。友人知人が出版した書籍の購入はインプット+応援だ。
プレゼントを考え、購入している時のワクワク感に似て、一石◯鳥を考えていること自体がワクワクする。
ちなみに先日は、いただいた大量の芋の消費と娘の遊び、嫁の調理の軽減を目的に庭でBBQセットを使って焼きいもをした。
5)寄り道のススメ
目的地に行くことだけを価値にするともったいない。寄り道をすることによって小さな発見が生まれることも多く、行き帰りの道のり自体が価値を持つ。
行きと帰りで道を変えるなどすると、道を考えること自体がちょっとした楽しみになる。新鮮な気分を味わったり、よさげなお店を見つけるなどの発見を楽しむことができる。
6)法務教官と養護教諭の共通点
それは代替できないこと。
カウンセラーには必須資格がない。カウンセラーとして働くだけなら公認心理師でもそうでなくてもできる。
でも
少年院の中で非行少年と密に関わったり、学校の保健室で生徒ときちんと向き合うことはそれぞれ法務教官と養護教諭にしかできない。
だから偉いということではないが、転職を考えるならば「代替できない」ということはきちんと考慮しなければならない。僕がもう一度少年院で仕事をしようと思ったら基本的には法務教官になるしかない。
7)家族のためには働かない
夫であり父であるから、当然最低限稼ぐことは責任だと思っている。
が
「家族のために公務員を続ける」という選択はしなかった。僕は家族のためという理由で仕事は選ばない。
僕が家族のために働いたら、その背中を見て育つ娘も娘の家族のために働くことになると思っているから。
僕は娘には娘自身のために働いてほしい。
だからまず、僕が僕のために働く。
家族のためだけを思えば、どう考えても国家公務員を辞めるのは正解ではない。が、僕は僕の気持ちを優先した。僕は僕のために働く。
ただ
僕のやりたいことの中には妻と娘が充実した人生を送れるよう努力することも含まれているから、家族のためと自分のためは同心円上にある。
8)悩んでいる人が陥りがちな思考
悩みを抱え、気持ちが沈んでいる人は「一発で魔法のように解消する方法」を期待してしまう。そして人からのアドバイスに対して「それじゃ大して変わらない」と言ってしまう。
「大して変わらない」のは事実かもしれないが、それでもその対策は実行した方がいい。100あるストレスが5でも10でも軽減できるのならば、同様の小さな対策を複数持つことでかなりの程度解消することができるからだ。
「それじゃ大して変わらない」と口にして人のアドバイスを受け流すと、それ自体がまた落胆となってストレスを増大させる。
気持ちが沈んでいると、前向きに生きている人が魔法を使って悩みを消しているように感じるが、実際はそうではない。
これまでに述べてきたような工夫を含め、小さな対策をこまめに実践することで総体としてストレスを軽減し、課題を克服している。
小さな対処法をたくさん持っておくことが大切だ。
9)人格とスキルを切り離す
ネット・SNSの浸透によって、何もしなくても自分に最適化された情報だけが飛んでくる時代。それは自分と同質の情報だけが飛んでくる視野狭窄の時代とも言える。
地域につながりを持つということは、多様性を内包する人格を作る意味でもとても大切。
「明るさ」や「社交性」は性格の問題になりがちだが、ある程度スキルとして割り切った方がいいものだと思う。
声のかけ方や共感の示し方
共感と同意を分けること
自他の違いを楽しむこと
そういう人と繋がるためのコミュニケーションをきちんと身につけさせてあげることが、教育の本質なのかもしれない。
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だいたいこんな感じの話をしたと思います。ほかにもあったらすみません。でも大体網羅したはずです。
やのっちさんとの語らいの中で自然に出てきた僕の考え。日頃からこう思って生きているというただの個人的な生き方の話がほとんど。でもどうやら、聴いている人にも、ほんわかと楽しい話になっていたようだ。
このまとめはエスタさんはじめ、終盤に駆け込んでくれて前半を聞き逃した友人たちへ、日頃の感謝を込めて書き起こしました。
何かの参考になれば幸いです。
(感想を一言つぶやいていただけるととっても報われます。)
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②著書『塀の中の教室』
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月500円です。記事自体は読まなくてもいいです。
安部への投げ銭だと思っていただけたら。
購読してくれたら泣くほど喜びます。
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こんな最下層まで来てくれた貴方へ
本当にありがとうございます。商売ベタでなかなかきちんと稼げていない僕ですが、今年度いっぱいきちんと悩んで考えて…貴方の応援にふさわしい活躍ができる男になります。
また覗いてやってください。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
安部顕