保健所職員は、朝起きて食事をし、出勤し、職員どうし挨拶した上で、「虐殺」のボタンを押し続けた。
もしもこのまま口を噤むのなら、あなたたちはきっと一生後悔する。組織はさらに暴走する。あるいは停滞する。目を逸らす。不正義がまかり通る。弱いものが責任を押しつけられる。真相を隠したい人たちは胸を撫で下ろす。
あなたは今の群れからは孤立するかもしれない。でもあなたが発言すれば、きっと賛同者が現れる。決して一人にはならない。顔を上げよう。声を出そう。胸を張って内なるアイヒマンを否定してほしい。そのタイミングは今しかない。
だが、保健所は声を上げなかった。
大勢のユダヤ人を収容所に送ったアイヒマンについて、アーレントは『悪の凡庸さ』と表現したが、保健所職員は、たぶん朝起きて食事をし、出勤し職員通し挨拶した上で、「虐殺」のボタンを押し続けたのである。
Too Lateだが、ようやく、政府が重い腰を上げた。保険適用となり民間検査機関による検査体制が稼働すれば、「騒ぎ」は収束に向かうはずだ。いや、騒ぎ切った後は、底を打って、ここから浮上に舵を切るべきである。
RT-PCR法を用いたウイルスの遺伝子検査は肝炎ウイルスやHIVなどで臨床応用されており、ありふれた技術だ。厚労省が新型コロナウイルスの遺伝子検査を保険承認すれば、数日で検査の体制を立ち上げるだろう。
確かに治療法は未だ確立していないが、少なくとも自らが加害者になることだけは避けられる。身近な大切な人に感染させるという不安や恐怖から解放されるのは間違いない。
今後は、検査結果のデータマイニングにより、現実と向き合い、いかにウイルスと共生して行くかを探っていくしか道はない。実際の感染者は数万人、数十万人存在するはずである。
厚労省が民間に委託しなかったのは、感染研によるデータ独占や省庁内の縄張り争い、そして政権に対する忖度としか言いようがない。政権という権力が権力維持を自己目的とすることは、権力である以上ある意味仕方がないと言える。つまり、安倍首相にとってインバウンドとオリンピックが全てであり、高齢者が少しくらい死んでも眼中にないのは当然のことだと言えるのだ。現実的にあるものをないものとし、「騒ぎすぎ」という一部世論が検査を行わないことを後押しすることにより、事態を複雑にし、ズルズルと長期化させた。当初より、検査さえしておれば何の問題もなかったようにさえ思える。
それよりも問題は現場だ。徹底して検査を行なわなかった検査機関、つまり、「行政検査」における厚生労働省や保健所の存在である。とりわけ保健所の責任は大きい。上の顔色を伺い患者や現場の医師の悲痛な要請を完全に封殺してしまった。今回のパンデミックを引き起こしたのは、立ち上がらなかった保健所の責任だと言っても過言ではない。この国の保健所はまるで、アイヒマンのようだ。
ほとんどの保健所職員は、検査を行わなわないことに疑問を感じ、葛藤していたはずである。だったら、官邸前で座り込みやハンストをしてでも、検査を貫くべきであった。保健所いうこの国の医療に関わる検査機関が患者を見殺しにしたことは、時間が経っても忘れることはない。亡くなられた犠牲者の家族だけではなく、パンデミックにより甚大な経済被害を受けた中小零細、非正規労働者、そして全ての国民の永遠の記憶に刻み込まれることになる。