所信表明演説(退職の報告と御礼)
【ご報告】
令和3年3月31日,僕は法務教官を退職しました。
退職願を出したのは3月2日。
そこから今日まで…
退職のあいさつ
家探しから引越し
4月以降の仕事の模索…
と,怒涛の日々を送って今に至ります。
Twitterの140文字では,誤解を生むことも,また疑問を生むことも多いだろうと思いますので…大したことではありませんが,ここに退職の経緯とこれからのことを少しずつ書いておきたいと思います。
1)退職の経緯と意図
僕は以前から「いずれ法務教官を辞める」と考えていました。
そこには,僕自身の仕事への思いだけでなく,家族(妻と娘)のことや親族のことなどへの展望も含まれています。
正直な話…
2018年から始めたTwitter「へいなか」にも
公認心理師の取得にも…
「退職後に役に立つ可能性」を見据えた”先手”という意味もありました。
つまり…
前々から準備していた日が,遂に来たということ。自分のためにも家族のためにも,次のチャレンジをしたいということ。決して,不祥事やネガティブな退職ではありませんし,体調を崩したとかでもありません。
(心配してくださった方,本当にありがとうございます。急な報告で驚かせてごめんなさい。)
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2)法務教官という仕事への想い
退職に際して,とてもお世話になった先輩からこんな言葉をいただきました。
日本一の法務教官になっていくのを近くで見ていたかった。
あまりにももったいない言葉ではありますが,大先輩にそう思っていただける位には,僕は法務教官をやれていたようです。天職だと,心から思っています。
ただ…
天職はきっと1つではないし,塀の外にまだないのならば自分で創ればいい。
法務教官になる前…サラリーマンを辞めてからの1年半は,バイトをいくつもかけ持ちしながら,ボランティアと試験勉強に明け暮れていました。
営業マンを退職後,フリーターを経て法務教官へ…僕の社会人人生は,そのほとんどが”若手”。
今回の退職も…
もう一度”若手”に…
”チャレンジャー”に戻りたいという,
僕のただのエゴです。
少年院の中では…非行少年と毎日命をぶつけ合いながら,時に幹部と衝突しつつ仕事をしてきました。
やんちゃな僕のわがままを,色々な思いがありながらも黙って尊重してくれる先輩たちがいました。毎週のように一緒に酒を飲みながら,仕事論や教育論をぶつけ合ってきた戦友のような同期がいました。
彼らは,破天荒で波風立てまくる僕を,それでも好きなように暴れさせてくれました。
彼らが僕を受け入れてくれたのは,きっと…僕のわがままが常に「生徒のためのわがまま」だったからです。
今回の退職は,100%純粋に僕自身のためのわがまま。
押し付けてしまった同期や先輩,後輩に一抹の申し訳なさを感じつつも…
最後だけ,自分のためのわがままを通させてもらっての退職となりました。
天職は1つじゃなくていい。
そんな背中を非行少年に見せることが,
法務教官としての最後の指導になればいい。
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3)これからのこと
「いずれ辞める」とは決めていたものの,正式にこのタイミングでの退職と決めたのは3月に入ってから。
ですから,4月からの仕事はほとんど白紙。
ただ,決めていることがあります。
それは…
フォロワーの皆さんに恩返しをすること。
そして
法務教官として積み上げた経験を社会に還元すること。
僕がTwitterを始めるまで,世の中にはほとんど法務教官に関する情報がありませんでした。あっても現場を離れて長い幹部たちの発言で,僕のような現場で体張っている人間の言葉は,極めて少なかった。
それは…
法務教官という職業の
少年院という教育機関の
そして非行少年の実態の…
認知度の低下を招き,矯正教育の質の低下と,再犯防止の逆風を生み出していると僕は感じています。
同時に,
法務教官の経験や技術は,学校や家庭の役に立てるのではないかとも。
だから僕は,これからも「へいなか」として発信を続けながら,民間人の立場で,若者の支援と教育に携わっていきます。
具体的なことは何も言えない段階ではありますが,これからもどうぞ,よろしくお願いいたします。
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4)フォロワーのみなさんへ
令和3年3月31日の退職日現在…
4021名のフォローをいただいています。
ただでさえ認知度の低い法務教官なんて人間の,しかも匿名のアカウントをこんなにたくさんの方にフォローしていただけるとは,まったく想像もしていませんでした。
正直「2000まで行ったらいいな…」くらいの感じで始めたのです。
退職した今,改めて思うことは,Twitterを通して僕と出会ってくださった皆様への感謝しかありません。
2018年4月のアカウント開設以来,僕はたくさんの場所でお話をさせていただきました。コロナ以前はオフラインで,コロナ禍においてはオンラインで…本当にたくさんの人と出会い,たくさんの人と語り合わせていただいた。
普段,匿名で発信し,ツイート上では職場や地名,経験年数などを何も明かしていない僕ですが,そうした語らいの場では,いつも…僕自身の個人情報をすべて開示して話してきました。
僕のアカウントが今日まで無事に存在しているのは,フォロワーのみなさんが,僕の個人情報を守り抜いてくださったからです。
法務教官という仕事の特性を理解し,それでもなお発信することの価値とリスクを理解して…イベントで聴いた僕の話を,きちんと胸にしまって守ってくださった。
だからこそ,僕は今日まで丸3年,発信を続けることができている。…こんなにありがたいことはありません。
改めて,
この3年で僕と出会ってくださった皆様に,心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
これから僕は,一民間人として様々な形で仕事をしていきます。
これからもきっと…多くの人と出会い,時に一緒に仕事をしていくでしょう。
けれども,
フリーランスになった今,まずやりたいことは…フォロワーのみなさんへの恩返しです。
今日までのどこかで,僕の顔を見て,僕の話を聴いてくださった皆様…
フリーになった僕に手伝えることがあればぜひ,これまでと同じように遠慮なく声をかけてください。これまで以上にフットワーク軽く,全力で対応させていただきます。
これから出会う人よりも,まずはこれまでにお世話になった人に恩返しを。民間人になった僕を,使えそうな場面で気軽に使ってください。
皆様のフォローといいねと感想に,いつも支えられてきました。
ひとまず…
今日まで本当にありがとうございました。
これからのことはまた,少しずつ発信しいていきます。
最後まで読んでいただき,ありがとうございました。
心からの感謝と決意を込めて。
元法務教官 へいなか
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。