コロナになりまして
友人から突然の陽性報告
2021年は、波乱の幕開けだった。例年のように寝坊して、お笑い番組を見ながらコタツでゴロゴロしていた元旦。「1年の計は元旦にうんちゃら」とかいう言葉がながら見していたツイッターから目に入って「こんなんじゃ新しい年も良くないからそろそろジムでも行こうか」と、重い腰を上げたとき、友人からのLINEが鳴った。
「コロナ抗原検査を受け、陽性でした」
それは、かつてルームシェアをしていた東京の友人Mからだった。年末の12/29に、かつて自分も住んでいた東京のシェアハウスに行き、一緒に現在の住民3人と大掃除をしてから、鍋を囲んだばかり。友人Mがわざわざ上等なモツを買ってきたとのことで、大掃除の後にモツ鍋パーティーをやったのだった(美味しかった)。
しかし、である。友人Mの症状を聞くと、鍋をした翌日から熱が出て、倦怠感が強かったことから病院を受診、検査して陽性反応が出たとのこと。一緒に鍋をした他の2人は、Mと今も同居しており、「喉が痛い」など症状もあったため、すぐさま保健所へ連絡して検査に行くとなった。
自分もすぐ検査に行くかーー。正直に言えば、迷った。今のところ、熱も喉の痛みもない。濃厚接触者にもないっていない(濃厚接触者の条件は、症状の出た日の2日前からマスク無し接触した人なので、自分も該当する可能性が高いが、Mがまだ報告していない)。もし陽性になって大ごとになりたくない(東京と比べて地方でコロナ陽性は大ごとだ)。1/3に大事な仕事も入れている。とりあえず今日一日は外には一歩も出ないことにして、様子を見ることにした。
しかし、翌日。他の2人からLINEが入り、2人とも陽性だったと立て続けに判明した。あの鍋の会で参加者4人のうち3人が陽性になったわけだ。これは自分もあの場で感染したかもしれないと、このとき保健所に電話して事情を説明した。しかし、まだ自分は友人Mの濃厚接触者ということに正式になっていなかったので、すぐに検査ということにはならなかった。本来、濃厚接触者となっていれば、友人Mの住んでる自治体の保健所から、自分の住んでいる保健所に情報提供があり、そこから自分に連絡が来る流れになっているらしい。一度電話を切り、友人Mに自分のことを連絡してもらうよう依頼したが、しばらくして保健所から連絡があり「濃厚接触者の情報提供前ですが、検査をやりましょう」ということになった。
検査は2日後 それまでの辛抱
何度目かの電話で、保健所からこう指示が来た。
「検査は2日後、朝9:30に保健所に来てください」
即日、遅くても翌日には検査してもらえるのかと思っていたので、1日半待たされることに肩透かし感もあった。が、いかんともしがたい。三が日は保健所も縮小体制なんだろう。とりあえず引き続き、どこにも外出せずに過ごすしかない。
一人暮らしの自分にとって、どこにも行けないとなると真っ先に困るのは食事だ。濃厚接触者に正式になってしまったので、1/12までは外出を自粛しなければならない。一応、経過観察の療養中の場合、最低限の買い物の外出は認められているが、幸いにも、多めに買ってあった即席ラーメンとストックしあった玉ねぎはあったので、これを作って食いしのぐことにした(1日3食ラーメンとかだった)。でもそのうち、さすがにもっと別の味が食べたくなったので、また、最近この地方都市でも始まったばかりのウーバーイーツにもお世話になった。ウーバーイーツは、配達人にも会うことがない「置き配」もできる。あとはドライブスルーのキャッシュレス決済なら接触内から行けるかな・・・などいろいろ考えたが、外に出るのはやめておいて、とにかく出ないと我慢した。
保健所に連絡をしてから、1/3の仕事相手にも連絡して、予定を全てキャンセル。直前のキャンセルで申し訳なかったが、致し方ない。会社の上司や家族にも連絡。同じことを何度も説明して自分が病気のリスクがあることを説明しているうちに、気分がどんどん病んでいくのがわかった。頭もぼーっとするので熱を測ると、37.6度。症状だ。早めにいろいろキャンセルして検査する段取りにしてよかったと思った。
今思い返しても、症状が出ていたのは、自分の場合はこの1/2、1/3の2日間だけだった。感染が鍋だとすると、4日目・5日目になる。熱の他には、とにかく、だるい。何もやる気が起きない。どことなく関節痛もあり、体がバキバキに固まっている感覚がある。ただ、これが寝すぎて体が痛いのか、病気のせいなのか、感染疑いと言われて気が滅入っているのかよくわからなくなった。ただ、症状があっても、まだ医者にかかっていないので、手元に薬があるわけではない。いつも余った薬を投げ入れている袋を漁ると、前に買っていた冷えピタがあったので、額に貼って休んだ。
ドライブスルー検査に徒歩で並ぶ
幸いにも、検査の日1/4の朝には、熱は36.6度に下がっていた。検査場所として言われた保健所は家から近かったので、徒歩で行くことにした。ちょっと外の空気を感じながら歩きたかったし、車の運転も不安があったからだ。もちろんマスクをして、他の歩行者とも近くですれ違わないように細心の注意をしながら。歩いて5分ほどで保健所に着くと、駐車場に係りの人がいて、その先には車列が。検査はドライブスルー形式となっていた。といっても車に乗りながら検査ではなく、順番になったら車を降りてテントに入り、鼻の奥に棒を突っ込まれる形式だ。駐車場で案内する人も鼻に突っ込む人も、もちろん厳重な防護服を着ている。鼻に突っ込まれた直後はものすごくむずむずしたが、くしゃみはなんとか我慢した。ほんの2,3分で終わり、紙の資料をもらって終了。結果は、その日の夕方か翌日にわかるとのことだった。
午後3時すぎ、保健所から連絡が来て「陽性」だったと伝えられた。「やっぱり」という気持ちと、心のどこかで陰性だと思いたかった自分への諦念とが交錯する。保健所からは、このあと病院で診察をする、その後、基本は入院治療、もしくはホテルなどの施設療養になる、との説明を受けた。なるべく自宅がいいと希望はしてみるものの、診察してみないとわからないと言われる。上司に陽性だったと伝えると、予想外だったようで、驚いていた。その後、会社として12月下旬からの自分の行動(いつ、どこに、どういう手段で行って、誰と会っていたか)を聞き取りがあり、全て正直に話した。電話の向こうの上司は優しかったが、なんとなく気分は「もう正直に全て自白しますから」というような、降伏した気分だった。
それと同時に、年末に会った何人かにも「陽性だった」と連絡を入れなければならない。鍋の翌日に会った父親、ちょっとだけ会った姉家族、一緒に年越しをした友人。職場に行っていなかったのは幸いだった。最近はリモートになっていなかったので、もし自分が会社に行っていたら、部署ほぼ全員が出勤停止になっていただろう。幸いにも、父親や姉家族は症状なし、濃厚接触者にも該当せず、自分の濃厚接触者は年越しの友人1人だけだった(その後、検査で「陰性」とわかった)。迷惑をかけてしまい本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいである。
診察はマイカーで
翌日、いよいよ医者の診察だ。指定された時間に着くように、指定された某中核病院へ車で向かった。病院は前日の保健所と違って車で30分ほどと遠かったので、若干の体のだるさはあったが、もう平熱に戻っていたので車で行くことにしたのだ。病院のロータリーに着いて指定された番号に電話をすると、係りの人が出てきて「私についてきてください」と。ついていくと、救急窓口近くの駐車場に停めるよう案内された。ここで車の中で待ちながら、用意が出来たら呼ばれて検査に出向くという方法らしい。横を見ると、同じくそれらしき人が乗った車が何台か待機している。やがて、完全防護の男性看護師から呼ばれて車を出て、病院の横に立てられた減圧テントに案内され、中で採血を行った。その後、裏口から病院に入って胸部のCTをとった。しばらく車で待っていると、コンコンと別のおじさんが窓をたたく。「呼吸器科の医師の○○です」。外出を控えてから4日目にして、初めて医師にかかれることになった。血液検査・CTは全く問題はないとの説明を受けたが、「脂肪肝ですね。これは元からですか?」と聞かれ、「あ、はい。たぶん元からです…」と日頃の生活習慣を反省させられることに。「入院治療は必要ないです、あとは保健所の指示をお待ちください」とのことで、自宅に帰ることに。
その夕方、保健所から電話が。「明日から療養施設に行ってください」とのこと。自宅ではダメなのか聞いたのだが「そういうことになっていますので」の一点張りで、抵抗をあきらめて、翌日朝からその施設とやらへ移送されることになった。正直、いずれにしても1/12まで家から一歩も外へは行けないので自宅にいようが施設にいようがその点は変わらないのだが、自宅の方が時間を過ごす内容の幅が全く違う。ウーバーイーツで好きなものを頼め、アマゾンで好きなものを買えて、気分転換に本棚から読書して、好きな時間に食べられる。ただ、役所としては、万が一経過観察中の人間が出歩いたりしたら責任問題だから、要リスク者を施設に隔離しておきたいのだろう。納得いかない気持ちはあったが、施設療養とはどんなものなのかという好奇心も心の内にはあったので、しぶしぶ「行きます」と返事した。
さて何を持っていこう。7日間以上にはなるだろうからちょっとの娯楽や仕事もしないとな。食べ物も、ちょっとなら持ち込んでもいいらしい(パンフレットには「のど飴など」と書いてある)。キャリーバッグに、読みたかった本、パソコン、Wifi、お茶パックなどを詰めこんでいるとあっという間にいっぱいになってしまった。さてこれからどんな日々が待っているのだろう。7日間も同じ部屋から一歩も出られないなんて初めての経験だ。
忘れがちな「接触者確認アプリ」陽性者登録
いよいよ陽性となってしまったので、年末に会った友人に「コロナになりました、一応気を付けて」と連絡をした。すると、その友人から「そうえいば、アプリ入れてた?通知はなかったよ」と連絡がきた。アプリとは、厚生労働省が出していたCocoaという接触者確認アプリで、15分以上(?)陽性者と近くにいたときに、もしかしたら感染の疑いがあると通知が来るもの。自分もインストールしていたのだが、その存在をすっかり忘れいていた。どの保健所の人も、今までの流れの中でも一言もアプリについては指示がなかったのだ。久しぶりに開くと「陽性者登録」というボタンがあり、陽性になったらそこに自分で打ち込む仕組みになっていた。テレビなどではアプリをダウンロードして協力しようと呼びかけているが、せっかく多くの国民がダウンロードしても、自ら陽性者登録をするという肝心のこの部分が見落とされがちだと思う。
陽性者登録するには自治体が発行する「処理番号」が必要となるらしい。保健所に電話して聞くと、担当者がいなくて分からない、折り返しますとの返事だった。30分後に電話が来て、「これから処理番号をご案内できます、ただし番号を発行してから1時間以内に登録していただかないといけないのですが、いまやっていただけますか?」と確認される。陽性になった人なんてどこにも外出できず時間を持て余している人ばっかりだと思うのだが、「大丈夫です」と返事をした。ついでに「処理番号はみんなどうやって手に入れてるんですか?」と聞いてみると、「お問い合わせがあった場合にのみお伝えしているという状況です」との返事。やはりこれでは陽性になった人もアプリに陽性者登録しない人が多いままで、アプリとしての効果が出ないだろう。電話を切ると、しばらくしてSMSで番号が届いた。その番号をコピペしてアプリに入力すると、やっと陽性者登録ができた。これで何人に通知が行くのかわからないが、リスクが生まれてしまった人はこれで気づいていただければと思う。その友人にも、無事(?)1日後に通知が来たと連絡が来た。
まるでスパイのよう?移送車で運ばれるまで
翌日、指定された朝10:30に、保健所に着いた。すると見知らぬ番号から自分のスマホに電話がかかってきた。出ると「車が目の前に来るので、そのドアの取っ手にある紙を受け取ってください」と言われる。すぐに黒いミニバンが自分の前にやってきた。後部座席のドアには紙の資料が入ったビニール袋が張り付けられており、それを開けると、車のどこに乗るかの指示が書いてある。資料を開けると再び電話がかかってきた。「資料を読んだら、車に乗ってください。ドアはこちらで開けます」。よく見ると、車の助手席の人物が自分に電話をかけていた。ほんの2mほどの距離なのに電話を使うという異常な会話である。車に乗ると、運転席とは完全にビニールで遮断されており、指定された一番後方席に座る。「これから移動します。休憩はありません。着いたらこのルートで歩いて建物に入っていただきます」など、説明を受ける。肝心の、これからどこに行くかについては全く情報が与えられない。1時間以上乗るのかもしれない。不安の中で揺られていると、予想外にもあっという間に到着した。
到着した場所は某所のビジネスホテル。今は1棟まるごと療養施設になっているらしい。県によっては公表している場所もあるようだが、自分の自治体は場所を極秘にしているようだった(近所トラブルがあったら困るからだろう)。駐車場に車が止まると、助手席の人に「車を出たら、ここをくぐっていくと、入口がありますので。部屋番号は610です。入口に部屋番号が書かれている物を持って行ってください」と言われ、言われたとおりに、建物の裏口の、絶対人が通るように設計されていないあやしい非常階段をくぐり、裏口から建物に入った。入ってすぐ、棚に自分の部屋番号の書かれた封筒と透明な箱があり、その2つをもってエレベーターで部屋に上がった。それ以外の場所は全て封鎖され、ビニールで覆われている。そうだ、自分はダーティーゾーンの人間なんだということを、このとき改めて特に理解した。部屋は、いたって普通のビジネスホテルのシングルルーム。ベッド以外のスペースは通路分くらいしかない。スーツケースを開ければ、もうほとんどベッドの上くらいしか過ごせる場所はない。ここで1週間か、、とため息が出るが、気分を変えて頑張ろうと、早速持ってきたパソコンを部屋のテレビにつないだり、WiFiのパスワードを入れたり、洗面具を出したりと環境を整えた。
そうしているうちに、自分のスマホに電話がかかってきた。1回目は生活担当の人から、2回目は看護師さんから。ここでのルールと、先ほど受け取ったキットの説明を受ける。キットの中にはiPhoneと充電器、体温・血圧・血中酸素飽和濃度の計測器が入っていた。iPhoneで専用のアプリを立ち上げてから計測すると、Bluetoothで数値がそのまま自動で入力される仕組みになっている。要は、体温などの計測は全て自分でやるが、計測数値をごまかすことができない仕組みになっている。これを1日2回、さらに、計測したあとに看護師さんからテレビ電話もすることになっている。そうしているうちに、「ピンポンパンポーン」と館内放送がものすごい大音量で鳴る。「昼食の準備ができましたので、各自取りに来てください」と。行くと、わらわらと他の「入所者」が。みんなスリッパに寝間着を来て、髪はボサボサ、無言のまま、棚に置いてある弁当を受け取って、各自の部屋に帰る。異様な光景にたじろいだが、きっと向こうもそう思っていることだろう。今自分たちにできることは、部屋に戻り、冷たい弁当を部屋の電子レンジで温めて、黙々と食べるしかないのだ。
療養施設 一日のスケジュール
食べながら封筒の中のパンフレットに目を通していると、一日のスケジュールが載っていた。
6時30分 起 床
7時 健康状態の自己確認
8時 朝 食
9~11時 健康観察
12時 昼 食
16~20時 健康観察
18時 夕 食
21時 ~ 就 寝
ちょっとこれには参ってしまった。食事の時間はおろか、起床や就寝まで決められているのである。これではまるで拘置所のような生活ではないか。少なくとも1週間はこの拘置所のような生活を耐えなければいけないのか・・・と暗澹たる気持ちになった。(その後暮らしてみて、起床の時間に放送で起こされるわけでもないことがわかった。が、「食事の準備ができました」という館内放送の音がすさまじく大きくて朝7時半ごろに否応なしに起こされる)。もちろんウーバーイーツも、ネットショッピングも許されていない。家からの差し入れも、自分の自治体は受け付けていないとの説明を受けた(他の県では受け付けている所もあるそうだが)。自由を制限されて、はじめて自由にありがたみがわかる・・・。そもそもコロナになってしまったのは、自分が悪い。往来の自粛が呼びかけられていたにもかかわらず感染拡大中の東京に行って友人と鍋をしたことは、「迂闊だった」以外の何物でもない。よく、コロナになるのは外れくじを引くようなもので誰にも起こりうることであり「謝る必要はない」とは言われるものの、いざ当事者になってみると、何人かには感染疑いの心配をさせてしまい、やっぱり反省の気持ちが増してくるものである(幸いにも三が日だったために会った人は少なく職場にも行っていなかったが)。それとも、この反省の気持ちこそ、療養施設に缶詰になる効果・目的なのだろうか、とは勘繰りすぎか。
ここを出られるのは、「症状が出てから10日が経ち、なおかつ直近の72時間に目立った症状がない」という条件があるので、自分の場合は少なくとも1/12までだ。7日間、とりあえずWiFiはあるから、乗り越えてがんばろうと思っている。