ルイス・マンフォードの地域主義思想


ルイス・マンフォードの地域主義思想



「地域」とは何か。「都市」と対置されたものとしての、人と人との連帯形式の一つとしての「地域」


「都市とはコミュニティの権力と文化の最大の集中点である」


マンフォードは『都市の文化』の中で都市の発展を「原ポリス」→「ポリス」→「メトロポリス」→「メガロポリス」→「ティラノポリス(専制都市)」として、その最後の段階に「ネクロポリス(死者の都市)」を置いて、その廃墟の上に再び「ポリス」が復活するという都市の輪廻説を展開し、巨大都市の存在への懐疑的予言を展開した。瀕死の状態にある巨大都市を再生させるための彼の提言は市民の「生活の文化」を豊かにすることであった。

ルイス・マンフォードは「地区」を家庭的・経済的活動共通の枠組み(=インフラストラクチャー)と文化的活動 劇場との統一した「箱」として、つまり機能性と芸術 性の二重性から定義し,その「箱」の中で演じられる 機能をこれこそ都市のもっとも本質的な機能であろう」 とし、端的には地区を「芸術的個体化の単位としての地域」と定義している。
マンフォードは、「個人」と「国家」の二者択一に代 わって、「地域」的連帯の必要を主張している。マンフォー ドが提案する「地域」という枠組は、ローカルな経済的利害を基礎とし、階層的な連携を含意している。この「地域」 的枠組が必要とされるのは、真の平和を実現するためであ る。彼は、自らが提示する「地域」的枠組の原型を第一次世界大戦前に存在していた共同体に求めているのである。

それでは都市とは何か?「都市とはコミュニティの権力と文化の最大の集中点である」とマンフォードは定義づける。そして「都市は自然環境に文化的な形態を付与し、人間遺産を恒久的な集約的形式のなかに具象化する」ものであるとする。


都市は誰のものか。多様な価値観、を許す「不完全」で寛容な場所ではなかったのかと。

都市とはそうしたさまざまな力が交差し、決して完結することのない「不完全」な空間だという。  一方、テロや災害、犯罪に対する不安から、都市のセキュリティへの関心が急速に高まっている。それは、ある種の無菌状態を理想とする都市イメージを醸成する。こうしたセキュリティを過剰に求め無菌化を理想とするという意味リスクゼロの不寛容をよしとする「完全」都市、 都市生活者にとっては、都市に生きることはすなわちリスクをとることだ。「不完全」であるがゆえに、都市は寛容であり続けた。ところが、今やその寛容さを放棄し、リスクゼロの空間づくりへと邁進する。


ここで注意しなければならないのはマンフォードの言う「地域」とは、空間的なものではなく、人と人との連携や連帯を指しているということだ。これは「社会」が必ずしも土地とかかわりがあるとはかぎらないというのと同じことである。「地域」も「社会」も、そこにあるものではなく、人が人とつながって形成するもの、という前提がここにはある。

「日本」という「国家」のなかで「地域」や「社会」を考えると、どうしてもあるまとまった空間、土地をもとに考えがちであるが、そういうものではない
「国家」とは「国土」ではなく「国家的連帯」であると同時に、「地域」もまた「地方」ではなく「地域的連帯」なのである。

もしかするとマンフォード自体が「土地」(生活空間)という概念を忘れ、「人的連帯」の次元でのみ「地域」を構想しようとしたことに気づき、主張を変えたのかもしれない。以下のように述べている。

「人びとは土地を無視し、産業と制度は地理的現実と結びついていないため、経済的および社会的生活は不安定であり、維持することができなくなっている。一体としての地域を考えることが重要である。地域に住み、その可能性を最大限に利用し、適切な文化の最高潮へ地域をもちあげることが地域主義という取り組みである。」

もしくは「地域」という概念そのものが、私たちが思っているよりも新しいものなのかもしれない。
マンフォードは少なくとも当時の学問においては、生態学と地域地理学を参照し、そこにおいて「自然の地理」が発見され、この「自然の地理」を基盤にして「人間の地理」も定まっていると考えている。

「人間の地理」すなわちそれぞれの「地域」には個々に経済的な事情(資源)があり、それに基づいて人口や産業が構成される。
「都市」は「生活」の拠点ではなく、「地域の結節点」としての役割を担う。

「結節点」というのは、単に地域と地域とをつないでるというよりも、個々の地域にはなかなか集められない「文化資源」が集積している。

学者や行政たちによって企図された均質で幾何学的な創造都市化や金融経済効率最優先の人工都市化に対し、何とかそれを無効化し、市民が都市全体を自分なりに「転用」する可能性を模索する。その都市形成において、「重層(オンレイヤー)」というテクニックを提起する。

「重層(オンレイヤー)」は、単に物理学的な空間を意味するだけでなく,何かを論じる際の基本的論述形式,あるいは論題を蓄えている場、共通の観念を想起させてることで、特定の場所を意識させる現代の〝トポス〟であるともいえる。

重層(レイヤー)の運動は横にではなく上下のずらし=転用により、新たな「創造的断層」を生み出す。

近代社会とは、空間、時間を分断する文化であった。経済効率や権力支配をより強固なものとするために、空間はグリッドによって分割され、地図化されることで初めて空間として認知され、一方時間は統一的な単位を与えられることで、全ての活動が短縮化へ向かって邁進した。それに対しHECPが求めるのは、空間、時間が途絶えることなく持続され、余暇や労働といった時間の区別が解消された生産社会である。近代化の過程で顕在化した空間の分節、大規模なインフラ整備による都市の破壊やそれに伴う格差の再生産による居住地域分離に対するオルタナティブな都市の形象なのである。

それは、VR(バーチャルリアリティ)などではなく、〝レイヤー〟を多層に重ね合わせてみると、ダブルイマージュの非常に面白い支持体(モチーフ)のリアリティが出来上がる。空間、時間超えて、世界中に様々な都市空間が形成される。


ルイス・マンフォードは人間(人権)環境が再建されるべき基本原則を確立しようと試みた。


芸術による「家」と「地区」の再構築は、インフラ(下部構造)を整備するに当たっては、まずはスープラ(上部構造=日本社会の今後の方向性)についてしっかりと議論することが大前提。しかし、それがまったく欠如しているのが国家プロジェクトの実情である。「都市」の形成においては「家」・「地区」は連続的でなければならない。

古い伝統的な町が崩壊することで、長年培われてきた都市コミュニティが消失する危機である。人口の減少と高齢化による空洞化 人間関係の希薄化によって、地域社会を支える基盤そのものが弱体化するのである。都市社会に秩序を維持するためには、そこに何らかの形で基礎的な人間関係を生成・構築し、人々を地域に結び付けることで都市コミュニティを回復しなければならない。



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