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お能「善知鳥(うとう)」について
いとうせいこうさんとジェイ・ルービンさん共著の『能十番』を読むことが土日の楽しみの一つになっています。
「忠度」「井筒」と読んできて、今回は「善知鳥(うとう)」を読みました。
善知鳥とは鳥の名前で、Wikipediaによれば、ウミスズメ科に分類される海ドリの一種、体調は40cmほどで、ハトよりも大きいくらいの大きさです。頭から胸・背にかけて灰黒色の羽毛に覆われ、腹は白く、くちばしは橙色という特徴を持っています。
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この善知鳥については、ある伝説があります。
善知鳥は今の青森県、かつての奥州外浜(おうしゅうそとがはま)と呼ばれる地域に住んでいました。
善知鳥の親は、自身の子の身を守るため、海辺の砂の中に隠して生活しています。
しかし、広い砂浜の中、親鳥自身が砂に隠した雛鳥を探すことは容易ではありません。
そこで、親鳥は「うとう」と鳴いて雛鳥を呼び、雛鳥は「やすかた」と答え居場所を知らせ、餌を与えるという生態をしていました。
それを知った猟師は、親鳥の呼び方を真似て「うとう」と呼び、雛鳥が「やすかた」と答えた場所から雛鳥を捉えて殺し、自身の生活の糧にしているのでした。
しかし、生涯で卵を一つしか産まないと言われている善知鳥、その子を奪われた親鳥は、悲しさのあまりに血の涙を流しながら、雛鳥を取り返そうと猟師を追いかけます。
その血の涙が一滴でも人にかかったら、生きたまま幽鬼にされてしまう、と言われる、そんな伝説です。
また、青森市内には「善知鳥神社」という神社もあります。
ここは1200年以上の歴史がある神社で、青森市発祥の地とも言われます。
というのも、かつての青森市は「善知鳥村」と呼ばれていたためです。
この村ですが、善知鳥神社のある陸奥(みちのく)の外浜(そとがはま)に、時の天皇にお咎めを受けた「善知鳥中納言安方(うとう ちゅうなごん やすかた)」という公家が住むようになり、天照大神の御子を祭神として祀ったことが始まりとされています。
その後、善知鳥中納言が亡くなると、どこからともなく見慣れない鳥が飛んで来るようになりました。
その鳥は、親鳥が「うとう」と鳴くと、雛鳥が「やすかた」と鳴くため、善知鳥中納言の魂がその鳥になった、とされ、以来、「善知鳥」と名付けられた、ということです。
その後、荒れ果てた善知鳥神社を坂上田村麻呂が東北遠征した際に再建され、現在に至ると言われます。
さて、お能の「善知鳥」はこうした善知鳥の生態を用いた作品です。
この作品には、歌枕としても知られる著名な歌が出てきます。
睦奥(みちのく)の
外の浜なる
呼子鳥(よぶこどり)
鳴くなる声は
うとうやすかた
藤原定家が詠んだとも言われますが、外浜の伝承に沿った歌です。
お能「善知鳥」は、この歌と地元の伝説と共に、こんな物語があったのではないか、と脚色されて作られた作品です。
旅の僧が陸奥(みちのく)の外浜(そとがはま)に向かう途中で、越中の立山に登り、下山する途中で老人に呼び止められます。
老人は、故郷である外浜に残した妻子へ弔いの言葉を僧へ頼みます。
遠方への依頼を受けるか迷う僧に対し、老人は、その証拠として、自身の衣の片袖をちぎって渡すと、消えてしまうのでした。
やがて僧がその老人の家を訪ね、妻子と話をすると、片袖が肩身の衣とぴたりと合います。
それを知った僧は、老人を弔うため祈祷を始めますが、やがて先ほどの老人が猟師の亡霊となって姿を現します。
猟師は生前、善知鳥を始め、鳥獣を捕獲し殺し続けた罪により、今は地獄に落ちて、善知鳥が化け物になった化鳥が持つ鉄のくちばしと銅の爪によって肉を裂かれ逃げられない苦しみを受けていることを明かします。
そうした苦しみの中、猟師の亡霊は助けて欲しいと僧に願い、消えていくのでした。
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以上のように、お能「善知鳥」は、か弱い善知鳥の雛鳥が信頼している親鳥の声を真似てお腹を空かせた雛鳥が喜んで顔を出したところを殺害する、という猟師の残酷さを描きつつも、猟師も自らの生活の生業として、家族を養うために殺生をしないと生きられない、という人間の悲哀と猟師の苦悩をも同時に描いた凄惨な作品です。
こういう生の重々しい実態を残酷にも美しく表現した作品というのは実に見事です。
作者は不明ですが、一説には世阿弥とも言われるようです。
この作品の見所としては、以下のようなものがあります。
旅の僧と出会った老人が、妻子へ渡す自身の証拠として、左袖を破いて僧に渡しますが、その状況は橋がかりというお能の舞台の隅で行われます。
そこで、老人は左の袖をべりべりッと破くわけですが、そういう場面はお能には出ることはなく、そうした行為自体がとても珍しいものです。
また、作品の残酷な内容が演じられる中で、
所(ところ)は陸奥(みちのく)の
奥に海ある松原の
下枝(しづえ)に混じる汐蘆(しおあし)の
末引(すえひ)き萎(しお)る浦里の
籬(まがき)が島の
苫屋形(とまやかた)
という情景を描いた場面があります。
ここでは、苫屋形を形容する語として、5つの「の」の字が使われているわけですが、これにより、地獄の残酷な場面が展開しつつも、音が滑らかになることで、雰囲気として柔らかいものが表現されています。
こうした表現の意味合いとして、猟師が責め苦を受けている状況でのおどろおどろしさだけではなく、それを丁寧に美しく表現し、残酷さだけを表現するのではない作品の別な訴えも想像できるようです。
さらに、猟師の亡霊が出てくる場面では、お能の面として「痩男(やせおとこ)」が出てきます。
この面は、地獄に落ちて苦しむ男の象徴であり、痩せこけた、何かに取り憑かれたような目をしている面です。
この面は登場する作品が少ないため、そうした演出も見ものです。
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お能「善知鳥」は重々しい内容ではありますが、様々に考えさせらる点もあり、ぜひ知ってもらいたい作品です。