大衆本の世界史 (1) : 17世紀の謎・ヨーロッパと日本で大衆本が同時発生
江戸時代は、大衆本の文化が花開いた時代です。江戸には1000軒以上の貸本屋があり、武士も町人も新刊本を求めて詰めかけていたといわれます。
しかし、17〜19世紀の同時期にイギリス、フランス、中国など洋の東西で、よく似た大衆本ブームが起きていたことは、あまり知られていません。面白い現象だと思うのですが、近代の大量出版が始まるとほぼ忘れ去られてしまったため、これらを比較した研究はほとんどないようです。
本稿では、17〜19世紀のヨーロッパと中国の大衆本を日本と比較したうえで、その果たした役割と現代のサブカルチャーとの関係についても調べてみようと思います。
17世紀は大衆本のルネサンス :日本・ヨーロッパ・中国
第1回目は、まず世界の大衆本がどんなものだったのか、東西の4か所を見てみます。そのうえで、なぜ各地でほぼ同時に誕生したのか、17世紀になにがあったのか、ちょっと想像をめぐらせてみます。
ヨーロッパ最初の大衆本 「青本」 :フランス
ヨーロッパの大衆本の本格的な始まりは、17世紀初めフランスで行商人が売り始めた「青本」だといわれます。最初なので少し詳しく紹介します。
ヨーロッパでは、1445年にグーテンベルグが活版印刷を発明してから後も百年以上、書籍といえば教会や貴族、大学、学者が自費出版する贅沢品でした。ところが16世紀後半、新大陸から大量の銀が流入して大インフレが起き、領地を基盤としていた王侯貴族の経済力が衰えます。顧客からの発注が減少した印刷業者は窮地に立たされました。
一方、インフレとグローバル貿易は、貨幣の流通量を増やし手工業での商品生産も盛んにしました。このため、16世紀末までには、中世ではほとんどお金を持たなかった地方の庶民にも貨幣経済が浸透していました。
17世紀初頭、パリから150キロ東の小都市トロワで、ニコラ・ウドーという印刷業者が、手持ちの資材を活用して庶民向けに安い冊子を作ることを思い立ちます。コストをカットするため粗悪な紙とすり減った活字を使い、挿し絵は古い木版画を流用して、中世の物語や小話を無理やり十数ページにまとめました。
粗雑な小冊子でしたが、パン1食分の値段で買え行商人により農村にも届けられたため、たちまち人気を博します。表紙に青い紙を使ったことから「青本」(livre bleu:リーヴル・ブルー)と呼ばれました。
ウドーの成功を見て他の業者も次々に行商本に参入します。「17世紀の危機」といわれる政治経済の混乱期がありましたが、青本の拡大は止まりませんでした。17世紀末にはフランス全土で出版が行われるようになり、19世紀まで続きました。現在はこれらを総称して「青本叢書 (La Bibliothèque bleue)」と呼ばれています。
青本の出版者は、行商人からのフィードバックを得て、読者が求めるものを取り入れ内容を多様化していきました。現存する青本は450冊ほどで全体の十分の一以下とみられますが、研究者のロベール・マンドルーはこれをジャンルごとに分類しました。
最も多く、全体の25%を占めるのは信仰書です。祭りに使う祈祷書なども含まれますが、実は半分以上はマリアや聖人の奇蹟の物語で、騎士物語や妖精伝説と大差ないものでした。
次に多いのは、日常生活や技術などに関するもので20%を占めます。その多くは暦で、星占いや季節の料理のレシピなどを詰め込んだものが人気だったようです。技術書・薬学・科学書の類はわずかで、内容もかなり怪しげなものでした。
笑いや涙をさそう小話や俗謡も多く、17%ほどあります。都市の暮らしや市井の滑稽談などが人気があったようです。
当初からあったコント・ド・フェ(妖精物語)や怪奇譚など異教的な異世界を舞台にした物語も根強い人気があり、全体の15%ほどを占めます。
その他のジャンルとして恋愛ものや、職業もの、ゲームのルールブック、歴史書などがありますが、数は多くありません。
マンドルーは内容の分析から、当時の庶民が青本に求めたものは、まじめな知識や情報ではなく、現実からの逃避だったと述べています。
チャップブック : イギリスの行商本
フランスから半世紀ほど遅れて17世紀末ころ、イギリスでも行商本が流通しはじめます。
値段が1〜2ペニーだったため当時は「ペニー・ヒストリー」と呼ばれていましたが、イギリスでは行商人をチャップマン(chapman)と呼んでいたことから、後世の収集家によって「チャップブック : chapbook」と名付けられました。現在ではチャップブックは、ヨーロッパ各国で出版された近世大衆本全体を指す一般用語となっています。
イギリスのチャップブックは、大きさや体裁は先行したフランスの青本に似ていて、内容も影響を受けています。当初はフランスからの翻訳もありましたが、コンテンツはバラエティーに富んでおりイギリス独自のものが多くみられます。地方で出版が始まったフランスと異なり、印刷所が首都ロンドンに集中していたため、元ネタや執筆者が豊富だったからかもしれません。
子供向けの童話や文字の学習書が多いのもチャップブックの特徴で、18世紀には庶民が通った慈善学校や日曜学校の教材としても使われています。
中国の挿画本 : 江戸の草紙・浮世絵に大きな影響
中国の大衆本ブームは、ヨーロッパや日本より早く16世紀初めの明朝後期から始まりました。
明代(1368〜1644年)、中国では首都北京以外にも各地に出版を産業とする都市が点在していました。その中でも、福建省北部にあった小都市「建陽」は、宋・明・清の3つの王朝をまたいで600年間にわたり、中国の出版センターとして機能しました。当初は官公庁の印刷物が中心でしたが、明朝後期(1500年〜)になると官庁からの発注が減り、これを補うため民間向けの印刷出版が急増します。
科挙の受験参考書、実用書などのほか、一流の文人が筆を取った小説や戯曲も盛んに出版されました。特に口語の中国語で書かれた長編小説(白話小説)の「三国志演義」、「水滸伝」、「西遊記」、「金瓶梅」は四大奇書と呼ばれ、中国史上最大のベストセラーとなりました。
明代の中国の識字率は低かったらしいので、これらがチャップブックと同じような大衆本といえるかどうかは議論があるところでしょうが、それを補うのが桁違いの読者数です。明代の中国の人口は世界一で、すでに1億人を超えていたうえ、漢字文化圏の日本・朝鮮・インドシナなどに輸出されました。高い品質を保てたのは、大量の販売部数が見込めたため、優れた作家や画家を潤沢に使えたからのようです。
中国の白話小説は、特に日本に大きな影響を与えました。明代の小説本が画期的だったのは、挿画の量が格段に多く漢文が読めなくてもビジュアルだけでも楽しめたことです。
絵巻物以来のイラストマニアである日本人は、この挿絵に強く刺激を受けました。海賊版である「和刻本」が大量に刷られたほか、日本の作家・画家による二次創作もさかんに行われました。これが後の絵双紙や浮世絵の誕生へとつながっていきます。このあたりの経緯は、稿を改めて書いてみたいと思います。
江戸時代の大衆本 : マジメから変態への道
最後に江戸時代の和本を見ておきましょう。解説しているブログも多いので、ここではヨーロッパ・中国と比較すべき点についてのみ触れます。
江戸前期まで、日本の印刷出版の中心は、朝廷や寺社の書物の印刷のため職人が集まっていた京都でした。秀吉の治世のころから、京都では出版を商いとして行う「町衆」が成長していきます。町衆はまず「徒然草」や「方丈記」などの古典に挿絵や注釈を付け読みやすくして一般に販売するようになります。
さらに庶民をターゲットして仮名で書いた「仮名草子」も発行され、読者を広げます。ただし「草」と名がつくように、従来の漢文の「物之本」とは区別され、当初はまともな本とはみなされませんでした。
江戸と大阪の本屋は、当初は京都で発行された本(下り本)を売るだけでしたが、17世紀後半になると自分で企画出版を行うようになります。町民の多い江戸・大阪で作られる草紙類は、当時の人情や色恋を扱った題材が増え、識字力が不十分な読者のために刺激的な絵が紙面を占めるようになっていきます。初期の大ヒットが大阪の井原西鶴が書いた「好色一代男」です。
草紙類は貸本屋で蕎麦1杯の料金で借りられたので、読者層の拡大に拍車をかかりました。
出版者間の競争が激しくなるにつれ、題材はさらに幅広く下世話で過激になっていき、奉行所は度々取り締まりと処罰を行います。
しかし、流れは止まりません。規制をかいくぐりつつ読者の根強い要望に応えて、18世紀後半には日本の出版文化は、世界に冠たる変態度を獲得していったのです!
17世紀のDX:需要創生のイノベーション
4か国の大衆本を比較すると、発祥に至る経過になんとなく類似のパターンがあることに気付きます。条件を5つにまとめてみます。
1)出版のための技術基盤があったこと
2)販路を担う流通網があったこと
3)出版者に新たな事業のリスクを取る動機があったこと
4)利用能力(識字力)を持ち、小銭を払える十分な人口があったこと
5)大衆に需要があったこと
経済学的には、1〜3は供給者側、4・5は顧客側の条件で、マーケティングの本でもよく見かけますね。
気になるのは5の需要についてです。結果として成功したことは確かなのですが、大衆が自分自身の欲求・需要を意識していたのか? というと、ちょっと疑問です。彼らは「大衆本 = 限られた識字力でも楽しめる印刷物」というものを、それまで見たことがなかったわけです。ということは、彼らは大衆本の現物を見て、はじめて自分の欲求・需要(欲しい!)に気付いたんじゃないでしょうか。
独断ですが、17世紀の大衆本は庶民にとって、現代のケータイ・スマホのように、新商品が需要を作り出した需要創生型のイノベーションであり、情報メディアの誕生だったと思うのです。
その証明のひとつとして、大衆本の誕生以降、どの地域でも大衆の識字率が急激に上昇していきます。スマホ登場以降、SNSが燎原の火のごとく広がり、政治さえ変えていったことを彷彿とさせます。
偶然? 大衆本と地球の小氷期
さて、上記の条件は何世紀もかけて、各地域でばらばらに整ってきたのに、それが同時期に達成されたというのは不思議ですよね。どうも偶然ではなさそうです。最大の要因は、人口増と貨幣経済の浸透が、世界でシンクロしたことかもしれません。
中世は世界的に飢饉や戦乱が続きましたが、その理由は14世紀以降、地球全体が寒冷期(小氷期)に入っていて農業生産が落ち込んだからといわれています。しかし、この間も農業技術の進歩や新大陸からの作物(ジャガイモ!)の栽培なども始まり、徐々に食糧生産が回復し社会も安定します。これに伴い、世界的に人口が増加し、中国の明朝では人口1億5千万人に達していたといわれます。
17世紀の危機といわれる政治経済の混乱期には、食糧価格が高騰し局地的には飢饉や疾病も発生しましたが、ヨーロッパ全体を見ると食べるに困らない庶民人口が各地で増えていたのは確かなようです。
17世紀のグローバリゼーションと無駄づかい
もう一つの要因、貨幣経済の浸透については、あきらかにヨーロッパ人の新大陸・アジア到達が引き起こしたグローバリゼーションが原因です。
16世紀に新大陸からの銀が、ヨーロッパで大インフレを引き起こしたことは先に述べました。この銀は中国・アジアからの香辛料、陶磁器などの代金としても使われました。
明朝は当初「海禁」政策で貿易を制限しましたが、スペイン、ポルトガルは取り締りを突破し密貿易を強行しました。銀が中国内に大量に流れ込んだことから、大衆にも貨幣経済が浸透していきました。このため、後に中国の税金は現物納付から金銭(銀)納付に切り替えられています。
一方、日本は16世紀まで銭貨を中国から輸入して自国の通貨として使っていました。しかし、先の明朝の海禁政策のあおりをくらって、銭貨輸入がとだえてしまいます。このため、戦国大名はさかんに金山・銀山の開発を行い金・銀の流通量が増えました。
江戸幕府はそれを引き継ぎいだうえ、貨幣の国内鋳造を統一した結果、商取引が安定して拡大しました。やがて、物々交換が普通だった庶民にも、貨幣による取引が一般化していきます。
こうして16世紀に始まったグローバル貿易の影響で、ヨーロッパ・中国・日本では商品流通が増え、都市と地方を繋ぐ行商人の活動も活発になっていました。出版者には「小銭を持った庶民」が新規の顧客として見えていたことは間違いないでしょう。庶民も大衆本に「無駄づかい」する準備ができていたのです。
大衆本誕生の最後の引き金となったのは、印刷業者側の事情で、既存顧客からの印刷の発注の減少だったと思われます。洋の東西で経済の変動や政変があり、教会(寺社)・貴族・官公庁の経済力が衰退した結果、経営環境が激変したわけです。
そのとき、それぞれの地域の印刷業者の中に、フランスのニコラ・ウドーと同じように、リスクを恐れず大衆本という未知の海に飛び込んだファーストペンギンがいたのでしょう。彼らのおかげで、その後の豊かな大衆本の世界が開けたのだと思います。
始まらなかった場所
さて、イギリスや日本と近い条件にありながら、大衆本が始まらなかった場所があります。
17世紀の李氏朝鮮は、すでに活字による高度な印刷技術を持っていました。また、日本同様に中国の本が流入していたはずですが、大衆本の出版ブームはついに起きませんでした。首都ソウルで、ハングルで書写された貸本(貰冊)が上流階級の女性に読まれたのにとどまります。
またベトナムなどインドシナ諸国やインドでの出版も確認できません。
これらの地域で大衆本の誕生を阻害した要因はなんでしょうか。貨幣経済なのか、技術なのか、戦乱なのか、いずれ調べてみたいところです。
おわりに
第1回めは、洋の東西の大衆本の特徴と、なぜ同時多発的に発生したかを考えてみました。本稿の意見は独断の私見ですが、近世の大衆本ブームを情報イノベーションとみなして、経済・産業史の視点から調べるのはとてもワクワクしました。各専門分野の方のご意見も聞いてみたいところです。
ところで、江戸の大衆本では重要なジャンルなのに、ヨーロッパではほとんど欠落しているものがあります。いうまでもなくエロですね(笑)。
また東西の大衆本で際立つ、「作家性」の違いも見逃せません。
2回め以降は、コンテンツに踏み込んで、それぞれの地域で民衆は大衆本をどう受容したのか、比較文化の視点からその特徴と限界を考えてみます。
(本連載の一覧)
(資料)
<書籍>
・民衆本の世界 17・18世紀フランスの民衆文化(ロベール・マンドルー)
・チャップ・ブック―近代イギリスの大衆文化 (小林 章夫) →文庫版
・中国古典文学と挿画文化 (瀧本弘之、大塚秀高 編集)
・和本への招待(橋口 侯之介)
・江戸の発禁本 欲望と抑圧の近世 (井上 泰至)
・倭寇 海の歴史(田中 健夫)
・銀の世界史 (祝田 秀全)
・庶民たちの朝鮮王朝 (水野 俊平)
※ 絶版本もあります
<Web>
・Troyes Champagne Métropole
・Chapbooks:The poor person’s reading material
・明清插圖本《三國演義》圖像視覺元素之探討 (雲林科技大学デザイン学院)
・米国の中国出版文化史研究 (pdf)
・日本貨幣史(貨幣博物館)
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