女性中心社会 チョーズン・ファミリー女性中心によるメスがつなぐ単為生殖会
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『女性が子どもを産むこと』が生命活動の大前提である。そういう意味では、人類社会の未来遠点は、男女平等ではなく女性を中心に構成されることになる。
もちろん、理想を描くこと自体を否定しているのではなく、この先の人類社会の未来遠点は『女性が子どもを産む』ことを前提とした小集落のパブリックがインテグリティにつながることで持続可能社会が成立することになる。これは決して難しい科学予想ではなく、そもそも動物(生物)の世界は、【メスを中心に(特に繁殖に関して)】構成されているのがデフォルトであり、一万年を超える未来永劫の生命活動の帰結である。つまり、この国の男女平等論は、ここ数百年あるいは千年程度の時間性における人類が辿る社会の「通過点」の話であり、それはトポロジー位相幾何学的に、目的や目標にすること自体、根本的にずれているとしか言いようがない。
生命運動がメスを中心に展開している以上、それを支える社会やパブリックは、女性が中心であることが最も合理的だと言える。これは正しいとかどうかではなく、「公理」なのである。「公理というのは単なる基本ルールであり、それが現実的かどうかは関係ない。「公理」がないのに、文脈的な「定理」や「定義」を導き出すことなど出来ない。 「公理」は現実的である必要はないが、その「完結性」と「無矛盾性」が必要である。
男女平等はその女性中心という「公理」の射影幾何における一瞬通過点でしかない。そもそも点には大きさがない。一体平等の定理や定義を一体どのように証明するのか。
性やジェンダーについての意識、あるいはクオリアがアプリオリに世代から世代を引き継いでいくのは、エピゲノムの次元の問題であり、少しばかりの大学知や形式知で得た豆知識など何の意味も持たない。自分が高齢者になる頃にはすっかり忘れてしまい、現在のオールド高齢者と同じようなことを言うようになる。