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【ATOMO連載】体験型エンタメ情報局出張所 #15「考察型コンテンツについての考察」(2024年11月号掲載分)
全国の体験型エンタメ施設/店舗等にて隔月刊で配布中の体験型エンタメ情報誌「ATOMO」で連載している「体験型エンタメ情報局出張所」のバックナンバーを紹介。この連載では毎回体験型エンタメやそれに近しいカテゴリをピックアップして簡単な解説を行っています(2024年11月号掲載分/表記等は掲載時点のものです)
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「考察型コンテンツ」についての考察
今回は巷を賑わせている「考察型コンテンツ」について。アニメやドラマ、もちろん体験型エンタメにおいて近年「考察型」という言葉が使われるようになりました。個人的な感覚としてはテレビドラマ「あなたの番です(2019年放送)」あたりから色濃くなってきたかなという感覚です。
あらゆるエンタメが飽和した現在、もはやテレビなどの映像コンテンツは昔ほどリアルタイムで見られることもなくなり、各種配信サイトなどで「いつでも何度でも視聴できる」という視聴習慣が当たり前になりました。そのライフスタイルの変化は「考察型コンテンツ」にとってプラスに働いたのは間違いありません。
「答え」を教えてくれないコンテンツ
ここで本稿における「考察型コンテンツ」についてある程度の線引きをしておきましょう。「考察型コンテンツ」は「注目される場面において、そこに至るまでのプロセスや理由=『答え』が開示されないコンテンツ」とします。
そうするともうすでに「あなたの番です」は最終回で犯人が開示されるため定義から外れてしまいますが、その最終回までは至るところで登場人物の行動の意味を推理し、犯人当てが盛り上がっていたということで、最終回直前までは「考察型コンテンツ」だったと言えるのかもしれません。ただ、それを言い出すと連載型のものが全て「考察型コンテンツ」になってしまい、ここでは書ききれなくなってしまうので、今回はやめておきます。
その「答え」は本当に存在するのか
さて、「考察型コンテンツ」についてもう少しだけ深堀りすると、その「考察するべき対象」は意図的に用意されていないかもしれません。というよりも、それすらも「考察するべき対象」に含まれるといったほうがいいでしょう。
コンテンツの中で「考察するべき対象」が存在し、ユーザーがそれについて各々のコミュニティで自分の考えを披露することで「考察型コンテンツ」として成立してしまうのですから、そこに「答え」があるかどうかはさして重要ではありません。その全てを藪の中に葬り去るという構造が「考察型コンテンツ」の特徴でもあり、きちんと論じることができない大きな理由の一つです。書き始めてからなぜこの題材を選んでしまったのか後悔しています。
とはいえ、外側からは分からないですが、もちろんちゃんと意図的に考えられているコンテンツもありますし、何も考えていないのに偶発的に考察型コンテンツとして祭り上げられることもあります。
おそらく最も多いのは「いくつもパターンを考えているけど特に決めていない」というケースなのかもしれません。そういった裏事情は制作者インタビューなどで語られることも多いですが、自らを「考察型コンテンツ」として自覚的なものほど、それらは語られることはありません。
他人の考察も読み物コンテンツになる互助的構造
さて、「考察型コンテンツ」はユーザーの「考察」があって初めて「考察型コンテンツ」として成り立つわけですが、それは「考察」が「コンテンツ」の内部に内包されていることも意味します。
ユーザーは他人の「考察」を「考察型コンテンツ」の一部として享受し、たくさんの「考察」を読めば読むほど、もともとの「考察型コンテンツ」自体が「大いなる意図を持つ重厚な作品である」と認識しやすい仕組みです。そんな事考えていないかもしれないのに。
そして、「考察」された数の分だけ他人が読むことのできる「コンテンツ」が増えていくため、さらにもともとの「考察型コンテンツ」の価値も上がっていきます。作り手からすると、ユーザーの「考察」がある限りスピンオフストーリーが無限に増えていきますし、ユーザーも大量発生した「コンテンツ」を読むことができるため「考察型コンテンツ」は、うまくいけば作り手と受け手にとって非常にメリットの高い、半永久的な構造となっているわけです。
「陰謀論」「ホラー」「アート」との相性の良さ
制作側が意図的に「考察型コンテンツ」として制作しているであろうコンテンツに関しては、いつもの「体験型エンタメ情報局出張所」のように、様々な事例を挙げて紹介していこうと思ったのですが、おおむね「陰謀論コンテンツ」や「ホラーコンテンツ」、または「メディアアート」に集約されがちだということに気づきます。
「メディアアート」はそもそも「見たものに対して何を感じるかを問う」という要素が強いものもありますから理解はできるのですが、「陰謀論」や「ホラー」に集約されるのはなぜでしょうか。それは、「考察には『答え』が必要だから」です。
「考察型コンテンツ」で得ることができなかった「答え」を探る目的として「考察」が行われる以上、考察には「私はこう思う」という「答え」、つまり落とし所が必要となります。多くのユーザーが紡ぎだした、その大量の「答え」が「考察型コンテンツ」の魅力に大いに影響しています。
しかし、我々一般ピープルは簡単に「答え」なんて思いつきません。そのため自覚的な作り手は「考察」をやりやすくするために「なんとなくの落とし所」を用意する必要があります。その拠り所となるのが「理解のできない存在」。つまり「闇の組織」や「怪異」です。
思えば大昔から世界を牛耳っているとされていたフリーメイソンは今に至るまで様々な陰謀論の題材となっていますし、そもそも妖怪の「かまいたち」などのように、現実で不可解な現象を説明するために具現化させたものが「怪異」だったりもするわけで「考察型コンテンツ」がそれらに集約されがちなのもうなずけるところです。他のジャンルにおいても制作者の皆さまが「よくわからないものを説明する落とし所」を考えてゆくことで、「考察型コンテンツ」はさらに大きくなっていくことでしょう。
行方不明となった人々の痕跡を展示する「行方不明展」
最後にひとつだけ事例を。「その怪文書を読みましたか」などを手掛けたホラー作家の「梨」さんと、「Aマッソの頑張れ奥様ッソ!」「イシナガキクエを探しています」「祓除」などのモキュメンタリーコンテンツを多く世に出しているテレビ東京の「大森時生」さんが手掛けた展示会です。会場には行方不明となった人々が残した物品や映像、手紙などが2フロアにわたって展示されています。
この展示会では「何が起こったのか」「なぜ行方不明になったのか」が伏せられており、数多くの展示内容を自分なりに脳内でまとめていく中で、その輪郭をぼんやりと感じ取ることができる構造となっています。ただ、その「答え」ですらぼんやりとしたものですし、それらの展示を見た内容、順番、はては滞在時間までがその「答え」を導くための変数となっており、おそらく参加者が同じ「答え」を持つことはないと言っていいでしょう。
ただ、展示に添えられた解説がなんとなく同じ方向性の「答え」に誘導するようになっており、参加者はある程度は同じ感覚を得られるように作られています。
展示会に参加した人数は約7万人。近いうちに書籍化するようですので、ぜひ購入してみてはいかがでしょうか。
文:田中宏明
SIG-体験型エンタメ副世話人/ATOMO編集長。
株式会社YTEというところで謎解きを作っている。
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