「音楽に罪はない」
坂本龍一の主張はこうだ。音楽は、著作者が作った国民共有の財産でもある。その財産を販売停止、回収、出荷停止、音楽配信停止は、果たして適切な措置と言えるのか?不快感を持つ人間は、買わなければ、聴かなければいい。聴きたいひとの自由まで奪ってもいいのか?
だが、この国の法治国家としての民主主義社会も国民の共有財産である。それは、現在だけではなく、過去や未来の国民のための社会でもある。戦後民主主義は、先の大戦で勝てるはずのないアメリカと戦争したあげく、広島と長崎に原爆を落とされ、東京などの都市はすべて焼け野原になり、兵士・一般市民を含め300万人の犠牲や代償の上に成り立っている。
そして、法令遵守コンプライアンスは、法治国家における基本的で一次的な秩序形成だと言える。確かにこの国の民主主義は、面倒くさくて息がつまる。だが、民主主義の周縁で生きる人間は、その面倒くさい「法」を守りながら、ドブの中を這いずりまわり、星を見上げて頑張っている。一体、音楽家がそんなに偉いのだろうか。音楽だけが芸術だと思っていたらそれは違う。どんな人間も芸術家であり、生み出した作品は全て芸術である。だが、彼らは一度でも罪を犯せば全てを失う。「作品に罪はない」、「家族に罪はない」は通用しない。残念だが、それがこの国の民主主義社会である。音楽家だけ「音楽に罪はない」、「作品に罪はない」など通用するはずがない。