【イギリス見聞録】物語のはじまるところで魔女を探す
イングランド南西部にある都市ブリストルを起点に、ちょこちょこと訪れたイギリスの街や村について、私見と偏見まみれの記録です。
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丘のむこうに
ブリストルを出発して小一時間。波打つように広がるイングランドの丘稜を飽きることなく眺めていると、遠くにそれが見えた。
「あそこがグラストンベリーだよ」
まだ少し距離があるが、はっきりとわかる。伏せたお椀型の丘に、なにか細長いものが突き刺さっているように見える。あれがGlustonbury Tor(グラストンベリー・トア)だ。
イングランドには山がない。放牧地と耕作地がまるで緑のパッチワークのように広がっており、その下で幼子が体を丸めて隠れているかのように、あちこちに小高い丘がある。恐竜の背中のような、ごつごつとした日本の山並みも美しいが、このなだらかな風景も新鮮で目が離せない。
トアの建つ丘の周りには平地が広がっている。そのせいか、その丘だけがやけに際立って見えた。まるでその下に何かを封印しているようだ。
イングランドのパワースポット
グラストンベリーは有数のパワースポットとして知られている。「古来から大地のエネルギーがあふれる場所」と言われているらしい。特にグラストンベリー・トアについては、その下に妖精の国への入り口があるだとか、かつては海に囲まれた島でアーサー王が最後の戦いの後に辿り着いた場所だとか、イエス・キリストが少年時代に訪れたとか、ありとあらゆる伝説がある。実際は教会の一部だったらしい。
この塔を見て、すぐさま思い出した本がある。ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『時の町の伝説』だ。物語の中で、時空を超えて別世界へ行けるゲートのような建物が出てくるのだが、あれはまさしくこのトアのことじゃないか。本を読んで想像していたものが実際に目の前に現れたみたいだ。いや、もしかしたら挿絵があったかもしれないな。だとしたら挿絵を描いた人がこのトアをイメージしたのだろう。とにかく、物語の世界と通じる何かがあるのは間違いない。
飛ぼうとしてみる日
ものすごく風の強い日だった。丘には木がないので、強風が容赦なく吹きつける。吹き飛ばされそうになりながら一歩一歩登っていくと、丘の上から辺り一面の景色が見渡せた。写真を撮って振り返ると、塔はもうすぐそこだ。
デカい鍵穴のような入り口がぽっかりと開いている。入ってみると、中はかなり狭い。両側の壁沿いに腰掛けがある。壁の高い位置には細長い穴が開いていて、そこからかすかに光がさし込んでいる。天井を見上げると、はるか上に曇り空が見えた。三歩か四歩進むと反対側の鍵穴から外に出る。たったこれだけ。当たり前だが、過去にも未来にも別の世界にも繋がっていない。それにしても不思議な建物だ。
耳元で風がごうごうと唸る。いや、もしかしたら封印されたドラゴンか何かのうめき声かもしれないな。ここはいつもこんなに風が強いのだろうか。本当に空飛べそう。見習いの魔女たちはこの丘で空を飛ぶ練習をするのかもしれない。
妄想は広がれど、妖精の国もドラゴンも見当たらないので、来た道をたどって丘を降りる。だが、この町の不思議スポットはこれだけではない。丘を降りたところに第二のスポットがある。道を挟んだ右と左で、どうゆう訳だか二種類の違う水が湧き出しているという。
白の泉と赤の泉
丘側にあるのがThe White Spring、白の泉だ。石壁から水がちょろちょろと湧きだし、その水はいくつかのお椀型の水瓶をつたって滑り降り、やがて池に辿り着く。水が湧き出ているポイントには、水を汲んでいる人が何人かいた。怪我や病気が治ると言われているらしい。温泉みたいなものか。
友人に連れられて、何かの入り口を潜り抜ける。暗い洞穴のような場所だった。足元が濡れているので用心しつつ、あちこちに置かれた蝋燭の明かりを頼りにゆっくりと進む。入ってすぐのところには、いかにも魔術を習得しようとしているという風貌の、髭の長いお爺さんが座っていた。
中はまるでスーパー銭湯のようだった。湯舟のようなものがいくつかあって、泉の水でたっぷりと満たされている。残念ながらすべて冷たい水風呂で、ぼこぼこ噴き出すジャグジーもない。さすがに浸かっている人もいない。
それにしても、まさしく魔法の儀式を行う場所、といった雰囲気が作り込まれている。大小さまざまな蝋燭と、どこか異国を思わせるお線香のような香り。用途不明の謎の装飾物のようなものがあちこちに散乱している。私の人生で一番、文字通り「神秘的な雰囲気を放つ」場所であるのは間違いない。が、ひねくれものの私には、この演出がかえって胡散臭い。第一、見学者が道を譲りあいながらうろうろしている時点で、秘密の場所ではなくなってしまっている。
再びお爺さんの前を横切り、外へ出た。この道の向かい側に、Chalice Well(チャリス・ウェル)という庭がある。ここに「赤の泉」があるらしい。それほど大きくはないが、とてもピースフルなガーデンだ。ピースといえば、かのジョン・レノンはこの庭で、名曲Imagineを作っただか着想しただかしたらしい。Imagineの生まれた場所だって。想像してごらん。
冬だからか、花はあまり咲いていないが、水の流れる音と木の葉がこすれる音が心地よい。ちなみに、ここの水も飲めるらしい。「赤の泉」というが、水は無色透明だ。ただ水が流れている水路が錆びたような朱色に染まっている。よくわからないが、温泉と同じようにマグネシウムだとか鉄分だとかの成分の配合が他の水と違うのだろう。
魔女たちのショッピングストリート
ガーデンを後にして、グラストンベリーの町へ向かう。町はそれほど大きくない。中心部にGlastonbury Abbey(グラストンベリー・アビー)という大きな教会があり、その周りの道沿いにお店がずらっと並んでいる。観光地だからか、お土産屋さんや雑貨屋さんなど面白そうな店がたくさんある。
「この町に魔女が買い物をしに来る」というので、わくわくしながら店を覗いて歩く。普通の洋服屋さんや本屋さんに紛れて、たしかに不思議なものを扱っている店がある。宝石や不思議な色の鉱物、お香、どこかの民族の置物や衣装、占いの道具など、どれもこれもそれっぽく見えてしまう。
中でも友人一押しの「star child」というお店に入ってみた。背の高い棚に所狭しと並んでいるのは、ハーブだ。ありとあらゆる薬草が何十種類も置いてある。他にもキャンドルやアロマ、エッセンシャルオイルなどが売られていた。店内は不思議なお香のかおりがして、ファンタジーな雰囲気を引き立ててられていた。まさに魔女のお店だ。
グラストンベリーのもうひとつの顔
グラストンベリーを語る上で欠かせないのが、グラストンベリー・フェスティバルだろう。イギリス最大級の野外音楽フェス。国内外の超有名アーティストたちが集まる一大イベントだ。
会場からわずか1時間のところに住むことになった私は、2年のうちに1回は参加しようと意気込んでいた。しかし、コロナにより2019、2020と2年連続開催中止。まあ開催されていたとしても、チケットをゲットできたかどうかは怪しいが。残念だが、またいつか必ず挑戦しようと思う。
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小さな町だが、ここはもう一度行ってみたい場所のひとつだ。この時はアビーには入らなかったので、今度はアビーの中にあるというアーサー王の墓を見てみたい。ファンタジー愛好家に限らず、訪れた人を魅了する不思議な魔力を持った町だと思う。