質問をする意味
ある程度の年齢になると、誰かに質問することが少なくなる。
仕事、恋愛、趣味‥いろいろなことで、「初めて」の経験が少なくなるからだと思う。
わたしは最近から野球を見るようになった。
きっかけは特にない。ただ、選手達が一生懸命プレイしている姿に感動したからだ。
だが、いざ試合を見ても大まかなルールしかわからない。
「ストライク3つでアウト1つ。アウト3つでチェンジ」
本当にこのレベルで見始めた。
もちろん選手の名前ほとんどもわからない。いつか深夜のスポーツニュースで見た選手の顔をおぼろげに覚えているぐらいだ。
これでも一応楽しいのだが、けれどもっと知識をつけたい。
そう思ったとき、わたしの友人で野球が好きなSのことが頭に浮かんだ。
久しぶりに連絡を取り、約束を取り付け、スポーツ観戦ができるバーに出かけることになった。
それはちょうどセ・パ交流戦で 巨人 VS 日ハム の試合。
13連敗からの脱出をもくろむ巨人と、こちらも5連敗から抜け出したい日ハムの戦い。
Sにこの試合の見どころを聴きながら観戦をする。
” 楽しい ” 素直にそう思った。
そこで、わたしもいろいろな質問をした。
「この選手はどんな特徴があるのか?」
「なんでいまのタイミングでピッチャーの交代をするのか?」
「カットボールってなんだ?」
など、野球ファンの人からすれば聞くに堪えない内容だと思う。
しかし彼はそれに丁寧に答えてくれた。
彼曰く、「わからいことは聞けばいい。それで野球を好きになるなら、知ってることは教えてやるよ」とのこと。
この言葉を聞いたとき、質問をすることの意義を見つけた気がした。
それは「新たな気づきと新しい関係の構築」ができること。
まさにこれに尽きる。実際に、わたしは彼から教わることで楽しく試合を見ることができ、野球観戦という新しい楽しみ=新たな気づきがあった。また、彼との距離感も変化してきていて、「今度は生で観戦しに行こう」なんて話しも出るほどの関係性になった。
「質問をする意味」
それぞれがその答えを持つことで、新たな発見が生まれ、それが人生を色彩豊かなものにするのだと、わたしは思う。