娯楽だけがない世界(ドーム) 〜我慢出来ない者たち
そもそも、我慢出来ないというのがおかしい。その変化が良いものであれ、悪いものであれ、世界はもう元の通りにはならない。私たちは不可逆な変化の最中にある。
我慢出来ない人間は、自分が今どこにいるのか、本当にわかっているのだろうか?
我慢出来ない人間は、一体どこから来ないで、どこに行かないのか?
そもそも我慢も何もない。現在の緊急事態宣言下の生活が新たな定常である。考え見て欲しい、コロナ以前の世界は、決して持続可能ではなく、完璧に素晴らしいものではなかった。これまでの常識や習慣に何の必然性も合理性もなかったのだとすれば、日常を回復することには何の価値もない。
問題はコロナ後の世界を、どのようにこれまでの世界とは異なるものとして形象しうるのかということである。
アルコールも会食もカラオケもライブも、無理なものは無理。発想を切り替えるしかない。
子供たちは、そんなものが無くても毎日楽しく生活を送っている。「娯楽」が「幸福」にもはや大きな関連はないという当たり前の結論に早く気づくべきである。
新型コロナは長年にわたる経済的成長の末に、生存のための物質的基本条件の獲得という、人類が長いこと望んでいた夢を見事に破壊してしまった。
だったら、また一からオルタナティブな夢を再構築するしかない。いや、再構築できるチャンスがやってきたと考えるべきである。もはや、金がある無しよりも、娯楽量の多い少ないより、ウイルス恐れることのない生き方、スタイルを獲得したものが勝ちだ。
まずは、一人から始めよう。そして、本当に信頼できる同志を友人と呼ぼう、家族と呼ぼう、そして、オルタナティブなステップファミリー、トライブを形成しよう。
そして、ドームを作ろう!アンダー・ザ・ドームでウイルス感染を恐れずに共に過ごせる、トライブやコミュニティ、そしてパブリックを形象しよう。
もう、娯楽は捨てよう。そして、別れよう。一人になろう。分解するところから始めよう。
娯楽のある社会と娯楽のない社会と分けるしかない。本当に信頼出来る、尊敬出来る、家族、友人、パートナーを見つける素晴らしい旅の始まりである。
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