阿倍仲麻呂と吉備真備は一緒に唐に渡ったのです。
仲麻呂が若いといっても3歳しか違わないのです。
吉備真備はまた唐にやってきて、日本に帰れましたが、仲麻呂は船が難破したため、唐に戻ってそのまま死んだのです。
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天の「原」は何もないだだっ広いところなのです。三笠の「山」と対比されているのです。
一般的には「春日」は地名だと解釈されていますが、本当は「はるひ」なのです。春の日が霞むのは黄砂のためなのです。
「三笠」も三笠山というより、祖父ゆかりの大宰府のある「御笠(みかさ)」なのです。
こういう対比なのです。天=唐、みかさ=日本なのです。唐を見渡しても自分(仲麻呂)には並ぶものがいないが砂で霞んでおり、みかさの山=吉備真備のそばにいてこそ煌々と輝くのだ、と詠んでいるのです。
仲麻呂が詠んだとされるのは出発前であり、帰朝した真備が下向する前年ですが、真備が大宰府に最適任者であり、叙任されることはわかっていたのです。なぜなら仲麻呂は文人だが、真備は軍事を学んだ武人であり、真備×仲麻呂なのです。自分も真備と一緒に大宰府に行きたいのです。
「王維ら友人の前で日本語で詠っ」ても、唐には技巧を理解できるのは誰もいないため「砂で霞む」のですが、李白には一目瞭然だったのです。つまり天才詩人の李白は日本語もマンモスできたのです。
仲麻呂と李白は同じ境遇であり、通じるものがあったのです。
王維には『竹里館』という詩があるのです。