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〈市長小学校〉『九度山バウヒュッテ-フォルケホイスコーレ』
〈市長小学校〉
『九度山バウヒュッテ-フォルケホイスコーレ』
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私たちは難民といっしょに「作る」ことから始めます。
世界の、そして、日本の「難民」たちといっしょに「生産」に侵入し、
フォルケのシュンポシオン〈饗宴〉で展開されるオルタナティブな芸術は、空想でも、妄想でも、想像でもない。たゆまぬ思念であり、実践であり、形象のことなのです。
〈市長小学校〉フォルケホイスコーレとは、オルタナティブな首長ののための小学校を意味します。小学校と言っても、小さな長屋を活用した日本の寺子屋(College Hutte)のようなもの。フォルケのキャンパスは、世界中に点在する小さなセツルメント〈家〉です。フォルケは、単に物理学的な空間を意味するだけでなく,何かを論じる際の基本的論述形式,あるいは論題を蓄えている場、共通の観念を想起させてることで、特定の場所を意識させる現代の〝トポス〟であるともいえます。フォルケのシュンポシオン〈饗宴〉で展開されるオルタナティブな芸術は、空想でも、妄想でも、想像でもありません。たゆまぬ思念であり、実践であり、形象のこと。そして、その主題は一万年先の人類の「未来」フューチャーとコモディティのためにあります。
知性派の「知識」が強いのは、「論理空間」の大きさが限定されているからです。だが、リアルな現実社会では「論理空間」は無限大であり、何が行われるかわかりません。この国の知性派の視知覚は対象の一面のみを捉え、知的理解は事象の因果関係だけを汲み上げる。だが、そこには無数の視点と無数の理解の道筋があり、それだけで物的存在が人間の知覚理解の限界を超えるものであることが意味されています。フォルケのGEIJUTZEとは知覚で完結するものではなく、それが繰り返し解釈されることによって浮かび上がる認識のまとまりであり、スタティックな、シンボル的な、モニュメンタルな造形を想像することではなく、人間の動的なアクションのなかで考える潜勢力であり構成的プロセスのことなのです。
知性派は過去のデータや処理結果をふまえて「論理空間」を組み立て、そこで未来のデータ処理方法を決定するのであり、「過去」によって完全に規定されており、過去のプログラムにもとづいて「知」の表象を行う。データを処理する以前に、前もってどのようなデータかを予測し、いかなる論理にしたがってデータを操作するかのアルゴリズムにより、結果を導き出すというプロセスによるわけだが、良き結果を生み出すのは、過去のプログラム作成時におこなった状況予測が当たった時だけです。この国では、GEIJUTZEは、現実社会とは隔離された"技能"として語られていたころ、フォルケでは経済・社会をまったく変える可能性を持つ"力"としてGEIJUTZEを捉えていた。フォルケに行くと、世界が今注目している課題は何なのかということが見えてきます。
フォルケでは、些末な技能よりも理解や共生という基礎能力の獲得、GEIJUTZE理解をじて意識の改革と、あるべきオルタナティブ社会像の模索し、スタティックな、シンボル的な、モニュメンタルな造形物として捉えるのをやめ、何よりも実践と行動、人間の動的なアクションのなかで具体的なコンセクエンスを形象していきます。
欧州のモダンアートは、地域のコモディティの中から生まれてくる。イタリア人の家は、人を〈家〉セツルメントに招いたり、招かれたりするサロンになっており、人と人との交流場所なのです。そこから素敵なモノを家に置きたい、人生の素敵なスタイルを作りたいという気持ちが生まれ、身につく情操は美大やミュージアムで得るよりもその影響は大きく、それがアートの土壌となっています。
フォルケの最大の特色はオープンアクセスであるということがいえます。理念が共有できれば、誰もが自由に「参加」することが出来、プロジェクトを発展させていくことが可能。と言ってもフォルケには、現代アートなどの非ターゲットのキャズムは存在します。有名なタレントや文化人だからといって全く特別扱いされることはなく、逆にその無名性が心地よい時間を過ごすことができます。フォルケでは国も文化も政治的な考え方も全然違うような人たちが、一緒にイベントを企画したり、プロジェクトを進めていき、ダイナミックなものを生み出す経験ができるのもフォルケの良さだ。当然意見の違いや対立はおきる。でもそこで、自分と他人との考え方の違いを学びながら、協力して一つのものを作っていく。フォルケの人たちは、そうやって民主主義の考え方を学んでいきます。
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