自己麻酔をこえて
今日会社で
今年の4月から入られた60代の社員が
オンラインの経理システムについて
最終的に「印刷」して提出しなきゃ
精算できないことに対して
「何これ、印刷しなきゃいけないの?」
「オンライン経理の意味とは!?」
とややご乱心気味だったので
「ですよねーーー」
「もっとおっきな声で言ってください!笑」
と茶化しつつも
「システム入ったの去年で
まだ試行中なんですよ」
「(その方より社歴はやや長い)わたしたちも
オンライン経理(で出張の精算は)
したことない人の方が多いですよー」
と伝えたところ、
「え、そうなの?」
「そっかー、ならまぁ、しょうがないね」
と、少しは矛先がおさまった感じで
なんとなくほっとした空気が流れた。
うんうん、わかる。
オンライン経理の意味を問いたくなる。
でもわたしは知ってる。
この経理システム導入だけで
3年近くかかっていること。
経理担当の方が何回も何回も
勉強会だったり改善会だったり
されていて
徐々に使いやすくなってきていること。
ベストではないかもしれないけれど、
ベターを尽くしてくれていること。
そして、去年の6月頃、
自分がが荒ぶっていたときのことを
思い出した。
わたしの職場は
テレワークのテの字はないんだけど、
緊急事態宣言中の一時的な
「時差通勤」がOKになっている。
時差通勤がOKになった
ときのわたしの感想は
通勤時間をずらそうが
(世の中の大手企業並びに
優良企業のみなさまのご努力により)
わたしの場合電車はすいている。
それよりも、会社内でほとんど
三密対策が取れていない方が
問題ではないか
と言う気持ちが強く
「時差通勤!?子供だましが・・・!」
と思ってた。(荒れてますね。笑)
同僚に、
「いやいや、それでも進歩だよ」
「役員が頑張ってくれたんだよ」
と言われても
「それじゃあ意味なくね??」
くらいに思ってた。(荒れてますね。笑)
今思えば
そう言ってくれた同僚は
時差通勤だけでも
どれくらい努力があったかを
知っていたから
結果だけ見て
荒れているわたしを見て
気に病んでいたんだと思う。
今なら、わかる。
目に見える結果が大事な
世の中だからこそ。
わかりやすい結果が
もてはやされる今だからこそ。
その過程にも目を向けられるのは
愛だってこと。
知ることも
知ろうとすることも
知られようとすることも
わかることも
わかろうとすることも
わかられようとすることも
全部、愛。
わたしには
物事をざっくり見る癖がある。
物事をきれいごとで片づける癖がある。
深く物事を考えるのが苦手だし
メルヘンというか
いつまでも子どもというか
一つひとつの物事を
じっくり見ずに
目は半開きで
ぶよぶよのまま
くっつける感じ。
たとえるなら、麻酔中のよう。
痛みを感じないように
感覚を閉じる。
見ない。
見ようとしない。
聞かない。
聞こうとしない。
知らない。
知ろうとしない。
わからない。
わかろうとしない。
そうすることで
自分を守ろうとしてきた。
痛いのは嫌だから。
だけど最近。
見ても大丈夫だって気が付いた。
聞いても大丈夫だって気が付いた。
知っても大丈夫って気が付いた。
わかっても大丈夫だって気が付いた。
痛いときは痛い。
でも、痛くても大丈夫だって気が付いた。
そうやって世界を見たら
世界は、平面じゃなくて
のっぺりしてなくて
もっと立体的で
肌ざわりがあって
においがあって
優しさがあって
愛おしさがあった。
そんな世界を
見られるようになった。
そんな世界に
気がつけるようになった。
ああ、わたしは
こんな世界を感じることができるように
なったんだなぁ
自分で自分に
麻酔をかけなくても
大丈夫になってきたんだなぁ
せっかく
持って生まれてきた感覚は
鈍らせるんじゃなくて
使って
感じ切った方が
気持ちいい
おそれずに
もっと見て
もっと聞いて
もっと知って
もっとわかって
愛の海に
どっぷりつかりたい
みほ