『能十番』について

いとうせいこうさんとジェイ・ルービンさん共著の『能十番ー新しい能の読み方』を読んでいます。

この本は、お能についての作品を探している中、Amazonで見つけ、購入を決めたものの、3,350円(+税)とお値段が比較的高めです。
読みたい本なので、あまり気にせず購入を決めてしまったものの、なんで高いのかなぁ、という思いはありました。

数日、届くのを心待ちにしていましたが、届いて金額に納得、装丁が美しい!
表紙は金の露草柄のような模様の厚い和紙で、綴り方も小口を袋綴じにした謡本のようになっています。
著者お二人の名前の書体も、シンプルで色のアクセントがあって素敵。
読書好き…、というか、本好きの方なら、この金額は納得。
手元に置いて大事にしたい本ですね。

お能について、私はまだまだ✖️1,000くらいの浅学なのですが、お能の魅力の一つとして、死してなお何かを訴えようとする登場人物の執拗なまでの何かに対する執着と、それに対する葛藤、苦しさや悲しみ、そこにある個性、そのようなものも人を惹きつけるのだと思います。

例えば本書に掲載されている作品、「忠度(ただのり)」は、平家物語に登場する一部の場面を展開させた作品です。
須磨の浦の激しい合戦において源氏に敗れた平氏一族の平忠度(たいらのただのり)は、
文武に優れた武将でした。
そんな彼が詠んだある歌が当時の勅撰集(天皇によって編纂を命じられた公的な和歌集)に掲載されたのですが、源氏の天下となった時代において、忠度は朝敵となってしまったため、名前が載せられず「詠み人知らず」とされてしまいます。
忠度は死してなおそれを嘆き、通りかかった勅撰集の選者に仕えていた旅の僧に、歌の作者である自分の名前を書き記すように勅撰集の編者へ伝えて欲しい、と訴えるのでした。

この時、忠度が強く執着していたのは、源氏に敗れた自分自身の源氏への執念や怒りではなく、平家が滅亡した無念さでもありませんでした。
イエの存在が大事とされた鎌倉時代において忠度は、そうした一族のことよりも、自分自身が優れた作品を詠んだのに、自分の名前が勅撰和歌集に載らず、後世に名前が残らなかったこと、それを嘆き悲しみ、亡霊にまでなっていたわけです。
そして、少しでも勅撰集にツテのある僧に、自分の名前を残すよう頼んでもらいたい、と訴えて消える、「忠度」は、結局はそれだけのストーリーなんです。
でも、自分の名への執着、死んでも悔やまれる名声への欲求、それに加えて和歌という言葉(歌道)への深く美しい愛着、なんて人間らしい欲望であり、儚くも高貴な生き様でしょうか。

いとうせいこうさんは、このことを「太宰(治)が先輩作家に、賞をくれ、と手紙を書いた話のよう」とも書いています。
このような人間臭さがお能の魅力の一つなのだと感じます。
加えて、お能は総合芸術なので、他にも見どころがたくさんあります。

私自身、日常は業務で手一杯になってしまっている現状なので、週に1,2回はこうした日本芸術に関する学びを深めたいな、と最近は特に強く感じています。


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