尾身会長のインスタが大炎上 反ワクチン・ワクパス派が集結
ウイルスは宿主集団を完全に消滅させないように、時間の経過とともに自然に弱まると言っていたのは一体誰だ?
もちろん尾身氏だけではなく、この国の科学者や専門家、文化人、コメンテーターたちのような形式知による「知術派」は、自身の臨床や治験によって体験した「経験知」を持ち合わせていないにも関わらず、論文の聞きかじりをしたり顔で、このウイルスの解説を行なってきた。
そもそも新型コロナウイルスは、「形式知」マターではなく、「暗黙知」マターである。新型コロナ命題は、持続感染と持続免疫である。何十年も自分自身の「免疫」と向き合ってきても、未だに正体が掴めない不思議な力が存在する。
科学者は、自然免疫や獲得免疫、そして、仰々しい学名の細胞の分子構造の研究に明け暮れているが、T細胞というのは胸腺(Thymus)、B細胞は、骨髄(Bone marrow)など、重要なのはそのキャストではなく、「免疫」というアーキテクチャーが一つのネットワークとしていかにインテグリティな働きをしているのか、働きをさせることが出来るのかということである。
つまり、「免疫」のアーキテクチャーの概念は、フローで考えなければ、セントラルドグマには到達しない。ワクチンは決して否定しないが、ワクチンは決して持続免疫における主題ではなく、あくまでサブクラスの存在として機能する言わば「助っ人」のような存在なのである。
免疫や抗体は、ワクチンのように単発的に接種し、抗体価が減少すればまた接種するというような概念ではなく、生体内を流れるように持続的に産出するフロー細胞でなくてはならない。
そして、非自己である新型コロナに対しては、マスクや適度の手洗い、ソーシャルディスタンス高用量化は避けることは重要だが、過度なアルコール消毒などは行わず、適量曝露を受けながら陽性感染による免疫訓練を持続させることにより、抗体価を高め更なる感染力の強い変異株の登場に備えるべきである。
今やるべきとことは、ワクチン、反ワクチンのステレオタイプの論争で国民をシュミット的な分断に持ち込むことではない。両派ともに、尾身氏らに代表される科学者や専門家のトンチンカンを今さら責めても仕方がない。新型コロナは、「一つの理念」である。そして、私たちは新型コロナが一体何を目指しているのかは全く未知であり不明なのである。もう一度このデフォルトに立ち戻る必要がある。
デルタ株がさらに変異することで危険が一層大きくなり、新型コロナが第1世代のワクチンに完全に耐性を持つ方向にあるのかも知れない。もちろん、新たな変異株がその前身より深刻なものになるとは限らないが、ウイルスは新しい宿主に適応していくため、パンデミック期に致死率が高まることは、実際あり得ると考えるべきなのである。
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