【軽挙妄動】『ニュー・イェア!』【小説】
第一章:『黎明の大後悔』
第1悔 『その男、ボボン』
地球暦1121年、春のおわり――
雲ひとつない、まさにリゴッド晴れの日曜の昼下がり。
東西南北、大小さまざまな四つの島からなるリゴッド皇国の皇都ルームがある東島――いわゆるリゴッド本島――その南端。
今現在、この国で唯一海外への渡航が許されている港、ポルト・フレイアでは盛大な歓送会が執り行われていた。
主役は先日行われた伝統ある『ミス・七つの海を知る女』コンテストで、急遽の飛び入り参加で見事優勝をさらってみせたノニー・ボニー。
ルーム郊外のさびれた小さな町育ちとはいえ、幼い頃から『美少女』の名を欲しいままにしてきた彼女は、周りの期待と予想通りの女性に成長した。
理知的で大きな瞳は見るものを虜にし――『髪質は人の内面を物語る』と言われる通り――長く真っ直ぐ伸びた少し赤みがかった金髪が、何事にも活発に積極的に取り組む彼女の性格を端的に表していた。
コンテストの優勝者には賞金の他に、副賞として海外留学のチャンスが与えられる事になっていた。
他国とは大きな海で隔てられ、大皇ジョアンの政策によって長い間、実質、鎖国状態にあるこのリゴッド皇国で、海を渡り諸外国を旅するにはそれなりの資格と資金が必要だった。
「皆様! どうもありがとう!! しっかり勉強してこの国の繁栄に貢献出来る様な女になって帰って来ます!!」
豪華客船クイーン・イサベラ号の甲板から手を振るノニーを、大勢の見送り人たちをよそにひとり寂しそうな眼差しで見つめていたのはフェルディナンド・ボボン。
ノニーの幼なじみで、今回の出立をあまり祝福していない数少ない皇民のひとりだ。
「噂じゃあ外国では争いごとが絶えないと言うぜ? もし、あの無駄に豪華な渡航船が海賊なんかに襲われたりしたらどうするんだよ」
前夜祭でのフェルディナンドの、冗談まじりの心配はもっともな事だったが、ノニーは笑顔でこう語った。
「襲われたらその時はその時! ……まぁ、そのまま私も海賊にでもなっちゃおうかな」
どこかリゴッド蛙の鳴き声にも似たぼやけた汽笛が、フェルディナンドを回想から現実に復帰させ、やたらと豪華な渡航船がいよいよ動き出した。
多くの皇民にとって未知の世界へ。
船からは皇国旗と同じ色のカラフルな紙テープが、見送りの見物客からはノニーに対する励ましと無事を祈る声が飛び交った。
ゆっくりと発進した船と並行する見送りの人たちが、船上のノニーに向かって手を振っていた。
ノニーも、出発前の式典でポルト・フレイアの町長ら数人からもらった両手いっぱいの花束を抱えながら懸命に手を振り返していた。
いよいよ桟橋から船が完全に離れようかという段になって、ノニーの瞳に初めてフェルディナンドの姿が映った。
皆、にこやかに送り出してくれている人だかりの中で、明らかにひとりだけしょんぼりしているフェルディナンドを見て、ノニーは思わず吹き出した。
フェルディナンドの方もノニーと目が合った事に気付き、オレは一体どうすりゃ良いんだよ……、と口をへの字にしながら肩をすくめてみせたが、そんな彼に対しノニーは船上から声に出す事無く、口の動きと突き立てた右手の人差し指だけでこう伝えた。
コラ! フェルディナンド! 私が帰って来るまでにまともな仕事に就いとくんだゾ!!
これにはフェルディナンドも苦笑した。
二十四歳になるがこれといった定職に就いていないフェルディナンドの日課は皇立ルーム図書館に行く事で、目的はそこで司書として働くノニーをからかったり楽しくおしゃべりしたりする事だった。
今回の留学期間が一年もある事は、常日頃から冗談半分本気十分でノニーに求愛しているフェルディナンドにとって拷問でしかないように思えた。
多少引きつってはいるが、ようやくフェルディナンドに笑顔が戻った事にノニーは安堵し、両腕いっぱいに抱えられた花束を落とす事も気にせず、手を高くあげ思いきり振った。
フェルディナンドもまた、ノニーが無事に帰って来ることを祈願するように懸命に手を振り続けた。
ノニーの乗った船が水平線の彼方に吸い込まれるまで……。
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翌、昼過ぎ。
目を覚まし面倒くさそうにベッドから上半身を起こしたフェルディナンドは、その燃え盛る炎のような赤みがかった黄色の髪の毛を蓄えた頭を掻きむしろうとした時、異変に気付いた。
「いっ! つつ……何だこりゃ?」
空を走る稲妻のような形の眉毛をつり上げ、飛び散る火の粉のような瞳で自分の右腕を鬱陶しそうに確認した。
昨日、ノニーに向かって手を振り続けた後遺症が、真っ青な痣のようになってフェルディナンドの利き腕を支配していた。
「そうか……ノニー……行っちゃったんだよなぁ……」
フェルディナンドは何故か、もうノニーに会えない気がしてならなかった。
こんな事になるなら真面目に自分の想いを伝えるべきだったかな?
彼は、少なからず後悔していた。
普段ならノニーに会いに図書館に行く興奮を抑え切れず、遅すぎる朝食を鼻歌混じりで用意している昼過ぎのこの時間帯。
今日のフェルディナンドは一向に元気が出ず、ベッドから抜け出る事が出来なかった。
決して大袈裟ではなく、今のフェルディナンドにとってノニーの不在は生きる目的を失ったも同じ事なのだ。
燃えたぎる情熱の発散の場が消えた。
人にしろ、物事にしろノニーの代わりになるものなどそう簡単に見つかるはずも無い。
目を覚ましてから一時間でフェルディナンドの精神は極限まで鬱屈していた。
そこへ丁度、フェルディナンドのアパルトメントの玄関の呼び出しを鳴らす音が聴こえた。ドアの中央上部に取り付けられているノック用の金具をだ。
「……ったく……誰だよ……」
一度は居留守を決め込もうとしたが、再び鳴ったノック音がフェルディナンドを苛立たせた。
「どうぞ! 開いてますよ!」
「なんだなんだ、おい! つれない返事じゃないか!」
ドアを開けて入って来たのは、スラリとした長身に毛先がカールした黒い長髪をなびかせ、整った顔を無邪気にほころばせる友人クリストフ・コンバスだった。
常に派手で奇抜なオリジナルデザインの服を身にまとい、ファッションデザイナー兼モデルとして活躍し今や国民的な人気者の彼は、フェルディナンドとは同い年の無二の親友同士。物心がつく、ずっと以前からの間柄だった。
それだけにフェルディナンドの機嫌が何によって左右されているかもあっさり見抜いていた。
「ノニーがいなくなって寂しいだろうと思って面白そうなニュースを持って来てやったんだぞ!」
そんなノニーも新たな国民的アイドルとして旅立ったのだから、自分だけが取り残されている気がしてフェルディナンドは滅入ったが、クリストフは構わず続けた。
「皇子が明日、ルームの戦勝記念広場で演説をする予定なんだ」
「それのどこが面白いニュースなんだよ……」
フェルディナンドは驚いてベッドから飛び起きる準備をしていない事は無かっただけに、このありきたりな知らせには心底ガッカリした。床についた肘をのばして、首を枕にあずけ直した。
が、クリストフは有り余る自信を表情に湛え言い切った。
「世界をより良く変える方法を見つけたから発表するらしい」
「また漠然と大きく出たな」
フェルディナンドはそう言いながらも、何かが起こるんじゃないかと言う期待感からようやく微笑んだ。気付いてみれば、無意識にベッドから片足を出していた。
しかし、『果報は寝て待て』などと言う。
片足を再びベッドの中に引っ込め、フェルディナンドはその格言どおり明日のエンリケ皇子の演説を寝て待つ事に決めた。
目でさっき来たばかりのクリストフに訴える。
クリストフもため息をつきながら、苦笑して応じる。
「現金な奴だ! 僕だって忙しいんだぞ。そんな顔しなくても出て行くよ」
物わかりの良すぎる親友は、そう言いながらベッドに横たわるフェルディナンドの肩をポンと叩き、後ろ手で別れの挨拶をして部屋から出て行った。
「ありがとうよ……親友! そして……おやすみぃっ!」
フェルディナンドはドアの向こうに礼を言い、眠りにつく前特有の幸福感と共に毛布に包まった。
明日、エンリケ皇子が演説をする時間まで、まだ二十四時間近くあった。
第1悔 『その男、ボボン』 おわり。:*+゜゜+*:.。.*:+☆
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